クラシック音楽の聴き方 メロディは聴かないで

主旋律(メロディ)は聴かないように


初心者がクラシック音楽を聴く一つのコツは、主旋律に耳を傾けないこと。
人間の耳は、メロディを担う高い音を、意識せずとも拾ってくれる。
初心者が注意を向けるべきは、低声部=バス・ラインの音だ。
低い音は、聴こうと注意しなければ、自然には聴こえない。


試しに、好きなアーティストの、お気に入りの曲を思い出してみてほしい。
これまでの人生で、何度も何度も繰り返し繰り返し、大切に聴き続けてきた曲。
メロディはもちろん、歌詞だって全部覚えていて、カラオケで歌って高得点を出すことだってできるかもしれない。



では、ここではいったん、メロディも歌詞も忘れてみよう。
思いを込めた歌声や心に響く魅力的な歌詞を、曲の中から消して再生してみる。



ベースはどんな音を出しているだろうか? ドラムの刻むリズムは? 
曲が盛り上がるサビの歌声の裏で、ギターはどんな音を奏でていただろうか?
自分で歌えるまで何度も聴いたはずの曲だから、当然耳に入っていないはずはないでしょう?


もしもベースやドラムの音、それからキーボードなんかの音が思い出せるなら、音楽的な素養はなかなか高い。
曲によっては弦楽器(ヴァイオリン)や管楽器(トランペット)が使われているかもしれない。
歌詞・歌声以外の音をどれだけ拾えているかが、音楽的な耳の精度の高さの指標になる。



それらの音は確かに「聞こえて」はいる。
でも、実際には「聴いて」はいない。
「聞こえて」いるのと、「聴いて」いるのは、全然違うことなのだ。


昔々、「周辺視野」という言葉が流行ったことがある。
人間には、視界に入っていて「見えてる」はずなのに、実は「見て」いない物事がたくさんある。
優れたスポーツ選手、たとえばサッカー選手なら、フィールドをパッと一望しただけで、相手の選手から味方の選手の動き(それから観客や電光掲示板)まで読み取ってしまう。
視界から得られる全ての「情報」を拾って瞬時に処理した上で、最善のプレーを選択することができる。



音楽を「聴く」のもこれと同じで、複数の楽器の音を同時に聴く力を養うことが、音楽の深みに触れるための前提になる。
音楽においては「音」こそが作品の「情報」になり、例えばロックならヴォーカルの美声・ベースの音・ドラムのリズム・ギターのおしゃべり、それらの「重なり合い」が聴けるようになると、曲に対する音楽的な理解がぐっと深まる。


ピアニストの生命線は「左手」


クラシック音楽の根本をみると、「主旋律を奏でる高い音を、どのような低い音で支えると、美しい響きを作れるか?」という問いがある。


ピアノでいえば、右手でメロディ(高音部)を弾きながら、左手が和声(低音部)を担当することになる。
この時に「右手ではなくて、左手を聴く」というのが、クラシック音楽初心者にとっての重要課題になる。
ちなみにいえば、演奏家(ピアニスト)にとっても、右手の主旋律に引っ張られずに左手の音に耳を澄まして弾くのは、とってもとっても難しい。


どうして音楽ではそんなにも左手が、つまり低い音が大事なのか?
理論的な話をするのはすごく難しいし(「倍音」の話になる)、聴きはじめの頃にはあんまり必要ない。



もしできるなら、ご自身で弾くか、もしくは知り合いに頼んで、ピアノを右手だけで弾いた場合と、左手の伴奏をつけた場合を聴き比べてみてもらいたい。
理屈うんぬんを抜きにして「なるほど、伴奏(低音部)がないと、音楽はこんなにも貧相になるのか」と腑に落ちるはずだ。


聴き比べができない読者のために例を考えると、ええと、そうだなあ(真剣に困る)。



絵に例えるなら、メロディ(主旋律)は輪郭で、伴奏(和音)は陰影だ。
輪郭さえあれば、それがりんごだとかオレンジだとか、あるいはアンパンマンだとかドラえもんだとかピカチュウだとか、何を描いた絵なのか一目でわかるだろう。
そこに、ちょこちょこっと影をつけてあげると、絵に立体感や奥行きが生まれる。


輪郭だけでも絵にはなるけど、それじゃあ寂しいし、あまりにも単純すぎて、表現の幅が制限される。
主旋律(右手)だけの音楽というのは、陰影のない絵と同じだ。
絵画において光をより効果的にするために濃密な闇を描くように、秀でたピアニストは左手の動きに強い個性が現れる。


わかりやすくするためにピアノの話をしたけど、低声部が重要なのは他の楽器でも変わらない。
ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんは、主旋律以外の声部を聴くことが演奏の質を左右することについて語っている。


ヴァイオリンのメロディを弾くとき、そのバス、和音、リズムを一緒に弾く(想像する)。たしかにテープにとって聞いてみると音が違うのだ!この体験はブラームスの言葉は和音の中にあり、そしてそれを一つ一つ、一緒のテンポで弾いてゆけばよいーーという発見……確信へとつながる。のちにほとんど全ての作品、作曲家へのアプローチが多少なりともこの原点から出発している、とこれは私の音楽づくりの大もとでもある。

『ブラームス ーカラー版作曲家の生涯ー』三宅幸夫 新潮文庫


作曲家は和音の中に、つまりはメロディ以外の部分に、音楽を通じて表現したい「言葉」を織り込んでいる。
私のピアノの先生も、主旋律に流されずに和声の変化を追うことの大切さ(と難しさ)について話してくれたことがある。


だから、クラシック音楽を聴いてみようと思ったら、まずは「バス・ライン」「低声部」「左手の音」だけを聴くようにしてみてほしい。
主旋律は勝手に耳に入ってくる、というよりも、相当な集中力を発揮しておかないと、低声部を追っているうちにいつの間にかメロディに引っ張られてしまう。


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