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子宮全摘!59歳乙女心の体験談

子宮体癌と診断を受けて、悩んだ末に手術を受けることに。入院前日から、手術当日、その後の入院中のあれこれを、自分のFB投稿を引用しつつ、思い返してみました。

手術前日のキモチ

2022年4月25日のFB投稿

先週末は恩納村のリゾートで過ごし、今週は手術のため入院。

どこに行っても、沖縄のホスピタリティに身を委ねる安心感はいっしょ。(どんなに信頼してても、やっぱり腹切られるのは怖い〜)

明日、59年苦楽を共にした子宮さんとお別れします。これまで毒素や悲しみや辛さを一手に引き受けてくれていた子宮さん、ありがとう。本当にお疲れ様でした。もう、引退して大丈夫よ〜

明日の手術後は、ヘタレの自分に甘くあま〜く養生する予定です。諸々お返事など滞ると思いますが、お許しあれ〜

と、友達と自分自身に「がんばらずに身を委ねるのだ」と言い聞かせている。ありがたいことに、たくさんの「お祈りしています」メッセージをいただき、さらに、教会の女性たちや仕事仲間からも祈られていることがヒシヒシと感じられる。

この、「がんばらない宣言」発出の陰には、二人の功労者がいる。一人はパートナーのお姉さん。もう一人は年下の友人。それぞれ自分の手術経験から、「入院中はいいのよ。大変なのは退院後!」とアドバイスしてくれた。「退院しても、当分は本当に動けないし身体はキツいんだから、必ず一日パジャマでいなきゃダメ!着替えたりしたら、もう家族は手術のことなんか忘れて、動けると思っちゃうから!」「手術後はほんと〜に動けないんだから、これ。」ベッドの枠にかけるフックと小さなトートバッグを手渡しながら友達が言う。「私たちみたいに頑張り屋さんは、早く回復するためには歩かなきゃとかって、すぐ思うでしょ。だめ!手術は医者がやるけど、医者は切った身体を癒すわけじゃない。治すのは身体自身なの。体の声をよく聞いて、とにかく無理をさせずに癒える時間をあげること!」

このアドバイスはほんと〜にありがたかった。
そして、全く真実だった。
しかし、このアドバイスの背景には、お二人が本来はそうであるのに自分の場合は頑張らざるを得ず、本当に大変な思いをした。。。というご自身の悲痛な体験がある。それぞれ、那覇市内のカフェで、一対一で時間をとってくださり、体験から絞り出した知恵を分けてくださった。そして、それはかなりの覚悟を持って取り組まなければ実現しないのだ、ということも示している。私はすぐパジャマを買いに走った。いつも昼夜兼用のTシャツで寝ていた私は、そんなもの持っていなかったから。。。

そして入院前夜。病院ってお食事は出してくれるけど、なぜか「お箸やスプーン、コップなどは持参せよ」だし、院内履きもビーサンはダメとか指定があって。。。手術前には、普段行かないショッピングモールで可愛いお箸セットをゲットしたり、ネットでバブーシュを注文したのがギリギリで届いたり、入院荷物を揃えるのにも結構気を使った。

病院ライフ

4月29日のFB投稿
お祈りや気持ちを向けてくださったみなさまへ
入院5日目になりました。術後3日目です。まだいろいろぼーっとしていたり、文をまとめようとすると頭痛がしたりするので、散らかったご報告ですが、心に残ったことを書いてみます。

