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図書室は私たちの巣窟

『ここはバド部の巣窟か?』

中学時代、社会科の先生にそう言われて、その言い方が気に入って、ケラケラと笑っていたあの日を思い出した。

私の部活の思い出は、もちろん必死になって追いかけたシャトル、泣きながら片付けたネット。爽やかさとは程遠い泥臭さが、友情や努力する意味を育んだあの瞬間たち。

けれど、ふと思い出す青臭い思い出はそれだけじゃなくて。

同学年は女子17人で構成された私たちのバドミントン部。その思い出は、熱気のこもった閉め切りの体育館だけでなく、図書室にもあったんだ。ちょっとしたギスギスとか、恋愛でのごちゃごちゃとか、そういうのももちろん思い出なのだけれど。

前期と後期、一年に二回ある委員会決め。クラスから2人出る図書委員を、A組からD組の4クラス、全て私たちバド部埋めていたのだ。


毎日お昼休みには、図書室へ。

お昼休みの図書室は、おしゃべりをしても許される空間だった。でも教室ほど騒がしくなくて、本の話を中心に友達に会いに行く場のようなものだった。いつもは必死で走り回っているバド部の仲間と本の話をしたり、部活以外の友達とも、いろいろな話をすることが出来た。午後のまったりとした日差しが心地よくて、お昼寝もしたくなるんだけれど、そんな穏やかな気分で友達と話せること。普段と少し違った面でみんなと会えること。それは退屈な授業と厳しい部活の学校生活のなかでの楽しみのひとつだった。

放課後にも図書室は開いていて、そこではまた違う時間が流れていた。
春風が吹く季節、たくさんの本に囲まれた図書室のカーテンが舞い上がる光景は、”自分は今学校にいて、ここは図書室だ” そんなことを忘れさせられるものだった。あたたかそうな夕日なのに、少しの寂しさを感じる黄色のような、オレンジのような不思議な光。ふくらんではしぼんでいく、薄黄緑色の大きな布。

わたしは”エモい”という言葉があまり好きではないけれど、”エモい”という言葉がしっくりくる光景、だったと思う。(それを表現する言葉が私の引き出しからはみつからないのだ)


私たちはそんな図書室で、面白かった本をすすめたり、感想を言い合ったり、充実した、純粋な時間を過ごした。特別な過ごし方でも、なんでもない。

自分が当番の日じゃなくても、一緒にカウンターに入って貸し借りの仕事を手伝ったりした。貸出カードに返却のハンコを綺麗に押すのが、私のこだわりだった。

貸出カードという存在が、今では懐かしい。ジブリの『耳をすませば』のように、誰が借りたかを目にしては、なにかを思った。
あの人が借りているなら、私も読もうかな。あ、じゃあ次は私に貸して。
友達と目を合わせてにやける瞬間。
・・・これも”エモい”という言葉を選んでしまうのが、ちょっと悔しい。


お昼を食べたあとの「図書室いこっ」は、当たり前だったけれど、今思い出すと、とても、とても貴重な時間を過ごしていたと思う。

そして、みんな仲がよかったなあ。


ちなみに、当時私が読んでいたのは恩田陸と、ダレン・シャン。

図書室にあった恩田陸作品は、全部読んだと思う。

『ネクロポリス』のラインマンの歌は覚えていたし(今はもう忘れてしまった)、『昨日の世界』は図書だよりに掲載するほどだった。

ダレン・シャンは、『ダレン・シャンシリーズ』ではなく、『デモナータシリーズ』にハマり、全10幕を、中学、高校、大学と合計3週した。今でも図書館に行けば探してしまう。
果たしてみんなはデモナータシリーズを知っているだろうか。ダークファンタジーに抵抗がなければ、デモナータ、オススメなんだけどな、なんて。

あとは、新井素子の『チグリスとユーフラテス』も好きだった。分厚いハードカバーの本で、なんと1ページが2段で構成されている。分厚い本を読むことに達成感を覚えていた当時の私には、素晴らしい作品だった。今の私には気合を入れないと読めないけれど。。
SFって、面白いなあなんてシンプルに感じた。


ときどき、愚痴をこぼしたり、カーテンの裏で泣いたり、そんなありきたりな苦さも、図書室でつくった。

本との出会いも、たくさんの会話も、友達の知らない一面も。図書室で生まれたものが、数え切れないほどあった。

体育会な部活と、文化的な図書室。もとからそこに隔たりはないけれど、どちらも踏み込んで過ごすことが出来た、何不自由なかった時間。


悔しいけれど、やっぱり、エモかったんだよなあ。

これは部活の思い出、というより、図書室の思い出かもしれない。

こんな思い出は、きっと、私たちバド部だけにあったものじゃないのだろう。
図書室は、私たち、みんなの巣窟だったんだ。

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