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日本の大学研究者が世界で戦えない理由

記事の更新がしばらく途絶えていました。前回に続き大学研究者として働いてきた経験から見えてきた日本の大学研究者の抱える課題についてもう少し書いてみたいと思います。

今回は研究についてです。文科省は研究成果の国際比較のために、科学技術指標と言うものを毎年公表しています。

この指標では、研究者の書いた論文がどれだけ他の研究者から参考にされ、つまり「引用」されているかを調べて、その引用された論文数を世界各国の間で比較しています。

引用が多いと言うことは、それだけその論文の価値が認められたことになり、世界水準の研究論文である証左になります。

2022年に文科省から公表された結果では、日本は世界の中で10〜12位となっています。研究者人口や研究開発費では世界3〜4位です。

ということは、日本の研究者の研究はコスパが非常に悪いと言うことです。人やお金をかけている割には、世界に通用する研究ができていないと言うことですね。

これは、なぜなのか。私が海外で見聞きしたことをもとに私見をお話ししたいと思います。

本日のメッセージ
日本の大学に所属する研究者は、研究に使えるリソースが少なく世界で一位流の研究者になることは難しい。世界的で通用する研究を行うには大学での働き方改革が必要。

日本の大学研究者の仕事はマルチタスキング

大きな原因は日本の研究者は研究以外の仕事が多過ぎて、研究する時間がかなり限定されていると言うことです。

もちろん全ての研究者がそうだとは思いません。しかし、かなりの割合で日本の大学の研究者は欧米各国の研究者よりも、研究以外の仕事に多くの時間を取られていると思われます。

近年は大学教員にも業績評価がなされるようになりました。それにより、給与の一部が上下します。教員も終身雇用ではなく、ほとんどの大学が3〜5年、あるいは10年の任期制になっていると思います。

私が助手として大学へ勤め始めた1980年代には、大学の研究者は終身雇用であり、かつ教育の成果はあまり期待されていなかったと思います。とにかく、研究をして論文を書いていくことが求められていました。給与には反映していませんでしたが。その業績評価は論文の数だけで決まっていたと言っても過言ではありません。

しかし、日本も2000年に入り国立大学も法人化が進みました。国立大学でも「経営」に足を踏み入れることとなりました。今は当たり前でとなりましたが、教育は大学の経営にとって大きな柱であり教授法を改革することはもちろん、多くの質の良い学生を集めることが必要になりました。経営にとって資金を調達することは重要で、授業料はその大きな一部です。ですから、退学・休学を予防し大学の収益を減らさない努力が必要になりました。

つまり、教員は研究だけに没頭していることはできなくなったと言うことです。

多くの大学はアドバイザー制度をとり、退学や休学を予防するために、日頃から個々の学生の相談に乗り、時には母親や父親を含めた三者面談を行い、学習動機を高める支援をします。また、時には転部などの進路変更への助言をしたりと、講義やその準備をしていれば良いのではなく、担当する学生の生活支援にもかなり丁寧に介入することとなりました。

また、多くの受験生獲得に向けてオープンキャンパスを開催するだけではありません。高校まで訪問し、進路指導の先生に自分の大学の良さをアピールすること、あるいは高校生へ模擬講義をして関心を高めることも必要です。

また、大学の地域開放はもう当然のことです。大学を開けていればいいわけではありません。地域の住民さんへ、専門の内容をわかりやすく説明し還元していくことや、相談所を開いて直接サービスを提供することもあります。公開講座を有料にし、資金集めも重要な仕事です。

このような仕事をしていると、当然大学へは毎日出勤し、そして会議や準備に時間を取られることになります。

自分の講義の準備が後回しになることも多く、夕方5時過ぎても大学に残って仕事をするか、あるいは自宅へ持ち帰り夜遅くまで仕事を続けるかのどちらかです。

そして、研究はこの仕事の後に行うことになります。

研究をするには、ある程度のまとまった集中する時間が必要です。しかし、それが取れるのは本当に限られた時間だけで、夜遅くか土日だけとなってしまいがちです。

疲れて結局、良いアイデアが浮かばなかったり、見切り発車で研究を進めてしまうことも多々ありました。これは結構ジレンマであります。いい研究をしたいのに、それに時間が保証されていない。

しかし、周りを見回すと皆同僚は同じ状況であり、自分だけが「研究に没頭したい」と言えば、自己中心的と見なされてしまいます。

カナダの教員の働き方

同じ時期に私の友人がカナダの大学で准教授として働いていました。どんな働き方をしているんだろうと気になっていました。

共同研究の成果を発表する学会で一緒になった時、その友人と話す機会がありました。友人は大学から離れたところにマンションを借りて住んでいて、通勤が大変そうでした。そのことを伝えた時、その友人は「自分の講義のある時にだけ大学へ出向くので大丈夫」と言ったのです。

