"あきらめる"について語る事にした。
あきらめてみて感じる事
今、積極的にいろんな事を諦めている。すごく生きやすくなってる事を実感してる。
なぜ語ろうと思ったのか
ただ、一方で『最近諦める。て事をしてるんだよね!』と人に話すとちょっと会話が噛み合わないような事を感じるので自分の言うところのあきらめるをちょっとまとめてみようと思った。
"あきらめる"の語源
諦める。というと物事を途中で断念する、悪い状況を受け入れる。妥協する。というような意味合いにとられがちだが、元々の語源からする『あきらめる』はそもそも仏教用語で『明らめる』という事が語源のようだ。物事を『何が大切なのか明らかにする。執着を手放し悟る。』という意味合いが元々の語源っぽいのでどちらかというと最近はそっちの意味合いで積極的に諦めている。
あきらめちゃだめだょ!とは言われるけど
『諦めちゃダメだょ』てよく言われるけど、諦めなかったら情報の多いこの世の中『やったほうがいいっぽい事』に埋め尽くされて自分の人生何がしたいのか?がわからなくなんじゃね?!と思ってる。もちろんそれを悪い事だとは思っていない。ただ、それを続けていると氣がついたら『あれ?!このまま行って俺の望む人生になるのか?!』という疑問を抱えながら『諦めなければ人生きっといい事があるはずだ!』という呪文を唱える。冷静に考えたら自分の人生にとってはさほど重要ではない事に膨大な時間を使い自分を消耗する。これは誰かに言っているのではない。自分に言ってる。ずっとそうだった。だから"あきらめる"を真剣にやってる。
あきらめるを一言で言うと。
あきらめる。は人生においての断捨離なのだ!
と思ってる。知らんけど。
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