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質的研究を評価する視点 - 初心者のためのガイド

今回は質的研究の「質」をどう評価するのか、この点についてカナダのブリティッシュコロンビア大学のThorne教授の以下の論文をもとに解説します。

Thorne, S. (2000). Data analysis in qualitative research. Evidence-Based Nursing, 3(3), 68-70. doi: 10.1136/ebn.3.3.68
https://ebn.bmj.com/content/3/3/68.short

この論文は2000年に出されたものですが、今でも私たち、特に日本の看護研究においては大きな示唆を与えてくれるものです。

以下の内容は、このThorne教授の見解と提案をもとに私の方で加筆したものです。

質的研究評価の課題

質的研究の評価において、最も大きな課題となっているのが「データ分析」のプロセスです。この課題は質的研究全体の信頼性や価値を左右する重要な問題として認識されています。

多くの研究者が直面する最大の難関は、分析プロセスの複雑さと不透明性です。研究者が実際にどのようにデータを分析し、結論を導き出したのか、その道筋を明確に示すことは容易ではありません。

例えば、インタビューデータからテーマを抽出する過程で、なぜその解釈に至ったのか、その根拠が十分に説明されていないケースが少なくありません。

さらに深刻な問題は、分析方法の説明が曖昧になりがちなことです。「データからテーマが浮かび上がった」といった表現で済まされることがあります。

これは、あたかもデータを放っておけば勝手に結果が出てくるかのような印象を与えてしまいます。そして、これだと他の分野の研究者からの信頼を損なう可能性があります。

また、質的研究のデータ分析について、具体的な方法論や評価基準が文献で十分に議論されていないとことも課題になっています。これは、特に新しい研究者が質的研究を行う際の明確な指針の不足にもつながっていると思います。

研究者の主観的解釈の妥当性も重要な課題です。同じインタビューデータでも、研究者によって異なる解釈が生まれる可能性があります。

そのため、その解釈がなぜ適切なのか、その判断基準を示すことが求められます。しかし、多くの研究では、この説明が十分になされていないのが現状です。

これらの課題は、質的研究全体の信頼性や学術的価値を低下させかねない重要な問題として認識されています。そのため、質的研究を評価する際には、特に注意深い検討が必要となります。

質的研究評価の新たな展開

このような課題認識を背景に、看護研究者たちは他分野に先駆けて、質的研究の質を評価するための具体的な基準作りに取り組んできました。

その結果、現在では「体系的」「厳密」「検証可能」な分析プロセスの存在が、質の高い研究を見分ける重要な指標として認識されています。

良質な研究では、批判的な読者が研究の論理的プロセスを追跡できること、データと結論の関係性が明確であること、そしてデータに基づく主張に信憑性があることが求められます。

これは、研究の質を客観的に評価するための具体的な基準となっています。

では、実際にはどのような要素に着目して研究を評価すればよいのでしょうか。

質的研究の質を評価する要素と要件

実際の研究例を通して、良い研究と改善が必要な研究の違いを見ていきましょう。

1. 体系的な分析プロセスの明示ができているか

例:がん患者の痛みの体験に関する研究

<良い例>
以下のように分析プロセスが明確に示されている
「痛みで眠れない夜が一番辛いです。家族に迷惑をかけたくないので我慢してしまって...」という語りから、まず「痛みによる睡眠障害」「家族への配慮」というコードを抽出。
次に複数の患者の類似したコードを比較検討し「苦痛管理における心理的葛藤」というカテゴリーを生成。さらに他のカテゴリーとの関連を分析し「がん患者特有の痛みの意味づけ」という核となる概念を導き出す、といった具合です。
<改善が必要な例>
「インタビューを分析した結果、がん患者の痛みには様々な意味があることが分かった」とだけ述べられ、どのようにその結論に至ったのか、分析の過程が示されていない。

2. データと結論の関係性の明示ができているか

例:認知症高齢者のデイケア利用に関する研究

<良い例>
- 具体的なデータ→「母は最初、デイケアに行くのを嫌がっていましたが、今では『あそこの歌の時間が楽しみ』と言うようになりました」(家族A)
「入浴の時に職員さんと話すのが良いみたい」(家族B)という複数の語り
- 中間的解釈→活動参加による楽しみの発見、スタッフとの関係性の構築
- 最終的な結論→「デイケア利用を通じた社会的交流の回復過程」
このように、データから結論までの道筋が具体的に示されている。
<改善が必要な例>
「デイケア利用は認知症高齢者の社会的交流を促進する」という結論のみが示され、それを裏付けるデータや解釈のプロセスが明示されていない。

3. 検証可能な分析過程が明示できているか

例:統合失調症患者の就労支援研究

<良い例>
以下のプロセスが具体的に記述されている場合。
- インタビューの具体的な質問項目の提示
- 録音データの書き起こし方法の説明
- 複数の研究者による分析過程の記述
- 参加者へのフィードバックによる確認作業の記載
- 解釈の妥当性を確認するための研究者間での討議内容
<改善が必要な例>
「質的に分析を行った」とだけ述べられ、具体的な分析手順や、複数の研究者がどのように関わったのかの記述がない。

おわりに

以上で示した評価の視点や具体例は、質的研究における分析プロセスの「見える化」の一例です。実際の論文では、研究の性質や目的に応じて、より多様な形式での提示が可能です。

たとえば、分析プロセスを図式化したフローチャート、データと解釈の関係を示す表、あるいはカテゴリー間の関連を表す概念図など、様々な方法で表現することができます。

ここで重要なのは、形式にとらわれすぎることではなく、読み手に対して研究者の分析プロセスと思考の道筋を、できる限り明確に、かつ論理的に示すことです。

このように、現代の質的研究では、研究のプロセスと結論の間にある論理的なつながりを、具体的なデータとともに示すことが求められます。

これにより、研究の質を客観的に評価し、その結果を実践に活かすかどうかの判断が可能となります。

質的研究を評価する際には、単に結果が「腑に落ちる」かどうかではなく、研究全体のプロセスが体系的で検証可能なものとなっているか、そしてデータと結論の関係性が明確に示されているかを注意深く確認することが重要です。

このような視点を持つことで、より質の高い研究を見分け、それを実践に活かすことができるようになるでしょう。





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