働く女性の介護体験記(10) 悔いのない最期
今回は、働く女性の介護体験記シリーズの10回目になります。
今日は、一旦自宅に帰った母が、特別養護老人ホームに戻った後の話になります。
お伝えしたいメッセージは、「親を介護することは、親子関係でできた溝を埋める最後の機会になるかも」ということです。
1:特別養護老人ホームに帰ってからの母
特別養護老人ホーム(特養)にもどってからの母は精神的におちついていました。
体の方は、2か月ほど病院に入院していたこともあり、衰えていました。
ただ、家にいる時よりは、ずっと元気にみえました。
これは、特養の介護士さん、看護師さんたちのプロの皆さんのおかげです。
家にいる時は、家政婦さんと、そして、わたしの介護では、最低限のことしかできませんでした。
だから、母はベッド上でずっと寝たまますごしていました。食事も排泄も介助が必要だと思って、やっていました。
でも、介護士さんや看護師さんの目からめて、母は自立できるレベルだったんですね。
だから、母は特養に帰ってからは、移動こそ車椅子を使っていましたが、それ以外は自分でできていたんです。だから、母をよくしらない人がみると、何の介護も必要のない、元気な人に見えていたと思います。
実は、母はこのまま、ほとんど自立した状態で、最期を迎えることになるんですね。だから、母の望みであった「ピンピンコロリで死にたい」ということは、ほぼ達成されただろうと思います。
これは、家でわたしが一人で看取った場合には、全く不可能であったことなんです。
特別養護老人ホームでの介護士さん・看護師さんたちの努力には、本当に驚きとともに、感謝の気持ちでいっぱいでした。
2:もう病院にはもどらないという決断
さて、そんなある日、特養から仕事をしているわたしの携帯に電話がなりました。
看護師さんからだったんです。「お母さんが肩呼吸をしはじめているので、娘さん今夜から泊まっていただけませんか」とのお願いです。
肩呼吸とは、肩をあげさげしながら、呼吸をする状態で、これは、呼吸機能がかなり低下していることを表します。
だから、看護師さんは、もう母はそんなに長く生きられないと判断したのだと思います。
そして、わたしはさっそく、約束どおり、特養に泊まる予定で、荷物をもってでかけました。
幸い週末であり、わたしの仕事も休みで、主治医の往診に立ち会うことができました。
主治医は、母の胸のエックス線写真をとり、そしてそれをみ見て、「これはすごいなー」と言いました。
その写真では、母の左の肺は真っ白でした。これは、専門用語で「無気肺」といって、肺が潰れて空気がまったく入っていない状態です。
つまり、母の左肺はもう使えなくなっていて、右側の肺の残った部分でかろうじて呼吸ができている状態です。
通常であれば、ここで、母は救急車で運ばれて入院ということになります。
そこで、主治医は、「どうしますか」とわたしに聞きました。主治医はわたしに、母の延命をするのか、あるいは、このまま最期をみとるのか、ということを確認しているのです。
母の主治医は、もともと在宅にいるがんのターミナル期の患者さんを診ることが専門であったので、このような場面には慣れておられるようでした。
これが大学病院の医師だと、すぐに、治療して延命ということになるのだと思います。
わたしは、母のもう入院したくない、と言う意志もわかっていましたしたので、「先生もう母は病院には行きません」と言いました。
主治医はうなづきながらも、母に向かってと「本当にいいのですか。病院に言って水を抜くことができたら、大丈夫なんですけど」と念を押して確認しました。
母は、しっかりした声で「もう(病院には)行きません」とはっきりと言いました。
それで、主治医は「わかりました」と言って記録をしていました。
3:迷いのない決断
わたしは、おおよそ3年前に、母がはじめて倒れたときに、搬送された救急病院でのことを思い出していました。
その時、救急の医師が、母ではなく、家族のわたしに、延命の意思確認をもとめたのです。
わたしはあの時に、気持ちが揺らいで母の延命を求めました。これは母の意志に反した出来事ことでした。
今度は、母の延命をしないと言う決断に、わたしの気持ちは1ミリも揺らぐことはなかったです。
これは、母の介護がたいへんでだから、もう母の介護をしたくないと思ったからか、と言う解釈もできるかもしれません。
でも、わたしは、多分それは違うと思います。
というのは、もしわたしがそう思っていたら、逆にわたしは母を延命していたと思います。
それは後悔にしかならないからです。
母の介護をはじめて、3年近い年月がすぎていました。
その間に、山あり谷ありで、多くの人に支えてもらいながらも、母の介護を乗り越えてきました。
介護をするまでは、仕事に追われ自分のことばかり考えていました。そのため、わたしはそれまでに母に、できなかったことや、伝えられなかったことがいっぱいでした。
ですから、あの時は、このまま、母に死んでしまわれることが、そして、その後に後悔を背負って生きることが、怖かったんですね。
あの時は、わたしと母の間には、埋めなければならない大きな溝があいたままだったんです。
でも、この3年間で、わたしは介護を通して、その溝を少しずつですが、埋めることができたように思います。
だから、自分の後悔をしないために、母の延命を求めることは、もうしなくてよかったんです。
自分で選んだ道なので、覚悟を決めていたものの、やはり介護は、大変でした。でもこれを避けていたら、きっと延命をしたことの方を、より後悔することになったかもしれないな、と思います。
正面から、介護と向き合うとうことは、わたしにとって、母と60年ちかく生きてきたその中で、いつのまにか広がっていた溝を埋める、最期の機会だったんだろうと思いました。
明日は、いよいよ、このシリーズの最終回です。
ではでは。