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教養として「戦略論」を再発見するマイケル・ポーター編 —— その②

マイケル・ポーターの個々の戦略フレームワークの解説の前に、ちょっと脱線して、ポーター戦略論の源流はどこにあるのかを探ってみようと思います。

遡ること130年以上前、イギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルは、1890年、畢生の大作といわれる『經濟學原理』(佐藤出版部|原題Principles of Economics)——この書籍は1919年に邦訳され、経済学の5大古典の一つといわれます——を著しました。

彼はその中で、生物と企業との類似性、すなわち生物が多数の細胞や器官が集まって成り立っているように、企業も大小多数の事業の集合体であるという着想から「産業組織」(industrial organization)という考え方を提示しています。

部分(細胞や企業)が集まって、全体(生物や産業界)は形成される——。そこでは、全体の振る舞いに各部分が影響される一方、各部分の振る舞いによって全体が影響されます。よくいわれる「部分は全体を表し、全体は部分を表す」ですね。

このような部分と全体の相互作用こそ、生物にも産業界にも共通する変化プロセスの核心にほかなりません。マーシャルは、このような考え方からindustrial organization(産業有機体)と命名したわけです。

企業を人体に例えたり、ビジネスを生態系になぞらえたりするのはいまでは一般的ですが、こうした生命論アプローチの足跡はそれほど昔のことではありません。世界の産業界を支配してきた基本原理は、即物的に表現すれば、企業とは「お金を稼ぐための装置」であるというものでした。

20世紀初頭において企業家必携のバイブルとされた、フレデリック・テイラーの『科学的管理法』(産業能率大学出版部|原題The Principles of Scientific Management)が発行されたのは1909年のことであり、この邦訳が出版されたのは1957年です。バブル崩壊が1990年代初頭で、それまでは先のような機械論が支配的でしたから、テイラー以前にマーシャルがひらめいた着想は驚くべきものといえましょう。

ここで、アルフレッド・マーシャルについてもう少し紹介すると、イギリスの経済学を代表するケンブリッジ学派(新古典派経済学)の開祖にして、ジョン・メイナード・ケインズの師であり、「経済学者は、冷静な頭脳と温かい心を持たねばならない」と述べたことで有名です。

マーシャルの産業組織という考え方は、やがて産業分析に応用され、ハーバード大学の経済学者エドワード・チェンバリンによって進化を見ます。彼は1933年に、The Theory of Monopolistic Competition(独占競争の理論)を出版します。

そして、同じくハーバード大学経済学部でジョセフ・シュンペーターの指導を受けたジョー・ベインが、1959年に上梓された『産業組織論』(丸善)において、その理論体系が確立されたといわれています。産業組織論の体系化に大きく貢献した研究者のほとんどがハーバード大学の経済学者たちであったため、チェンバリンやベインらは「ハーバード学派」と呼ばれました。

19世紀後半のアメリカでは、自由競争によって独占資本の形成(集中度)が進むと、大企業が強大化したことで、むしろ逆に自由競争が阻害されるという事態が生じていました。アメリカ産業史において典型例として取り上げられるのが、ロックフェラー家が経営し、国内の石油精製能力の90%を保持していたスタンダード石油です。

連邦議会は、こうした独占・寡占の動きに規制しようと立法化に動きます。1890年にシャーマン法を制定し、最終的には1911年、スタンダード石油は34の新会社に分割・再編されます。なお、いわゆる反トラスト法(独占禁止法)は総称であり、その中心となるのは、このシャーマン法のほか、1914年のクレイトン法、同年の連邦議会法の3つです。

シャーマン法の正当性を理論的かつ実証的に裏づける論拠を得るために、政府が力を借りたのが、ほかでもないハーバード学派です。ハーバード学派の言い分は、「集中度/利潤率仮説」、すなわち集中度が高いと利益率が高くなり、提携や協調的な行動、競争を制限する行動によって超過利潤が生じるというものであり、言い換えれば自分たちに有利な企業行動が広がることで一人勝ちの状況が生じるのだ、と。

