【完!全!決!着!】「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は俺たちの卒業式だった。
25年間ずっと続いていたモヤモヤ感が無くなった。
エヴァンゲリオンという作品は余白が多い作品だ。
全てを説明する作品ではない。
あえて物語を一部黒塗りにし、その黒塗り部分を考察して楽しむ作品。
鬼滅の刃のストーリー説明力を100とした場合、
エヴァンゲリオンのストーリー説明力は20にも満たない。
それほど複雑で読み解きづらい作品だ。
だからこそ、ファンはこぞって解き明かそうとした。
熱狂した。聖書を読み、登場人物との共通項を探した。
私はその余白が好きでもあり、嫌いでもあった。
余白を読み解こうとする体力があるときは非常に魅力的な作品に見える。
ただ余白を読み解く気力・体力もない場合、エヴァンゲリオンという作品は「で、お前は何が言いたいん?」
とリクルートの先輩に詰められてしまうようなテンションになってしまう。
前段が長くなったが、今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版はそんな余白は一切感じさせない「完全決着映画」であることをまず伝えておきたい。
-俺の魂を撃った3つのポイント-
■すべての登場人物に救いがあった
25年かけて描き切ったキャラクター達に安息の地を与えてくれた。
それがこの映画一発目の感想。
全てのキャラクターに救いがあり、その結末に納得した。
これまでの余白・余韻を活かしたオタク考察型の作品ではなく、明確なエンディングを作り、
しっかりとしたメッセージを発信した作品。
それがシン・エヴァンゲリオン。
■自分なりの25年のライフステージの移り変わりから、感情移入する人間が変わった
ここまでエヴァンゲリオンが人の記憶に残る作品となったのは、共感性の高い登場人物達のおかげだった。
・自己肯定感が低く、自分に自信の持てない主人公
・感情の表現の仕方を知らない綾波レイ
・親にトラウマを持ち、トラウマを払拭するために「自信」で鎧を作ったアスカ
バーナム効果よろしく、誰でも当てはまるネガティブな感情をうまく拾い上げ、キャラクターに落とし込み、
そのキャラクター達を成長させていった。
彼、彼女達の成長は視聴者である俺たちの成長でもあった。
今回のシン・エヴァンゲリオンは、葛城ミサト・碇ゲンドウの両名にとことん共感し、
彼らの生き方・不器用なコミュニケーションに涙してしまった。
共通していえるのは「親」としてどう生きるか。
贖罪として子供と向き合うのか、子供を突き放し自分を戒めるのか。
自分のためと子供のため。相反する目的・エゴにどう折り合いをつけるのか。
今回の作品は、「親」の物語だ。
■テーマは「復興」と「リアル」
「それでも前を向かなければいけない」徹頭徹尾、このメッセージをエヴァンゲリオンは発信している。
ニアサードインパクトのトリガーとなったシンジくんはずっと後ろ向き。
TVバージョンでは、トラウマに苛まれていたアスカと自我がなかったレイ。
今回はの新劇場版では違った。
14年という歳月がアスカを大人にし、レイを人間にした。
半ばハンガーストライキのような恰好になったシンジくんの口にレーションをぶち込むアスカ。
無償の愛でシンジくんにコンタクトを取り続けるレイ。
豪胆で快活な第3村の人々。
全ての登場人物から「それでも前を向かなければいけない」という強いメッセージを感じた。
エヴァよりも面白い作品はたくさんある。
エヴァよりも影響を受けやすい作品はまたとない。
「古き良き共同体」で「平凡な日々」を力強く生きる第三村。
この生き方を自分のサラリーマン人生に重ね合わせ、納得・理解する人も多いと思う。
-最後に-
ネタバレはしない。
小学生でエヴァンゲリオンに出会い、
様々なフェーズでエヴァンゲリオンと接してきた俺たちの世代だからこそ見てほしい。
全て浄化された。
今はエヴァンゲリオンに対する感謝しかない。
庵野監督、この作品を終わらせてくれてありがとう。