
「悪魔の子」を聴いて涙がとまらないオタクより。エレン・イェーガーへ、愛をこめて。
ついに、進撃の巨人ファイナルシーズン、パート2の放送が始まってしまった・・。
いや、見られるのは嬉しすぎて感謝しかないのだが、またあの”メンタルがゴリゴリに削られる日々”がやってくると思うと若干こわくもある。
でも、めっちゃ嬉しい。
進撃オタクのみなさんはだいたい同じような心境ではないでしょうか。(しらんけど)
ということで、アニメ開始とともに爆発した、どうにも抑えられない気持ちをここに残しておこうと思う。
※この先ネタバレあり。「なるほどな!」と唸るような考察もありません。
ただただオタクがきもくて熱い気持ちをぶちまけているだけです。
それでもよければどうぞ。
どうしようもない
エレンのことを考えるたびに
「どうしようもないよな・・」
という気持ちになる。
守りたい人、信じたい正義、やぶりたい壁、どうしてもほしかった自由・・。
ぜんぶ、ぜんぶ、どうしようもなかったんじゃないかと思ってしまう。
「ミカサやアルミン、仲間たちを守りたかった」。これは紛れもない本心だと思う。
それと同時に「どうしてもやりたかったんだ・・」というのも、どうしようもない本心だったんだと思う。
どちらか一方だけなら、簡単だったのに。
「だれかを守りたい」という愛情と、「自由を手に入れる」という破壊的な衝動が同居している。
でも、人間ってそういうものなのかもしれない。
善と悪。どちらかだけを持っている人なんていない。
みんな相反する衝動をもっていて、それをなんとかバランスをとりながら生きている。
そんな、”人間のどうしようもなさ”を真っ正面から描いたのが、エレン・イェーガーという人なのかなと思っている。
みんな、自分の見ている世界しか信じられない
みんな、それぞれの”善”をもっている。
その人にとっての”善”は、いままで生きてきた環境や、触れあってきた人から自然と生まれてくるもので、言葉を変えると「正義」や「価値観」になるんだと思う。
でもそれは「その人の世界での正義」であって、他人にとってはどうでもいいことかもしれないし、むしろ「悪」かもしれない。
その”違い”を、人は敏感に感じとる。
「なんかあの子とは価値観が合わないんだよね・・」
そしてその”違い”を、人はかんたんには許せない。
「なんとなく合わないから、あの子とは話したくない」
”自分とは違う”。それだけで排除する。
世界中で起きている争いも、もとをたどればこの「違いを許せない、わたしたちのなかにいる悪魔の子」が原因なのかもしれない。
それなのに、よその国の争いを、まるで人ごとのように見ている自分がいる。
わたしのなかにも、だれのなかにも、悪魔の子はいるのに。
エレンはきっと、それを分かっていた。
だれのなかにも、自分のなかにも、どうしようもない悪魔の子がいると。
エレンはただ、そんな「悪魔の子を飼っている自分自身を受け入れて、信じる力」が人よりも強かっただけなんじゃないかと思う。
・・いや、信じるしかなかったのかもしれない。
「自分で自分の背中を押したやつの見る地獄は別だ」
自分のなかの悪魔の子も、世界中の人の命も、ミカサやアルミン、みんなの愛情も、夢も・・。
ぜんぶ分かったうえで、自分で自分の背中を押すしかなかったのかもしれない。
”自分がエレンの立場ならどうするだろう?”
かんたんに想像することはできないけど。
誰だって、”エレンになる可能性”をもっているんだと思う。
許されないこと
どんな正義があったとしても、人の幸せを奪う権利はだれにもない。
だから、エレンのしたことは許されないことだと思う。
「自由だ」
そう言って、嬉しそうに笑う小さなエレンは、その下で踏みつぶされる人のことは知らない。
そこには、自分の手を犠牲にしてまで、お金を盗んだ少年がいた。
すべては家族のため。家族とともに、貧しくも生きていきたいと願っていた少年の命を踏みにじった。
許せないと思った。
それと同時に、ただただ怖かった。
これがエレンの中にある「自由への欲求」。
その純粋すぎる欲求が、ただただ恐ろしかった。
「エレンは、許されないことをした」
頭では、わかっていた。
でも、それでもわたしは、エレンが好きだった。
だってわたしは、エレンの生き様を見てきてしまったから。
母を愛し、友に愛され、裏切られ、叫び、泣いて、抗おうとしてきた様を、すべて知っているから。
許されない・・わかっているけれど、どうしようもない”想い”がある。
これが”愛情”というものなら、これほど厄介なものはないと思った。
そしてこの愛情も、”わたしの世界のもの”でしかない。
きっと、エレンに踏みにじられた人たちからしたら、許せない感情だと思う。
・・そうわかっていても。
「悪魔の子」の終わり、炎に包まれて消えていくエレンを見ると、どうしようもなく涙がとまらないのだ。