彼らは、独占や寡占が起こるメカニズムを明らかにするだけでなく、これらを防止する方法を研究していました。その主要なツールの一つこそ、「SCP(structure-conduct-performance)モデル」です。ようやくここで、ポーターとの関わりが具体的に見えてきたのではないでしょうか。

このモデルは、その名が示すとおり、以下の3つの視点から、産業や市場、あるいは企業の収益性について分析するものです。

 ❶業界構造(structure):
     購買者の数、業界内におけるライバルの数、製品の同質性あるいは
    差別性、市場参入と市場退出のコスト、市場の集中度など
 ❷企業行動(conduct):
      プライシング、R&D、投資、マーケティングなど
 ❸業界収益性(performance):
       生産や資源配分の効率性、雇用水準、技術進歩のスピード、収益性など

ところが、1960年代になると、反トラスト政策の緩和から、市場メカニズムによって資源の最適配分と経済の効率化を図る方向へと経済政策の転換が図られたことで、ハーバード学派は衰退していきます。

取って替わったのが、みなさんもよくご存じのシカゴ学派です。その急先鋒であるシカゴ大学のミルトン・フリードマンの著作『選択の自由』(日本経済新聞社)で記されているように、シカゴ学派の人々は、政府による個人や市場への介入を最低限とすべきと考え、市場原理と自由競争を旨とするネオリベラリズム(新自由主義)を信条としています。

1980年代にあっては、ロナルド・レーガン大統領が主導したレーガノミクス、イギリスのマーガレット・サッチャーによるサッチャリズムなどがネオリベラリズム政策の典型であり、彼らは「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」といった言葉を頻繁に使っていました。

これ以上はさらに脱線してしまうので、産業組織とマイケル・ポーターに話を戻しましょう。

私が『ハーバード・ビジネス・レビュー日本版』の編集長だった時、ボストンにある本家英語版編集部のシニアエディターが「ここだけの話だけど」と前置きして“He is a difficult man.”であると。実はポーターが気難しい人であることは、ダイヤモンド社に入社した時に先輩編集者から聞いていました。いわく「来日した時、まだ日本ではそれほど浸透していないダイエットコークを要求して、探させたんだよ。まぁ何とか見つけられたからよかったんだけど、何とも傲慢不遜な態度だった」。余談ですが、この来日の際、マッキンゼー・アンド・カンパニーの大前研一氏が講演会場にノーアポでやってきて、開口一番「ポーターに会わせろ」と上から言ってきたそうで、以来大前さんはダイヤモンド社出禁になりました(その後和解)。

ポーターの傲慢には理由があるといわれていますが、こんな心の声が聞こえてきます。
「私こそ、ハーバード学派の正統なる後継者ではないか」
「私の研究成果のおかげで、ハーバード経済学部もビジネススクールも、こうして捲土重来できたのではないか」
もちろん、あくまで想像ですが——。
(つづく)

執筆者プロフィール
ゴールドラット経営科学研究所 主席研究員
岩崎卓也 (いわさき たくや)

休刊寸前だった『DIAMONDハーバードビジネスレビュー』を立て直し、同誌の編集長を足掛け15年間務める。その後、プライム市場上企業の取締役と執行役員約2万人を読者に抱える『ダイヤモンドクォータリー』を創刊し、編集長として7年間務め、現在論説委員。30代前半、日本でコーポレートアイデンティティ(CI)活動を最初に手掛けた元東レの佐藤修氏、当時マッキンゼー・アンド・カンパニーのディレクターの横山禎徳氏(故人)、江副浩正氏のブレーンを務めていた横山清和氏の3人から、奇しくも同時期に「1日3冊」の読書を勧められ、立花隆『「知」のソフトウェア』(講談社現代新書)に書かれているように、3年間ページをめくり続けた。その反動から、いまでは漫画をこよなく愛す。長野県立大学で「映画やドラマになった企業家たち」というテーマで教鞭を執る。