【Vol.15】会社に期待した先に味わった絶望とそこから得た学び
今回は大手メーカーからメガベンチャーに転職をしたタカシさんのお話です。
タカシさんは、昨年の転職記に登場していただいた武田さんのご紹介で今回、記事を書いていただけることになりました。
武田さんの記事は以下になります。まだ読んでない方はこちらも是非読んでみて下さい。
タカシさんは転職を通じて感じたことが大きく2つあるといいます。
・会社に期待するな
・自分の人生は自分でしか変えられない
それでは、大学時代から転職を経ていま感じることまでを振り返っていただきます!
相当濃いめで約1万字の超大作です。
●浅はかだった就活時代の話
こんにちは。タカシです。
私は都内の私立大を卒業後、新卒で日系メーカーに事務系総合職で入社しました。
細かく業界をいうと身バレしそうなのでボカしていますが、会社の規模は業界の中でいうと2番手ぐらいでした。
昨年転職をし、いまは都内に本社を置くメガベンチャーで働いています。
フルリモートなので、半年ほど前から山梨県北杜市というところに住んでいます。八ヶ岳も近く、とてもいいところです。
はじめに少し就活時代の話をさせて下さい。というのも、私の学生生活は結構クズでした。
私は学生時代オールラウンドサークルに所属をし、毎晩のように居酒屋か先輩宅で吐くほど飲み、泥酔した状態で1限を受けて、たまに講義の合間にトイレで吐いて、二日酔いの状態でまたその日も飲み…みたいな日々を長い間送っていました。
無駄に要領は良かったので、出席だけで単位が取れる講義ばかりを取り、ギリギリ留年しない程度にやり過ごしていました。
特に夢とか就きたい職業がなかったので、ゼミも適当に「教授がゆるい」と噂のゼミに入りました。確か国際関係論かなんかだったと思います。名前も覚えてないくらいゆるいゼミでした。
そんな感じでレベルの低い学生生活を惰性で過ごしていたので、気づけば何も得ないまま大学3年の就活直前を迎えてしまいました。
典型的な「やりたいことがない」学生だったので、受けたい企業も業界もなく、周りが次第にインターンやOB訪問をしていく中で途方に暮れて、とりあえず酒を飲んで気を紛らわしていました。
そのくせ将来は港区の夜景が一望できるタワマンに住みたかったので、高給でモテそうなイメージのあった商社にエントリーしましたが、ただ、世の中そんな甘くはありません。
丸紅と伊藤忠の違いもよく分かっていないようなやつです。大して企業研究もせずに受けた結果、箸にも棒にも掛からず。
たまたま友人が受けるという理由だけでエントリーシートを出した大手メーカーの選考がとんとん拍子で進み、初内定が出ました。
当初はあまり深く考えずに選考が進んでいきましたが、最終面接まで行くと役員が相手だったので、さすがに建前だけでもしっかり業界のことを知っておかないといけないと感じて遅ばせながら色々と調べました。
メーカーがホワイトでとても働きやすい環境であることはなんとなく把握していました。前職で言えばそれに加えて給料も業界内では比較的高い方でした。
これもいま思えば非常に安易ですが、仕事をしながらまあまあの給料をもらい、プライベートは遊びまくれる環境ならとても魅力的なんじゃないかと感じるようになったのです。
そして、多忙なイメージがあった商社より良い選択をしたのかもしれないなと思うようになりました。
まあでも、選考段階では本社がどこにあるのかもよく分かってないぐらいのレベルだったし、正直いまだになんで受かったかもよく分かりません(笑)
●優秀な同期に気後れした新人時代
新卒入社した会社は、そこそこ有名な大手企業です。同期の多くは「ここを本命に就活していた」と話すほどで、ますますなんで私が受かってしまったのかよくわかりませんでした。
入社前に聞いていた評判はホワイトで休みも取りやすく、その割にメーカーとしては給与水準が高く、福利厚生も充実しているというものでした。
内定した時、私の就活がうまくいくのかと心配していた父は「めちゃくちゃいいとこ入れたな。なんでお前なんかが受かっちゃったんだよ」と頭を抱えていました。
そんなところなので同期はとても優秀でした。出身校は旧帝卒もいれば、アメリカのカリフォルニア州立なんちゃら校からきた英語ペラペラのイケメンもいました。
学歴だけでなくコミュニケーションに長けた人も多く、「私はここの部署でここの仕事をして、いずれこれがしたい」と明確なキャリアのビジョンを持っている人もいたりして、そんなもの1ミリもなかった私は自分の意識の低さに気づき、次第に焦りを感じるようになりました。
●夜逃げも考えたほど辛かった宿命「工場実習」
日系のメーカーに入るとまずぶち当たるのが、製造ラインに投入される工場実習です。私の会社ではだいたい半年ほど実習期間がありました。
これがまぁキツかったです。
主な作業は組み立てや品質検査でした。とにかく毎日同じことを繰り返しやり、次第に思考が麻痺してきます。
製造現場には叩き上げの職人気質な人も多く、少しでも手を抜いていると思われると罵声に近い感じで叱られました。
ホワイト企業に入ったと思っていた私のような社会を舐めきった若者からしたらそれはもう青天の霹靂みたいなもんで、「これパワハラじゃん」「全然ホワイトじゃねぇよ!」と思うようなことも多々ありました。
実習開始当初は作業が本当にダルくて、なんでこんなことやってんだろうと感じていたのが態度にも出ていたのか、私は特に現場の方に目をつけられていたようでした。
最初の一カ月は精神的にも本当にきつくて、何度か本気で夜逃げを考えては、その後のことを考えて思いとどまるような日々でした。
ただ、そんな私が急に真面目なことを言ってきもいかもしれませんが、実習が進むにつれて学んだこともありました。
効率化が進む世の中において、人の手によってロボットでは届かないかゆいところまで細かく丁寧に仕上げ、高品質を担保する工程はまさにメイドインジャパンならではの文化だと感じるようになったのです。
車にしても家電にしてもなんでも、こうやって人の手や人の目が入って日本製がグローバルな信頼を高めていきました。
日本人として素直に誇るべきだなと気づきましたし、そのクオリティを支える現場の人たちも、癖はありましたがプロフェッショナルだなと感じました。
振り返るとめちゃくちゃ辛かったし、今もう一度やれと言われたら正直やりたくはないですが、ただあの経験がその後の仕事への意識づくりにつながったのは間違いないと思っています。
●運命を変えた部署配属
入社当初はあんなにクズで意識が低かった私ですが、辛い実習を終えた頃にはものづくりの意義や今後のキャリア形成について考えるほど「意識高め」な新人になっていました。
大学の友人と飲みに行って仕事の話をすると、経験値が低い割に意識だけ無駄にぶち上がっていたので「タカシ、お前どうした」「急にまともになって、キモいぞ」といじられました。
自分でも多少のキモさを感じながらも、初めて何かに真面目に向き合っている自分に少し誇らしさも感じていました。
実習終了後に配属面談がありました。この頃、私はいずれ会社の看板を引っ提げて海外で勝負したいと考えており、その希望と合致する形で海外事業の部署に配属されました。
この部署は比較的忙しいことで有名でしたが若手の希望者が多く、狭き門とされていました。なので配属が決まった当初はすごい嬉しくて、無駄に日経新聞とウォール・ストリートジャーナルの購読を始めるぐらいモチベが爆上がりしました。
この最初の配属が、私のその後のキャリアに大きな影響を与えます。
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