詩と死
先日、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったと知った。
私の記憶の中で谷川さんの詩と出会ったのは教科書に載っていた「朝のリレー」だ。
「朝のリレー」
カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球で
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交換で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
谷川俊太郎
それまで詩というものに対して興味が無かった私の目から鱗が落ちた。
幾度となく「朝のリレー」のページを開き頭の中で朝と共に行ったこともない世界を旅した。
私の中で言葉を強く意識するきっかけになったのは間違いなく谷川俊太郎さんのお陰だろう。
自分で詩を書いたり、川柳に手を出してみたり。
後に恋人に頼まれて曲の作詞をしてみたり。
高校生の頃は友人と通学路のアーケードの書店に毎日の様に寄り道をして読みたい本を探して買っては読みを繰り返していた。
もう人生であの速度で活字を読むことは無いだろうと思う。
推理小説、エッセイ、ホラー、詩集、音楽雑誌、興味のあるものはなんでも片っ端から読み耽っていた。
昼食代を削ってでも本が読みたかったのだ。
そして、スピッツのライブに通うようになったある時、草野さんがピーナッツのライナスのTシャツを着てきたのを見て単純な私は「可愛い!!」と即ピーナッツ信者になるのだ。
みなとみらいのピーナッツショップでスヌーピーグッズを買い漁る。
専門学校に行くバッグはもちろんピーナッツ。
真っ赤なスクールバス型のバッグだ。
オレンジ色のダッフルコートと真っ赤なバッグにヘッドフォン、厚底のゴツい黒のブーツで専門学校に通う私。
思い出すとちょっぴり恥ずかしいけれど、その時しか出来なかったんだから良いじゃないと笑い飛ばそう。笑
そして、ピーナッツ信者は再び谷川俊太郎さんに出会うのだ。
ピーナッツの翻訳者として。
「ビーグルハグ」について
握手より近いけれど
キスからはちょっぴり遠い
ビーグルハグ
言葉で言うと角が立つとき
言葉で言うのは照れくさいとき
言葉よりも役立つハグ
ただの挨拶代わりでも
抱きしめる強さと長さで
微妙に気持ちの彩が伝わる
笑いながらの再会のハグ
涙ながらの慰めのハグ
だが怒りのハグはあり得ない
かたくなな心がほぐされる
思いがけない笑みがこぼれる
ビーグルハグは平和のシンボル
谷川俊太郎
ピーナッツの面々は可愛いだけじゃなく、人間の中にある可愛くない部分もちゃんと描く。
皮肉もいっぱい。
だけど、谷川さんというフィルターを通すとなんだか優しくて、綺麗事を言ってるわけじゃないのに、なんだかスっと染みてくる。
偉大だ。
たくさんの言葉を紡いできた方の言葉はやはりすごい。
今、また谷川俊太郎さんの詩集を集めたい自分がいる。
こんな私でも、人の心に何かを残せる文章が書けたらいいなと日々思いながら過ごしている。
「あなたはそこに」
あなたはそこにいた
退屈そうに右手に煙草 左手に白ワインのグラス
部屋には三百人もの人がいたというのに地球には五十億もの人がいるというのにそこにあなたがいたただひとり
その日その瞬間私の目の前に
あなたの名前を知り あなたの仕事を知り
やがてふろふき大根が好きなことを知り
二次方程式が解けないことを知り
私はあなたに恋しあなたはそれを笑い飛ばしいっしょにカラオケを歌いにいきそうして私たちは友達になった
あなたは私に愚痴をこぼしてくれた私の自慢話を聞いてくれた日々は過ぎ
あなたは私の娘の誕生日にオルゴールを送ってくれ
私はあなたの夫のキープしたウィスキーを飲み
私の妻はいつもあなたにやきもちをやき
私たちは友達だった
ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も
谷川俊太郎
「死」
死は突然にやってくる何の説明もなくその死の上に秋の陽は輝きわたるやはり何の説明もなく
谷川俊太郎
谷川さん、貴方の言葉は永遠に生き続けます。
たくさんの素敵な贈り物をありがとうございました。
どうか安らかに。