FB投稿4/29

⭐️手術は予定より小規模に⭐️

これぞ、みなさまのお祈りパワーのおかげ‼️当初、おへそを跨いで胸のほうまで切る予定だったのが、開いてみたらその必要ナシと判断され、おへそから下だけの傷で済みました💖現状で回復がこんなに大変なのに、創痕が倍もあったら、もうどうなってるか想像もつきません。
私の「え〜っっ?おへそを跨ぐってことは、おへそがなくなっちゃうんですか?」という慄き(おののき)を考慮して、(もちろん、本当はおへそは避けて切るので残ります!)少しずつ開いてくださったんだ〜と、先生のご配慮に感謝(する気持ちの余裕が出てきたのは3日たってから)💖
実は、本当にお臍がなくなったら、お風呂や合宿のとき、「わたし、実は、カエル🐸なの〜」と腹を披露するネタができたのになぁって、説明を受けてる時に思いついたらどうしても言いたくなって、「すみません。この先の説明をしっかり聞くために、思いついちゃったことをどうしても言いたいんですが」とNVCの「遮る技術」を使って説明をさえぎって発言したら、真面目顔の先生が一瞬笑顔に。今となっては笑えない冗談だけどね〜。

FB投稿4/29

⭐️手術台はバカンスのプール🍹⭐️

前日から下剤で腸のものを全部空にして、当日も朝6時以降水も飲まずに覚悟して向かった手術室。前日の麻酔科の先生の説明では、自分で手術室の前まで歩いてくるように、とのことだったけど、当日は看護師さんたちが2人、着衣や病室変更の準備などを確認して、一緒に来てくれた。
総勢10人近い(私から見れば)若者が待ち構えていて、次々と自己紹介してくれる。麻酔科の2人を除いて全員女性。ドクター達は濃い色の服を着てて、ナース達は薄い色、1人だけ白地にポップな柄の服を着てる人がいたけど、その人が何の人か聞きそびれた。
みんなで「よろしくお願いします」って頭下げてくれるけど、いやいや、お願いするのはこっちですって。
手術台に目をやると、あ!MRIの時みたいにマットが敷いてある❣️医療機器は硬くて冷たいっていう時代じゃないんだ〜とほっとしつつ、促されるままに台に登ったら、な・ん・と😍😍😍
分厚いマットが柔らかいだけでなく、あたたかい♨️♨️♨️
麻酔科のドクターが、「手足が冷たかったので温めておきました。どうですか?」「ああ😭あったかくて気持ちいいです〜😍」
それから、左右に広がった別のクッション台に片腕ずつ載せては点滴の準備をしたり、背中にも痛み止めの麻薬のカテーテル入れたりしてくれた。全身麻酔に入る前の最終形は、私はあったかい南国リゾートのプールに両腕を広げて仰向けに浮かんでいて、大勢の若者たちが私だけのためにそこにいてくれる……そんな天国みたいな状況だった。
沖縄だからなのか、この病院だからなのか、時代がそうなのか、私の知らない「手術室」体験だったよ〜😍

FB投稿4/29

⭐️友達の助言は本当だった❣️ ⭐️

入院数日前に「渡したいものもあるし、ちょっと時間ない?」と会いにきてくれた友達。開腹手術体験者でもある彼女は、久しぶり〜❤️のおしゃべりからキッと真顔になってこう言った
「春野さん、手術は何も心配ないの。大変なのはその後よ‼️」
「ほんと〜に、何もできないから。無理しちゃダメ」
「医者は悪いところをとって閉じてくれるけど、治っていくのは自分の身体なの。医者が癒してくれるわけじゃない」
「回復のため歩きなさい、とか、それも頑張っちゃダメ‼️早く回復しなきゃ、とか、私たち頑張り女子はすぐに…だからね。」
これを聞いていなかったら、私はナースコールを半分も押せなかったと思う。
今、冷静に思い返せば、そんな時のためにナースコールはある、というような状況でも、フト「次に回ってくる時まで待った方がいいんじゃないか」とか、「今は他の方の対応で忙しいから」とか、自分で判断しようとしてしまう、根深いクセが顔を出す。
コールが入っても、行くか行かないか、いつどのように対応するかは、チームで動いてる看護師さんたちの判断なのだ。自分にはただ助けを求めることだけができることで、しなくちゃいけないこと。「自分には判断できない」と白旗を上げる、オレンジのナースコールボタンを押す力を与えてくれた友達に感謝❤️
(もちろん、優しく丁寧に対応してくださっている看護師さんたちにも💖)

