愛でるって、こういうことなのかも
お久しぶりです、shiです。
一週間ほど前まで、『毎日更新頑張るぞー!!』
と、目標を立ててnoteの投稿をしていたのですが、
これからはマイペースにまったり更新していこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします☺
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この前の日曜日。ずっとやろうやろうと思いながら、
だらだらと放置していた2つの初めてのことに、手を付けることが出来ました。
【靴下を補強したよ】と【靴を磨いたよ】というはなし です。
まず、ひとつめ。
【靴下を補強したよ】というはなし
お気に入りの靴下のかかとが薄くなってしまったので、何とかして長く履けないかなあと考えておりました。3足千円での購入じゃない、個人的にちょっと奮発した、かわいいやつ。
そこで、「刺繍糸で補ってみよう」と、頭の片隅に追いやっていたアイディアをついに実行。貼り付けるだけのアップリケでもいいかなと思ったけど、なんとなく ”手作業感” のあることをやりたいな、と思ったのです。
この純真なやる気とは裏腹に、
「やり方だけ見れば、細かいところはいいや。」
なんて、早速。私の悪いところが顔を出します。
【やろうと思ったことをやる】ことに価値がある。
そんな風に考えた時に現れる、私の適当部分。初めてだし、うまくできないだろう、と割り切っているからなのでしょう。
完璧に美しく仕上げるぞー! と、変に意気込む時も多々あるので、ムラの多い性格だなあと自分でも思いました。
という訳で、スマホで縫い方だけ確認。横糸を一通り通してから、縦糸を横糸の上下を交互に通していく、と。ふむふむ。
あとは針を持ち、糸を通し、いざ挑む。
そうやってまず片足に取り掛かってみると、横糸の長さを薄い箇所に合わせてしまったため、縦糸を通すのが困難になってしまいました。
縫い目の細かさにも、ムラが目立ちます。。
あちゃーと思いながらも、やり直すことはせず、うねうねと針をくぐらせていきました。【やろうと思ったことをやる】ことに価値がある、のです。
縦糸を上下交互にくぐらせることで、へたっぴでも ”編み上げられていく” 感を感じることができ、なんだか嬉しくなってきます。そうしてとりあえず縫い上がった片足分。
おや、なんだか…?
続いてもう片足分。
今度は先ほどの無鉄砲さから学習し、横糸の長さを揃えてみます。
…今度は少し広めに縫ったつもりだったけれど、確認のため履いてみると、かかとの生地の境目まで届かず。まあ、めだたないし。いっか。縦糸うねうねに進みました。
お、なんかそれっぽい!
そうして出来上がった、一足分の靴下。
並べてみると、だいぶいびつだけれど、ちょっと可愛らしい。
靴下のネップっぽいデザインと、色合いのバランスがなんだかいい感じ。
だいぶ時間がかかったのに、またすぐほつれてしまいそうな気もする。
けれど、ふわふわとした満足感が広がっていくような感覚で、にんまりとしてしまいました。これで、もう少し君を履くことが出来るよ。
毛玉やほつれは、愛着のしるしです。
*
ふたつめ。
【靴を磨いたよ】というはなし
私が毎日履いているのは、 Dr. Martens (ドクターマーチン)という革靴。
学生時代は台湾で購入した激安のエセマーチンを履いており、卒業式の袴にも合わせようとしていました。この時は友人に、「ちょっと足元がイケメンかな…」と上手に止めていただきました。
マーチンはとても人気で。電車に乗ると半径1m以内に、3足のマーチンが揃うこともあるのです。
そんなマーチン先輩を手に入れてからは、日々るんるんに履いています。それなのに、きちんとまともに磨いたことがありませんでした。
ほこりを払ったり、サッと拭いたりはしていましたが、徐々に汚れていく、私の先輩。
そうして先日、会社の同僚に、一度きちんと磨くことを勧められました。
革靴自体、この一足しか持っておらず、家では革靴を履く人がいません。
靴を磨くという概念もなく、靴愛好家みたいな人がやるものなんじゃないか…なんて先入観もあり、なかなか手を付けずにいました。