それを聞いた時は衝撃的で、本当に「羨ましいな」と思ったのを覚えています。それと同時になぜ日本はそうならないのかなとも思いました。

聴いていると、もちろんその友人も大学の委員会活動に参加をし、大学運営には時間を取られることもあるとはあるようです。しかし、その時間はおそらく日本の大学の教員とは比べ物にならないくらい少ないと言うことです。1週間の7日のうち、土日をのぞいて3日は自宅で自分の講義の準備か研究に専念できる時間を保証されていると言うことです。

また7年に1度、サバティカルと言って1年間の長期休暇が取れます。その間は大学院の学生の指導は継続するみたいですが、講義をすること一切ありません。大学運営の活動からは解放されます。

このサバティカルは研究をする上でとても有効、かつ必要なことだと思います。長期間働いていると、心身ともに疲弊してしまいます。疲弊した頭ではなかなか良い研究のアイディアが生まれません。やっぱり、休むことによって創造性は高まるし、研究能力を維持できます。またその方が研究成果を出すためのコスパもいいと思います。

私は、このような効率の悪い仕事の仕方が、欧米諸国が日本よりも世界的に通用する論文をより多く生産することを可能にしていると思います。つまり、世界の大学研究者の間の研究成果の差となって出てくるのです。

研究費の額

次の課題は研究費の額とその使い道です。

日本では、大学の研究者には競争的研究資金と言って、自分の研究計画を研究を助成する国や民間の機関に提出して、その内容に応じて研究資金を配分してもらうと言う仕組みがあります。

スタートアップ企業がベンチャーキャピタリストに投資を依頼する時のようなものですね。自分の研究の社会的意義や実現可能性などをわかりやすく説明し、納得して資金を出してもらえるように計画書を工夫して書きます。

その一つに科学研究費と言って国が出す研究費助成金があります。これはほとんどの大学研究者が応募するものです。申請する分野や種類によって異なりますが、大体応募者の2〜3割ほどがもらえます。私は、採択された時は3年間で最高500万円ほど支給してもらっていました。これで研究ができる、頑張るぞと思ったものです。

しかし、私とほぼ同期の別の友人がカナダのある大学でもらった研究費の額を聞いて愕然としたことを覚えています。数千万円以上、つまり私のもらえる何倍もの研究費を国からもらっていたからです。もちろん5年計画の研究でもあるので多いのは当たり前かもしれません。しかし、そうとしても額があまりにも違い過ぎます。

私の研究費の額を聞いて、友人に「たったそれだけ」と笑われたことを思い出します。

しかし、もっと驚いたのは、その研究資金の用途です。その友人によると、研究時間を確保するために、研究中に自分の講義を代わりに担当をする教員を雇用できると言うのです。

その友人は年間4科目を当時担当していました。その4科目のうち、3科目まではその研究資金から非常勤講師を雇用できることになります。前回の記事でも書きましたが、カナダでは非常勤講師に対し1科目につき150~200万円の給与を支払います。

と言うことはもし150万円として3人、それも5年間となると、2,000万円以上のお金を支払うことになります。これから、この友人の研究費はおそらく軽く5,000万円を超えていると予想されます。

日本でも科学研究費5,000万円以上をもらっている研究者は少ないながらおられるます。ただ、この場合研究者としての実績が長い人がほとんどで、よほど過去の業績がなければ難しいのです。

私の友人は教員経験が数年のまだまだ駆け出しの研究者でそれだけの額をもらっていたのです。過去の実績がなくても、その研究から得られる成果が社会にとって有用でありかつ意義があると判断されたのだと思います。

このようなより若手の研究者へどんどんその可能性を託し、研究資金を配分し、そしてより研究しやすいように支援するとういう仕組みが、カナダが小さい国ながらも有益な研究を生み出す結果につながっていると思います。

カナダとは人口約4,000万であり、研究者人口は日本よりはるかに少ないはずです。また、大学の研究開発費でも世界4位の日本よりはずっと少ないと予想されます。しかし、引用された論文数は日本よりも多くなっています。日本は世界10〜12位ですが、カナダは7〜8位です。

日本の大学の研究者では世界で通用する論文を作成するのは難しい

私は、カナダへ留学した当初は「せっかく、留学したのだから世界で通用する研究者になりたい」と思いました。

カナダで大学教員として働こうと就活もしておりました。ただ、同時の高齢の母の世話が必要となり、日本に残して一人海外へ出向くことができなくなり、断念しました。

この時点で、私は「世界に通用する研究者」への道は諦めました。日本で研究者としてすでに10年以上働いた上で、海外に留学しましたので、日本に戻れば自分がどういう労働条件で働かねばならないか十分過ぎるほど分かっていたからです。

カナダの友人の働き方を見て、能力というよりも環境的に太刀打ちできないと思いました。能力は自分の努力で超えられます。でも環境は自分一人では変えられないからです。

構造的な問題はそんなに簡単には変わらないと思います。ただ、日本が本当に世界に通用する研究を生み出したいのであれば、今のような大学研究者の労働環境を放置していては、所詮世界では通用しない三流の研究者しか産まないと思います。

残念なことだと思います。

ではでは






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