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映画「キャリー」をあらためて観て

80年代だったと思うが、「キャリー」という映画がたいへん心に残った。映画館ではなく、テレビのロードショー番組で観たんだと思う。2000年代に入ってリメイクされていて、今回それを観た。古い「キャリー」と大筋は変わっていない。母子家庭のティーンエイジャーの女の子が周囲に苦しめられた挙句、超能力が大爆発するというお話。女の子の母親は宗教に狂っている。「祈り部屋」に無理やり閉じ込めたり、周囲との、特に男の子との交際を快く思わない。挙げ句の果てには、お前のお父さんとは清くベッドで寝ていたが、ある日、いやらしい目で私を見て暴行し、それでお前ができた、お前は罪の子だ、という始末。「祈り部屋」の十字架はキリストの像がついた「磔刑像」なので、カトリックかなと思ったり、手仕事をしながら歌うシーンがあるが、プロテスタントのワーシップソングのようだったりするので、よくわからない。しかし、キリスト教の過激な信者であることはわかる。
キリスト教には今日的な考えで、どうかなと思うような教えもある。私はカトリックの信者だが、神父さんや修道女さんは結婚しない。みずからその道を選ぶと言っている。教会の組織的にはその方がいいのだろうか。1人でいると給料をあまり払わなくていいから。昔プロテスタントの教会に通っていたこともあって、その教会の牧師さんには夫人がいて、一緒に司牧していた。娘さんも4人いた。英語塾なども開いていたが、教会の献金も牧師さん一家の生活費になるのだろうなと思った記憶がある。
私の過去の投稿でも繰り返し語ってきたが、キリスト教は成立した頃からずっと禁欲的な思想が底に流れている。新約聖書外典などを読むと、キリストの弟子である使徒たちは迫害されるが、その理由はほとんど、使徒の説教に痺れた女性たちが、夫と共に寝なくなり、夫たちが怒るというものだ。
新約聖書の「ヨハネの黙示録」14章3〜4節に次のような記述がある。

また、この人々は、玉座の前と四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌を歌っていたが、地上から贖われた十四万四千人のほかは、誰もこの歌を学ぶことができなかった。この者たちは、女に触れて身を汚さなかった者である。彼らは童貞なのである。この者たちは、子羊の行く所にはどこにでも従っていく。

現在の解説では「童貞」とは比喩的な意味にとって、偶像礼拝、すなわち霊的姦淫を犯さない者を指す、などと言われているが、この「童貞合唱隊」の記述のおかげで、「ヨハネの黙示録」は教会の権威者の支持を受けて、新約聖書正典に加えられたと言われる。教会の権威者になるには男性で童貞でなくてはならないという考えが、成立した頃からカトリック教会にはあったということなのではないか。
まとまらない話はこのくらいにして、「キャリー」に話を戻す。周囲に苦しめられていたキャリーは、発揮できるようになった超能力で人々に復讐を果たすが、家に帰ってから母親との間でショッキングな場面を見せて終わる。後味のいい映画ではないが、心に残る作品だ。
「キャリー」はネットフリックスなどで観ることができる。エンディングロール中に聴ける曲がとてもいい。Cultsというグループの「I Can Hardly Make You Mine」という曲だ。

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