でもやっぱり、気に入っているし、長く履きたいなあという気持ちから、ついにクリーナーとツヤ出しクリームを購入。本当はその靴に合ったものがあるのだと思いますが、【やろうと思ったことをやる】ことに価値がある、のです。
雪がちらついた翌日とは思えないほどの、ぽかぽか陽気。
ひだまりの日曜日、上着を着てベランダに出ました。
手にはもちろん、マーチン先輩と、買いたての靴磨きグッズたち。
どうせなら、ビフォーアフターを比べたい。さっそく磨く前の一枚をパシャリ。
…うららかな陽の光のもと、もう少し大事にはいてあげよう? と大変申し訳ない気持ちになってきてしまいました。
実は一週間前に、とりあえず水でこしこしと拭いて、撥水スプレーをかける、なんちゃって靴磨きをしていた、先輩。その影はまったく見せてくれていません。履いたその日にはもう、この状態に。
さあ、靴磨きって、どのくらい美しさを取り戻してくれるのかしら。
お店に一種類しか置いていなかった、チューブ状のクリーナー。にゅっと出して、布でこしこし、と磨いてみます。
すると、白っぽく擦ったような汚れは、あっという間に綺麗に消えていきます。布にはくすんだ汚れがしっかりと拭かれていました。
水拭きと比べると、きちんと汚れが落ちて、革の質感が、なめらかになったような気がします。
そして靴磨きの醍醐味だと思っている、クリームに移ります。
手が汚れにくいチューブ状のものもあったけれど、それっぽくカッコつけたかったから、瓶タイプのものを選びました。やっぱり、気分の為には見かけも大事ですよね。
塗料っぽいものなのかな? と、何者なのかよくわからないまま布にとって、こちらもこしこし。
あれ、なんか、、光ってる…?
それが私の感想でした。
見違えるほどに、光ってる…
靴磨きって、汚れを落として、元の姿に近付けるもの。そんな風に捉えていましたが、綺麗にするだけじゃなくて、革の表面を補い、なんだかイキイキとさせてくれているように見えます。
革が固く、履き慣れていない時のマーチンは、マットなツヤが上品で素敵でした。でも柔らかく、履き心地の良くなった私の先輩。たくさん歩いたからこそ出せる革の良さや、ツヤがあるように感じました。
ビフォーアフターが激しすぎて、感動が止まりません。。
そして、磨いてから4日経った今日。ほとんど変わらない姿で、私の足を包んでくれています。汚れもなく、ピカピカです。すごいんです。
靴ひもがどっか向いているのには、気にしないでください。
なんだか、同じマーチン先輩を履いている人と並んでも、私の方がピカピカだよ! なんて、勝手に特別感を抱いたりして、少し性格がひねくれたようにも感じます。
クリーナーもクリームも、磨きたてがいいんじゃなくて、磨いてからのその先にも、価値があるんだなと思いました。
もう少し、はやく手を出していたらよかったな、なんて。
*
穴の開きそうな靴下を補う。
靴をきれいに磨いて、身に着けるものに気を配る。
なんとなく、二つの意味合いは違うのかなとも感じます。
整ったものを身に着けると、背筋もしゃんとする気がするけれど、
靴下の方は、縫った跡が可愛らしくて、気持ちが緩む。ちょっとけち臭くも感じます。。
でも正直、どちらも時間も労力も使う、手間のかかることでした。
なんで縫ってるんだろう? 磨いてるんだろう? って思い返すと、自分が大事にしたいものなんですよね。
これでもっと履けるよ~、綺麗になってるよ~、なんて嬉しくなりながら、手を動かしていました。手間をも楽しく、なんだか愛しい時間に思えます。
えぇ、靴下くらい、買い換えてもいいんじゃ。と、自分でも思ったりしました。でも、世の中には、様々な形でものを大切にしている人がたくさんいる。目を向けてみると、みんなが大事にしたいものも、様々だなあと改めて気付いたり。
みんなはどんなものをどんな風に大事にしてるんだろう、そんな風に気になるようになりました。
どんなに地味でも、見えなくても。
大事にしたいもの。ずっと身に着けていたいもの。
しゃんとさせてくれるもの。やさしい気持ちにさせてくれるもの。
愛でるってこういうことでもあるのかなあ、と思いました。