赤茶色の
最近あんまり使っていなかったトートバッグの底から、上野の国立博物館のチケットが出てきた。日付を見ると2024/1/13となっている。誰と行ったのだったか、もはや覚えてすらいない。
近くのショッピングモールには、三階の一番奥に映画館がある。シアターまで続く暗がりの道には見覚えがあった。スピッツが主題歌をやっていたコナンの映画を観に行って、真四角に切られた刺身の描写に笑い合っていた記憶がある。
隣には今では珍しくなってきたヴィレッジヴァンガードが店を構えていて、映画までの時間潰しにちょうど良い場所にある。海外らしさ溢れるグッズの中に、昔はスター・ウォーズが一定のスペースを取っていたはずだけれど、今は見る影もなく、マーベルコミックが並んでいる。隣のコーナーはハリー・ポッター。他は何があるのだろうと漫画コーナー辺りに差し掛かった時、一冊の本に目が留まり、忘れていたものをまた思い出す。
それは今敏監督の「パプリカ」の設定資料集で、赤茶色の髪をした女性キャラクターの姿を何度か目にしたことがある。いや、目にしたことがある、なんて言い方は全くの嘘で、一度だけ、自分は「パプリカ」を観たことがある。
それは土曜日の昼下がりの小さな部屋。背中を預けた窓の、レースカーテンがずり落ちないか気にしながら、重みと温かみとを両腕で抱いていた時。描き出される狂騒の夢は、未曾有のパンデミックでおかしくなり始めた現実と重なって見えて、虚構と現実の境界が曖昧になっていく感じがした。そこに自分がいること、今自分が抱いている存在すら、夢に思えた。後から振り返っても、あんなに短くて鮮やかな記憶、夢としか思えないけれど。
あれ以来「パプリカ」を観ていない。「観たい」と思う。どうしても惹きつけられてしまう、危ない香りがする。その離れがたい魔力のようなものは、過去の思い出をリフレインしたいという浅はかな願望だと気づいているから、ずっと遠ざけてきた。いつか「観なければいけない」と思う。越えなければならないと、捨てなければならないと。あの記憶を。手に取ってみると想像以上に分厚かった資料集だが、裏返してみると思ったよりも高くはない。一瞬、ここで買ってしまおうかと思ったけれど、それはあの記憶をリフレインするものではなく、越える時にあるべきものだと、そっと棚に戻した。まだもう少しの時間と、少しの何かが必要だと思われたから。