FB投稿4/29

⭐️術後3日目に初めてできたこと⭐️

・普通の楽な呼吸
・こんな長い文章を書く
・カレンダーを見ようと思う
・ラジオでニュースを聴く
・目覚め一番に「朝ごはんにサラダあるかな〜🥗」って食べることを考えたこと
・景色や空間のニーズについて考察したこと

FB投稿4/29

最後の「景色や空間のニーズについて考察した」というのは、4人部屋の廊下側のベッドで三日過ごし、昼なのか夜なのか、どんな天気なのかも感じないでいて、ふとトイレの帰りに窓を見たら、空が広がって遠くに海が見えた時のこと。病室の窓は窓側のベッドの方のカーテンで遮られてほんの少ししか見えないから、廊下を歩いて端っこまで行って、空と海を眺めてみた。戻ってみると、窓側のベッドの方は、ベッドの上に渡すテーブルを窓辺に寄せて、外の景色を眺めながら椅子に座ってお食事をされていた。

自分のカーテンキュービクルに戻って、急に息苦しくなった。本当に弱っていた時は気にもならなかった、あるいは守られて安心できたカーテンが、突然ものすごく自分の世界を制限するもののように思えた。まだトイレとの往復がやっとの状態でも、椅子に座ることはできる。同じ室内にいても、広がる景色を目にしながらする呼吸は何かが違う。ちょうど窓側の方が退院なさる気配だったので看護師さんに相談してみた。「窓側に移動することは可能ですか?」「窓側に行きたいんですね。うーん、タイミングをみましょうね。」そして、その日の午後、ナースステーションから一番遠い病室の窓側に移動させてもらえた!もちろん、すぐにテーブルを窓に向けて、その日から食事は椅子に座ってしましたとも。

♫春野の入院応援歌♫

FM沖縄のファインという番組で流れたGood Timeの”You don’t even have to try, it’s always a good time”が響いたので、シェア
https://youtu.be/H7HmzwI67ec
オフィシャルはYouTubeしか見つからなかったけど、このイケイケパーティー動画じゃなくて、音と歌詞に耳を傾けてみて。教会学校に通ってた多くの良い子達が好きな聖句ー「いつも喜んでいなさい」は、「どんなに辛くてもキツくても弱っていても、我慢して大丈夫を装い、周りを不安や心配や不快にさせる表情や態度をとらずに、笑顔でいなさい」という呪縛としてとくに女性の中に深く根を張るけど、神さまが言いたかったのは、本当はこういうことじゃないかと思う。
(全然翻訳じゃないけど、woke up on the right side of the bedがあまりにドンピシャで。手術後、寝返り打つのも一苦労、という経験のある人、わかるよね〜?((護得久栄昇先生の口調で😆))
春野の入院応援歌 inspired by Owl City
(あるいは、神さまが「いつも喜んでいなさい」で本当に言いたかったこと)
なにか上手くいったからって、自分のおかげじゃないでしょ。
 ただ気持ちよさを味わおう。
失敗してもなんとかなるよ。
 できることをやろう。
自堕落と言われても、それがなに?
こうなったら、とか、どこだったら、とかそんな条件は何も必要ないんだ。
君が居てくれさえすればいいんだよ。
なにかしようとする必要さえないんだ。
だって、いつでも必ずこの瞬間が最高なんだから。(あ!マインドフルの歌だった)

FB投稿4/29

術後4日目の偉業

4月30日のFB投稿より

1) 腹帯をキツく巻きすぎてたことに気づいて、ユルメにしたら痛みが軽減した。
(内出血に気づいてくれた看護師さん、ありがとう😊)
2) 初めて「ちむどんどん」を観た
3) 頓服で飲める痛み止めを確保できた
(今夜は2時間以上続けて眠れるかなぁ?)
4) 院内の売店(ローソン)まで出かけて、買い物をした
5) フロア内のコインランドリーで洗濯乾燥した
6) 退院後のセルフケア・リンパマッサージをパンフレット見ながら習った(「これ、難しいですよね〜。私はとにかくこんなしてこんなして撫でればいいと思います‼️」という看護師さんが好き💖)
もう、なんという充実した1日だったことか❣️洗濯しながら、コロンボも見ちゃったもんね😊

