自省録を読んだ

あまりにも暗い記事が多いのですが、これは違います。数か月振りの酷い「気持ちの落ち」をやらかしまして、数日前は泣き喚いていたのですが、すっきりしたのか今は晴れ晴れとしています。自分を痛めつけた痣はまだ残っているけれど過去に気をとられぬように、マルクス・アウレリウスが言うように私が直面しているのは現在だけであって過去を悔やんでもそれはもうただの燃えかすでしかないのです。同様に、いくらさきのことに心を悩ましてもそれを現在にまで分解したとき残るのはなんと小さいものでしょうか。たとえ一年前でも、今この瞬間でも、系統樹のはじまりはその瞬間なのである、選択肢は無限にあるのだ…などとそこまでの希望的な意見を述べるわけではないですが、過去の選択が今に及ぼす影響を考えたところであなたが影響されるのは「今、ここ」だけなのです。そして「今、ここ」で外界にある事項とあなたの気持ちはきちんと線引きをしなくてはいけません。あなたが抱えている不安はあなたの気の持ちようでどうにでもなるのです。必ずしも外界の出来事があなたに不安を強制しているわけではなく、あなたがそれを勝手に不安に変換してうけとっているのみなのです。
数日前と違い今は体調もよく、気持ちも落ち着いているわけですが、今後これがどうなるのか、それを不安に思いそうになる…それでは上記のことをなんにも活かせていないことになります。ということで今日の比較的凪いでいる心情を記録して、淡々とタスクに手をつけたいところです。