第九十景
多様性を受け入れることは難しい。例えば僕の場合、僕自身の型にハマらない人を受け入れられないことが多い。つまり自分と似ていない人と会ったり、話しをしたりすることはとても疲れるということだ。そりゃそうだ、自分の分身と接するなら、気を遣わなくても済む。でもまず、そんなことは起こりえない。自分と全く同じ人間など存在しない。存在しているなら会ってみたいくらいだ。
僕は婚活というものをしたことがないが、Twitterではその界隈にいる人たちをちらほらとフォローさせてもらっている。男性も女性も敵ではないのに、男性ならこうあるべきとか、女性ならこうあるべきとかいう話が尽きない。大体そういう風に主張する人に限って、自分を認めてもらいたいだとか、多様性を認めて欲しいだとか、そういうものが根底にある気がする。多様性を認めて欲しいと言っている人ほど、多様性を認めていないし、自分が上手くいかない理由を誰かに求めているように見える。恐らく一番最初に見つめなければいけない存在は自分自身なのだと思う。
自分の理想を押し付けるだけで、相手のことを考えたことがあるのか。自分のことを差し置いて相手にばかり求めてはいないか。僕は今のところ、自分が楽しければそれでいい精神でやっているので、そんな妄言とは別世界にいるし、内心くだらねえことしてるなあとしか思わない。
多様性を主張するグループが多様性を主張しないグループを批判しているような構図はよく理解できない。多様性を認めて欲しければ、そう主張しないグループを認めなければならないはずだ。簡単なことに早く気づいて欲しい。僕がイライラしないことが一番重要なのだから、見えないことにする。見たくない争いは自分の世界から排除する。理解できないのならそれでいい。見なかったことにするのだ。いつまでもそんな世界と無関係でいたいと思う。世間の常識に囚われない世界を作りたい。
もちろん世界というのは全世界ではなく、自分が今見ている自分だけの世界のことだ。世界は作れる、自分の思ったように。少しずつ、自分に住み良い世界が作れている気がする。とりあえず僕の邪魔だけはしないで欲しい。全力で排除する。もうほっといてくれ!
そう打った瞬間、はははと乾いた声が聞こえた。
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