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DV彼氏みたいな人生だよ

全部投げ出したくなった最後の最後になって、小さく報われてしまうのが人生ってやつだ。少なくとも自分にとっては。

昨年に引き続いて、この歳になってまたも賞状をもらってしまった。


毎年、なんとなく1件くらいは学会発表をしようと思っていて、今年も4月くらいに諸々の手続きを済ませた。まあ今年は、他の報告やら仕事のトラブルもあって、申し込んだことを後悔するほどに苦しんでいたわけだが。

昨日、学生達に混ざったセッションで、若人達のよく準備された発表を聞きながら、負い目やら劣等感やらストレスやらを感じつつもはや開き直って発表してきた演題が、今朝になって「学生・若手発表賞の受賞」を告げるメールが届いていた。正直に言って、そんなことがあれば良いなとは思っていたが、メールを受け取った時には、まだ明け方の夢の中にいるのかもと考えたくらいだ。

最近はもう声を出すこともできないほど疲弊していた。正直、学会発表どころではなかった。
仕事から、あるいはもはや生きることからの逃避しか考えることができず、来週の連休の後に2日の有給休暇を取ったくらい。
全てを投げ出したくなった時になって、些細な成果を与えてくる自分の人生ってやつ、DVの合間に優しさを見せるパートナーみたいだ。そんなくだらないことを思う。

昨年のちょうど今頃、というか昨年の同じ学会の直前の頃になるが、多分そこそこの絶望感を抱えて生きていた。特に覚えていないし、強いて思い出したくもないけれど。
ダブルスの中級大会で優勝してもらった賞状は、なんだか人生で初めて報われた、評価されたみたいな気分になったものだった。テニスだって、自分にとってはずっと報われてこなかったものだから。

報われた想い、と考えていると、どうしても最後には2020年の春に行き着いてしまう。全てがどうでも良くなっていた時に見つけてしまった、希望みたいな人だった。DVの合間に優しさを見せるような精神性の人だったけれど、とあの時の経験を今は少し笑える。

今でも考える。あの時世界が終わっていたって、自分は構わなかった。今でもまだそう思っている。
あれから今日まで、心から幸せだと言える日はなかった。けれど、こうやって些細にも報われてしまうと、もしかしたらこれから、という気分にさせられてしまう。それが少しだけ悔しいよ。

若手(30)

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