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63歳の挑戦:コミュニティ・ビジネスで地域とつながる

わたしが約40年間勤めた教育・研究職を2022年の3月の末で退職し、10か月が過ぎました。62歳でしたから、ほぼ定年退職です。

さて、人生100年の時代、人生の次の章をどう生きるのか。

わたしの出した結論は、自分の住む地域の「コミュニティ・ビジネス」の起業へ挑戦することです。

簡単に決めたように聞こえるかもしれません。

しかし、ここへ至るまでに、わたしには越えないといけない、いくつかの高いハードルがありました。

わたしと同じように60歳過ぎで『ライフ・シフト』を目指す方への参考になればと思い、体験を共有させてもらいます。

今日のメッセージ
「老後に大事なのは、お金よりも、人とのつながり。大切なのは老後の資金を貯めることではなく、自分の住んでいる地域の人とつながること。」

違う世界に一歩を踏み出せない

退職後、非常勤の教員として同じ大学に残ることもできました。また、他の大学から正規の教員としてのオファーもありました。でも、体力的に無理だと伝えすべて断りました。

しかし、本当は、体力がないというよりも、大学教員を続けることに「しっくりこない」というのが正直な気持ちでした。

退職する数年前から、自分の働き方・生き方に対し、「このままではいけないんじゃないか」という気持ちがありました。

それが、何なのかは当時ははっきりと人に伝えることができませんでした。自分でもよく理解できていなかったのです。

もし、わたし自身が、その仕事で心から社会の役に立っていると思えていたら、多分やめていなかったと思います。

25歳から大学に身を置き、教育・研究で与えられた役目に対しに、自分としてはベストを尽くしてきた、という自負はあります。

おかげで、上司や同僚、また学生からも信頼され、辞める時は皆引き止めてくれたほどでした。

一方で自分の気持ちは吹っ切れないものがありました。

長い間働いてきた割には、やってもやっても「砂上の楼閣」のようで、積み上がらず、自分が教育・研究者として「社会の役に立っている」という充実感がどうしても持てなかったのです。

でも、当時はそれがなぜなのかは自分でもわかりませんでした。

悶々とする日々

退職してから半年間は、雇用保険をもらいながら働かず、家で体力回復に努めました。

雇用保険の支給が終わった11月ぐらいから、なんとなくそわそわとしてきました。収入がなくお金が減っていくのは、あまり愉快ではありません。

そこで、ハローワークで仕事を探し、官公庁での簡単な仕事に応募してみました。

でも、もともと大学の教員しかしていないような人間です。相手は「口先ばかりで役に立たない」、「偉そうで、指示を出しにくい」と思ったのか、不採用になってばかりでした。

そもそも雇用されること自体に辟易していましたから、数件の不採用の後は仕事を探すことはあきらめました。そして、独立して個人事業主として仕事をすることに気持ちを切り替えました。

しかし、大学で教育・研究者としての業績だけで、独立してできることは、本を出版するとか、研究の指導をするとか、その程度のことしか浮かびませんでした。

大掛かりな新しいビジネスで起業するということは、失敗するリスクもあります。老後の資金をもっと貯めないといけない、と考えていたこの時の私にはリスクをとる選択肢はなかったのです。

つまり、自分が今まで所属していた大学研究者・教育者としての枠からなかなか外へ踏み出せないでいました。

若い人から教えてもらった

そんな中、私は一人でもできる「ネットビジネス」という働き方に関心をもちました。そして、フリーランスとして活躍している数人の若いインフルエンサーの音声配信や無料の講座のビデオを聞いたり、みたりしていました。

その中で、一人、しゅうへいさん という方がいます。この方は30歳代の若い方です。大学を出て東京で就職したのですが、うまくサラリーマン生活に適応できず、借金を抱えたまま四国の愛媛に戻りました。その後、フリーランスとなり再起して成功した方です。

このしゅうへいさんは、きっと多くの人の間で「500万円のサラリーマン債務者からへ年商3000万円のフリーランサーへ」と成功した事実が知られていると思います。

しかし、私はそのフリーランサーとしての成功よりも、しゅうへいさんの人柄にとても興味を持ちました。

お母さんと近くにお住まいなのでしょう、時々お母様のことが話題に上がります。お母様のことを大事に思い、家族がとても良い関係を気づいておられる様子が伝わってきました。

また、地元の人たちとの付き合いの話も時々話題になります。それを聞くたびに、しゅうへいさんは、地域と深く関わっておられ、その地域の人々から慕われていることが伝わってきます。

