②『じいちゃんのごまどうふを継ぐ』
当時の状況
継いでからというもの、まず知ってしまったのは石本商店の現状。そういえば現状を聞かずに継いでしまった。
継いだ当時、1日20個のごま豆腐を週2回ほど製造していました。月に160個。当時1個200円。月商32,000円。
このときじいちゃんは80歳、辞める気まんまん。それでも常連さんからの要望に応え、少量だけ製造をしていたようです。それにしても、これはマズい。
社会人生活の3ヶ月間で頂いたお給料は全てバイクの購入費用に当ててしまったぼくは、貯金などあるはずもありません。
まず動き出したことはアルバイト探し。全然忙しいとはいえないごまどうふ屋との兼ね合いもあり、働き方がころころ変わりアルバイトも転々とします。それで結局夜勤のアルバイトに定着しました。
夕方にごま豆腐を作り、夜勤でアルバイト、朝にごま豆腐のパック詰めや配達、日中に予定があればそれをこなし、無ければ寝る。そんな生活が2年ほど続いたと思います。
習う・わかる
なんやかんやあれど、まずは秘伝のごま豆腐を作れるようにならなきゃ話になりません。じいちゃんはいわゆる職人で、イチからヒャクまで手取り足取り教えてくれるなんてことはありません。「やってみろ」とヘラを渡され、「そうじゃない」とヘラを奪われる。ひたすら観察して、動きの全てを真似する修行期間でした。
3ヶ月経ったある日、じいちゃんはいつのまにやら工場に現れなくなりました。
これが認められたのか、任されたのか、はたまた匙を投げられたのか。改めてこの時のことを聞いたことはないけれど、それ以降ぼくの作るごま豆腐に口を出すことはありませんでした。
材料は【ごま・くず・さとう】。
たったこれだけ。これらを水に溶いて火にかけます。火にかけたらドロドロと固まってきて、その重たいドロドロを、一生懸命練り続けます。
火にかけたら約40分、その場から離れることはできません。40分練り上げた、ツヤツヤしたドロドロを、型に流して一晩じっくり固めます。
これがごま豆腐の作り方。とってもシンプル。シンプルだからこそ、火加減,練り加減に気をつかいます。材料も製法もシンプルだからこそ、作り手の腕が試されます。
この戦いを40年以上続けてきたじいちゃんは、やっぱり凄い。工場で、ひとりになってみてわかったことでした。
1度目の値上げ
まだまだじいちゃんの味には及ばないけれど、なんとか人様に食べていただけるギリギリの商品を作れるようになりました。
そして任されたのか匙を投げられたのか、じいちゃんは工場に顔を出さなくなり一人立ち。商品を作れるようになったら次は売れるようにならなきゃいけません。
じいちゃんの代では卸売りがメインでした。毎日100個200個300個、たくさん作ってたくさん売ります。もちろん取引先は卸問屋、薄利多売の世界で汗をかいていました。
でもこっちじゃない。
薄利多売の世界で戦ってはいけない。というか、世界一美味しいごま豆腐なんだからちゃんとした価格で売るべきだ。1個500円でも売れるはずだ。そう思ってました。
「じいちゃん、いっこ500円で売ってみようと思う。」それを聞いたじいちゃんは、「いいかよく聞け、高くて良いものは当たり前、良いものを安く作るんだ。値上げは250円までしか許さない。」そう言いました。
販路開拓
じいちゃんに「売れるはずない」と断言され、反骨精神でどうにかこうにか売るしかなくなりました。
まず足を運んだのがJAが営む農産物直売所。できたばかりでとてもキレイ。当時はまだまだ生産者を集めたい様子もあり、商品を持ち込み、「ここに置かせてください!」とお願いしたら、快く受けてくださいました。
とりあえず売り先1件見つけたバンザイ!と喜ぶのも束の間。翌日から納品するも全く売れません。「食べてもらえれば絶対わかるのに…」。そんな気持ちはだれにも伝わりません。10個納品して翌日8個も余ってる。買ってくれてたのは店員さん。悔しい悔しすぎるデビュー戦でした。
「置いとくだけじゃ売れないんだ」。そんな当たり前のことすらもこのときはじめて理解します。
ならば、伝えながら売るしかない。
そんなタイミングで、母ちゃん経由の紹介で、なにやらマルシェのようなフリーマーケットのような、そんなものに出店させてもらえることになりました。
5〜6店舗ほどが集まり、対面販売をする、小さな小さな経済圏でしたが、ふと振り返ると今のごまどうふ屋は、ここから本当のスタートをきれたのかもしれません。
イベント出店
スモールすぎるスタートでしたが、農産物直売所では2個しか売れなかったものが、このときは、20個売ることができました。
直接伝えて直接売ることで、まずは試食して味を知ってもらうことで、ごま豆腐という馴染みのない食べ物でもちゃんと売れるんだ。
小さな小さな自信が芽生えました。
これに味を占め、お声かけいただいた出店案件は全てGOでした。毎週土日はとにもかくにも出店です。ポップなんて用意してなかったので、ダンボールに「亀田で40年!懐かしい味わいのごまどうふ 1つ300円」と殴り書き。
今思うとヒドイものですが、当時はこれでも精一杯。当時23歳の若い兄ちゃんが、ごま豆腐を作ってるらしい、そんな話題性だけでやっていたように思います。(...この頃からごま豆腐を買ってくださっていた方には本当に頭が上がりません。)
小さな出店販売の積み重ねによって、なんとか売れるようになってきました。しかし問題は直接売りにいかないと売れないこと。
まだまだ商品を置いておくだけでは全く売れない。身を削って出店して日銭を稼ぐ日々でした。
そして、そんな日々が約2年ほど続きます。この2年間にたくさん考えました。なぜ売れないのか、どうやったら売れるのか、クオリティには自信があるのに届かないもどかしさ。
「ごま豆腐って買ったことある?」
「ごま豆腐っていつ食べる?」
「ごま豆腐っておじいちゃんおばあちゃんしか食べなくない?」
こんな質問を自分に問いかけてみて、ようやくわかりました。
『日常でごま豆腐を買うキッカケが無さすぎる』
変えていかなきゃ
ぼくたちの日常生活において、ごま豆腐に触れることは限りなく少なく、別に食べたことがなかったとしても人生に大きな影響はありません。
"その程度なんだ"と自覚して、はじめて根本から見直す覚悟ができました。
パッケージを変えよう。
そして、ネーミングも変えよう。
この頃2017年、ここからがスタートだ!
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