息苦しさの正体は?サードプレイスで知った安心感
皆さん、ふとした時に息苦しさを感じることはありませんか?
あなたにとって、安心できる場所はどこですか?
私には、自分が安心して過ごすことができる場所が2つあります。
1つは家。
そしてもう1つは。
自分軸手帳部。
🔷息苦しさを感じた時
私は、先日ちょっとした息苦しさを感じました。
なんだかスッキリしない。
なんだかモヤモヤする。
そんな気持ち。
息苦しさを感じたのは、職場の面談の場ででした。
その面談は、「評価には影響しない。普段の業務や部署内で感じていることを、管理職の立場からざっくばらんに話してほしい」という上司のお言葉と共に始まりました。
面談は、終始笑顔で終わりました。
“業務は年々増えて大変だし、人は減る一方で業務の引き継ぎも難しい。
でも、効率化と費用対効果を考えて日々頑張っています!大丈夫です!”
というようなことを話しました。
なんとも耳障りの良い言葉。
別に嘘を言ったわけじゃないです。
ありがたいことに、今の部署は私にとって非常に居心地が良いです。
比較的やりたいことが自分の裁量でできて、直属の上司は仏のごとく優しさと自愛に満ちていて、自分のペースで仕事を調整できる。
…こうやって書いてみると、本当に恵まれていて、文句を言うのはワガママなのでは?
と、思う一方。
なんて息苦しいのだろう。
そう思わずにはいられません。
🔷息苦しさの正体
何故こんな息苦しさを感じるのか?
それは「“表に出して良いのはどこまでか”境界線を引くことに気を張っているから」だと気付きました。
嘘をついているわけじゃないけど。
綺麗な部分の本音だけを出して。
私不満はありません。
大変だけど頑張っています!
という面だけを見せている。
見せて良い部分とダメな部分の線引をして、“ダメな社員”という評価にならないよう見せたくない本音は隠してしまう。
まるで、いつ猛獣に食べられるか分からない不安と戦う草食動物のように、周りを警戒し、攻撃されないよう身を潜めて過ごしています。
🔷安心できる場所があるということ
そんな時、心安らぐことができる場所があると、息苦しさから開放されて「ここでなら、落ち着ける。本音を全部見せても大丈夫。」と思うことができます。
それが、私にとっては家と自分軸手帳部です。
家に帰れば、自分の大切な家族がいる。
どんな自分も受け入れてくれる家族がいてくれる。
それと同じように。
自分軸手帳部に入ると、優しく迎え入れてくれる部員さん達がいる。
拙い投稿や、些細な取り組みを心から応援してくれる部員さん達がいてくれる。
自分軸手帳部は、「手帳を通じて仲間と一緒に自分軸を育てるオンラインコミュニティ」です。
部員さんによって、部との関わりは違うと思いますが、私はダメなところもポンコツなところも、色々さらけ出しています。
職場では出せないような、
仕事が大変で心が折れそう。
終わるまで帰れなくて憂鬱。
重い仕事で不安いっぱい。
と言った弱音にも、皆さん温かく寄り添ってパワーを送ってくれます。
そして、逆に自分も誰かの頑張りを応援することができます。
子供が熱で、仕事を休んで看病している時。お弁当作りのために早起きして朝から頑張った時。
誰も気付かない、誰にも言えない日々の些細なモヤモヤや努力。
それを受け止めてくれる人達がいる空間。
安心できるって、なんて大切なことなんだろう。
大人になると、どんどん表に出せない面が増えていくと思います。
そんな息苦しさから開放されて、仲間と一緒に自分軸を育てることができる自分軸手帳部に毎日助けられています。
皆さんもサード・プレイスで、安心できる居心地の良さを体験していますか?