このほかに「アマプラで観るおすすめ映画教えて〜」という投稿もしていて、だいぶ余裕が出てきた感じ。おかげでアニメから癌患者が出てくるものまで、さまざまなジャンルのおすすめ映画リストができた。

病室のベッドに横になりながら、みんな携帯で話もしてるし、パソコンを叩く音も聞こえる。Wi-Fiこそ飛んでいないが、スマホからテザリングで繋げればおっきなiPadで映画も見放題。未だに「病室内での通話禁止。談話室へ」との注意書きが残っているが、コロナで面会も禁止、談話室も封鎖となったおかげか、病室の患者がデバイスで外と繋がることは許容されている。

とはいえ、映画を見るのもそこそこ体力使うし、まとまった時間がないと落ち着かないし、そんなにたくさんは観られなかった。

のんびり日曜日(術後5日目)

5月1日のFB投稿
今日(術後5日目)のはるの
祝日も土曜日も病院はあまりお構いなしだったけど、日曜日の今日はなんだかゆったり。
久しぶりにのんびりできた。(なにかが決定的に違う気がするケド)
ドクターもチームで担当してくださっているので、夜討ち朝駆け麻酔科と婦人科の複数の先生が様子を見にきてくれる。ちょっと予定外の症状が報告されると日勤のナース、夜勤のナース、各科の先生方みんなが、この、ちょっと恥ずかしくて自分でもよく見えないところを見たり触ったりしにきてくれちゃって、「今は痛みも腫れもぶつぶつもないし、そのうち消えるとは思いますが、観察していきましょう」と言っては、全開放の私を残して立ち去っていく。ちょっとした身動きが痛い私は慎重に体勢を工夫しながら下着を上げ、ガウンの紐を結び、腹帯を巻き、痛くない姿勢を探してベッドに落ち着いて、ふぅ、と一息ついてると、また誰か来て…
その合間を縫って食事やシャワーなどのタスクもある。
忙しいのだ。
それが、今日はドクターは1人しかいらっしゃらないし、洗濯や買い物は昨日済ませてあってので、とぉってもゆったりできた。
人に観察されるためじゃなくて、セルフケアのために、シャワーで丁寧に洗ったり、オイルを塗ったり、やさしくマッサージしたり、自分で自分の面倒をたっぷりみてあげたら、すごくいい気持ち。
昨日からの進歩は、食事に1時間もかけずに食べられるようになったこと。下げるワゴンが廊下にある間に出せるようになった。ギューっていう激痛の回数も減ってきた。

FB投稿5/1

退院が現実に♡

そ・し・て❣️
「退院後の生活に向けて」っていう4ページの資料を看護師さんが持って来てくれて、「退院」が現実味を帯びてきた💕
今朝は「退院なんて、絶対無理‼️」って思ってたけど、午後になったら、「明後日くらいならなんとかなるんじゃないか」って気になってきた。
早くお家に帰りた〜い

FB投稿5/1

ここで投稿は途絶え、5月4日の退院日を伝える簡単な投稿があるのみ。
この間に、自宅(愛称:極楽ハウス)に戻ったときの脳内シミュレーションをして、「ベッドが必要!」と思い至った。普段は床に布団を敷いて寝ているが、寝返りもままならないこの状態で、床からよっこらしょと立ち上がるのは至難の技。それに、家全体が見渡せるところでゴロゴロしたい。身体は休めるけど心は軽く!ジモティで検索したりニトリのサイトを見たりしたが、パートナーの実家に使っていないベッドがある、とのことで、それを解体して運び、居間に設置してもらった。

これから回復して自分で車が運転できるようになったのは退院36日目。そこまで長〜い養生の日々が続くけど、それはまた別の記事で。

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