これは、ご本人は意識していないと思いますが、家族や地域と「助け合い」ながら、いつも「一緒に生きているな」という感じがします。

つまり、ちゃんと地に足をつけて生きている。それがとても新鮮でした。

もう一人います。キングコングの西野さんです。私は、ビジネスを勉強しようと、一時、西野さんのオンラインサロンのメンバーになっていました。

エンタメだけでなく、ビジネスのセンスが高い方で、目から鱗が落ちるような話をされます。記事や音声配信ではいつも勉強させてもらっています。

でも、一番関心を持ったのは、エンタメでもビジネスの話よりも、西野さの地域やコミニュティづくり、また家族に対する価値観です。

オンラインサロンのコミュニティもそうですが、地元の川西市に自分の家を建て、そこで地域の人たちとのつながりを大切にされています。

芸人やエンタメの世界で働き出せば、一般には自分の家族や地元とは関係が薄くなってしまうと思います。

西野さんは、そうではなく、自分の仕事をする、つまりお金を稼ぐ動機に、家族やコミュニティ、地元の人たちとのつながりがあり、そこに還元して、一緒に地域やコミュニティを作っていくという考えがあるのです。

やっぱり地に足がついている。

わたしが40年間で失ったもの


なぜ私がこんなに、この二人の生き方に惹きつけられたのか。

それは、私が40年間働いている中で、得ることができなかったもの、いや、向き合ってこなかったもの、そして失ったものだからだと思います。

1980年代の初頭から社会に出た私にとって、家族も地域も犠牲にして、優先というのは当たり前のことでした。つまり、日本経済の発展のために、家庭も地域も犠牲にしてきたのです。私のように未婚で子供がいなければ、男性と全く同じ役割を社会からは期待されるのは当然です。

だから、わたしは大学の教育者・研究者として大学の発展(つまり経済)に貢献するよう期待され、それにはちゃんと応えてきたのです。しかし、家族や地域と向き合うことはしてこなかったということです。

時代は変わり、平成になり令和になり、日本社会は能力主義に向かいました。そこでは、会社や組織への貢献よりも、「個人として成果を出す」ことが大事になってきました。

そして、私たち日本人は、いよいよ個人主義化してしまい、家族や地域どころか、日本経済にも貢献することが、必ずしも正義ではなくなってきました。

多分、私が大学を辞めた時に、感じていた何かしっくりこないものとはこのことだったのです。

いくら自分がベストを尽くしても、その結果をどこにも紐づけることができなかったのです。何に役立つのかわからない。自分がどこへいくのかわからない。

だから、何十年働いてきても、「砂上の楼閣」だったのです。

社会とつながりたい

わたしのような人間は、職場を離れてしまえば、所属する社会が全くなくなってしまいます。

つまり、私は今自分がアイデンティティを再構築する場所を持っていないのです。

そんなことにだんだん気づかされたわたしは、地域との接点を求めてボランティアへ出向くことにしました。

私は、母を3年間介護した経験があります。その時の体験から今の日本社会では、要介護状態になった高齢者とその家族が今の介護保険サービスだけでは、介護をすることが難しい状態にあることを知っていました。

母の時に苦労をしたために、私は、同じ状態の人たちに何か支援ができないか、といつも思っていました。

そこで、似たような活動をしているボランティア団体をネットで探し、その事務所を訪ねました。そして、週1日だけボランティアとして働いてみることにしたのです。

大事なのは、お金ではなくて、人とのつながり

ただ、この時私は、また自分の老後の資金のことが気になっていました。

ボランティアはいいが、個人事業主として収益を上げる仕事がまだできていません。

自分が収益を上げることが優先で、ボランティアが邪魔にならないようにしないといけないと思っていました。

でも、ふっと気がついたのです。

「あれ、また私自分のことだけ考えてない?」「自分の老後の資金のことだけ考えていない?」

自分の地域でも困っている人がたくさんいるのに、自分の年金の心配だけしている。これは、また「個人主義」が顔を出し始めています。

全く老後資金がないわけではない。ただ、不安だからもっと貯めたい。自分だけが助かりたいのか?

自分だけが救命ボートに乗れればいいのか。みな一緒に乗るべきじゃないのか。

言い方を変えれば、家族や地域で助け合う人がいれば、もっと老後資金は少なくて済むかもしれない。

全部自分で介護状態を乗り越えようとすれば、資金がいくらあっても足らない。

つまり、自分のことだけ考えていては、自分も周囲も幸せになれれないと、また気がついたのです。

私が守らないといけないのは「お金じゃない」のです。必要なのは、お金よりも「人とのつながり」なんですね。

60歳超えてこんな当たり前のことにようやく気がついたんです。

起業してみよう

そこで、私は、小さくてもいいので、地域の人たちとつながることのできるビジネスを起こしてみようと思い始めました。

もちろん、ボランティアでは長続きがしませんので、きちんと収益を上げるビジネスとして立ち上げていきたいと思います。

経験もありませんし、成功するかどうかもわかりません。

でも、長い間働いてきたので、今まで築いた人脈とか、長年培ってきたスキルや知恵など、自分の強みがあるはずです。

それに挑戦することが、私が行うべき社会貢献だと思います。

地域の人たちのところへ出向いて、私自身を知ってもらうことが必要です。困っていることは何かを教えてもらうことも必要です。

さっそく出かけてみようと思います。

時間はかかるかもしれません。うまくいかず挫折するかもしれません。でも、あきらめずに続けてみようと思います。

一つずつハードルを超えていきます。

私の人生の次の章(チャプター)をようやく1ページ開くことができそうな気がします。

長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

ではでは





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