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バトンを渡そう

20代最後の日。

自分はまあ、特に何の意味も持たせることが出来ず、仕事中は昨日と同じくらいに眠く、昨日と同じくらいにやる気が出ない、昨日と同じような日だった。違うことといえば、今日は夕日が紅かった。


なんだか変な連絡の多い日だった。

家に帰ってぼーっとしていたら、大学時代の友人から鵠沼駅のアジカンのポスターの写真が送られてきた。メンバーの服の色は、サーフブンガクカマクラの緑なのか、四畳半タイムマシンブルースの緑なのか。完全版の緑の色は、七里ヶ浜スカイウォークの歌詞のように、昔と少し変わったような気がする。
「アジカンまだ好き?」と訊く彼女。アジカンは私の中の音楽のベースラインであって、揺るぐことはないです。
「誕生日じゃん!」って言われたけど私の誕生日は明日です。

サークルの後輩が「付き合いました!!」と嬉しそうに連絡してきた。
良かったね、と心から祝えないような気がした。地の底にいるのはこれで自分だけになってしまった。いや、彼女にとってはこれからが大変なのかもしれない。オトナだから、精一杯の祝福を込めて「おめでとう」と返す。

LINEのタイムラインを見ていて、職場の感じの良い後輩君が今日誕生日だと思い出す。
ついでに誕生日が近い人のリストを見ていて、見たくもなかった名前を見つけて勝手に嫌になる。ほら、連絡先を消しておかなかったから。これは自分の弱さが招いたことだよ。もうすっかり色んなことが思い出せなくなってしまった。


20代最後という日に何かを書くにあたって、普通は無理にでも希望的に締め括るのかもしれないが、自分の気持ちに嘘をついたって仕方がない。自分の気持ちに嘘をつき続けていると、そのうち自分の本当の気持ちが分からなくなる気がしている。もう分からなくなっているのかもしれない。「年齢はただの数字」ではなく、少しずつ、けれど確実に変わりつつあるものを日々感じている。

高校時代の或る12月24日にいなくなった志村さんは29歳だった。明日から自分は、志村さんが見ることのなかった世界を生きていくんだな。

2020年の春から続いた狂騒の世界がやっと終わりを見せ始めたというのに、自分は相変わらずどこまでも続く灰色の空のような気分で20代の最後を生きているし、多分明日からの30代もそうやって生きてゆく。ただ生きていることを繋いでゆく。
それでもいつか、ただ生きていることを繋いでいた日々があって良かったと、そう思える日が来れば良い。それだけを祈りながら、20代の自分は30代の自分にバトンを渡そう。色々あったね。お疲れ様。29歳っていう数字、なんだか好きだったな。

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