人生を評価する自分なりのものさしを持つには?
「人生を評価する自分なりのものさしを持ちなさい」
経済学者:クレイトン・クリステンセンの言葉
自分の人生を評価するものさしは何か?
正直、何の考えていなかったというのが本音である。
綺麗ごとを言うと、どれだけ人から「ありがとう」と言われたかと思っている。
ありがとうとか、人の役に立ったときは誰でも幸福を感じると思う。
でも、それは僕のものさしにはならないと思っている。
みんな、自分を第一に考えるものだ。
自分が得をしたい
自分は損をしたくない
そんなせこい考え方をするのが人間だ。
僕もそうだと思っている。
利己の後に利他があると思っている。
お金持ちは寄付をしたり、利他に見えるがそれは自分が満たされたからが前提にある。
そんな自分を第一に考える僕を含むほとんどの人間の人生のものさしは一体なんなのだろうか?
1人1人違うと思うが、共通することは絶対にあるとも思っている。
それが、マズローの欲求5段階説で示されている。
結局はみんな自己実現欲求がおおもとのものさしになっていると思う。
では、2つに分けてみてみよう、物質的欲求と精神的欲求である。
物理的欲求はモノがどれだけほしいかである。
高級系はそれに該当する。
精神的欲求は社会的に認められたい、承認されたい欲求である。
芸人とかそれに該当する。
物理的欲求の財産を求めたり、支配したいという名誉を求めたりと人間は自己実現のために今を生きているのかも知れない。
僕は自分がわからない。
一体、何がものさしなのか?
周りからみたら、欲にまみれた煩悩の塊でしか無いと思う。
それは自覚している。
だが、どうなったら人生は最高だと言えるのか?
どんな状態が人生を最高と言えるのか?
僕にはわからない。
それが一体なんなのか?
そこで一つの答えにはたどり着いた。
これは完璧な答えではない。
未完成な答えだ。
それは人生を喜ぶということだ。
未知の不安を感じるコトができれば、一歩を踏み出すことは簡単。
それは結末を知ってるから。
負けると分かったことには誰も挑戦しないでしょう。
しかし僕たちの人生は、未知との遭遇の連続。
まだ見ぬものに不安を感じるものなのである。
って考えると長いRPGゲームをやっている感じに近い感じがする。
私たち人類は太古の昔から、生きることの意味を探し求め、どうしたら自分たちは幸せになれるのかを考え続けてきた。
人が生きる意味を追い求めた結果として神話、宗教が立ち表われ、その呪縛から逃れるために哲学が生まれ、そこから自然科学が独立し、さらに経済学が自立して資本主義がひとり歩きを始め、我々の生に意味を与えてくれるものとして作り上げたものがかえって我々自身を疎外し、そこから自由になるために作り上げたものが、また我々を疎外するという、「主客転倒」の繰り返しだった。
結局、我々は自分が何者なのを知るために、終わりのない旅を続ける旅人のようなものであるということ。
答えは誰かが教えてくれるのではなく、我々1人1人が自分の力で探し求めるしかない。
そこに人生を評価する自分なりの「ものさし」があるのかも知れないのだから。