消える街

数日前、気温が急に下がった時、空気は冬の静謐さを含んでいるようで心地良かった。今日にはすっかり煩わしい印象に変わった。雨が運んできた湿度の所為かもしれないし、鼻炎気味の体調の所為かもしれない。少しくしゃみが増えてきて、嫌な秋の気配を感じ取っている。

近所のメキシコ料理店が、来週の月曜で閉店する。その喪失感が今の自分の感情を覆っている。横浜からこの街にやって来た時、昔から見知った場所というのは、大きな心の拠り所だった。その一つだった徒歩圏内のショッピングモールは、一昨年の秋に跡形もなく消えた。今、もう一つが消えようとしている。

そのメキシコ料理店には小学校の半ばくらいには既に訪れていたと思う。奥行きのある店内。いつ使っているのかわからないバーカウンター。特徴的な帽子と古めかしい銃を持つ、誰かの写真。地下にあるトイレ。母や親戚に連れられて入った異国情緒に溢れる店の雰囲気は、今でも自分の心のどこかに一つの空間を作り出していると思う。
社会人としてこの街に暮らし始めてからも、テニスの後に友人と訪れたりしていた。去年の初夏にも、閉店間際に二人で入っていたっけ。もう遠く、何も覚えちゃいないけれど。最後に一度行きたいと思っていたけれど、問い合わせてみると、来週の月曜の閉店まで全て予約が埋まっていると聞いてひどくショックを受けた。電話越しの、ぶっきらぼうな印象の受け答えにも。

この街で好きだった場所が、次々に消えてゆく。冬の夜のショッピングモール静かな竹林。そしてメキシコ料理店。変わらないものがないということくらい分かっている。けれど、新しく何かを得ることのできない自分は、ただ喪失を重ねてゆくばかり。自分にとって、人生とは即ち喪失することであったか。喪失感ばかりが肥大化してゆく、かなしいいきもの。この街で今、好きな場所を数えることが出来ないから、やはりもうここを出てゆこうか。

最近はずっと死んだ僕の彼女を聴いている。これこそ自分が聴きたかったシューゲイザーだなどと思う。その小さな快哉の裏に、誰かの面影が見え隠れする。その不思議な引力を今まで遠ざけてきたのは、聴くほどに過去に近づいていくことを分かっていたからではなかったのか?


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