最多16538人/32469、我「吹きこぼれ」~661日目
都内新規感染、3日連続過去最多16538人/32469、都基準重症者18人(±0)、死亡3人(累計3193)。病床使用率44.4%(3,071人/6,919床)
※50%が緊急事態宣言要請の目安 国基準重症者病床使用率34.7%(510人/1,468床)
都、自宅療養者が初めて5万人超え、入院調整中も3.9万人で過去最多
全国の新規感染 2日連続で7万人超え
27日から「まん延防止措置」が18道府県に追加適用、計34都道府県に
ワクチン3回目接種進まず。接種済みは全国で約236万人で、1月末までの対象約1470万人に対し、接種率は24日時点で約16%
北朝鮮が日本海に向け短距離弾道ミサイル2発を発射か、今年6回目
ウクライナ情勢が緊迫中。旧ソ連圏のウクライナが米欧側のNATO(北大西洋条約機構)への加盟を目指し、国境を接するロシアと対立。ロシアがウクライナ国境の10万人とも言われる軍備を増強し、侵攻の可能性も
国際決済ランキングで人民元が日本円を抜いて世界4位の通貨に。国際決済は米ドル、ユーロ、英ポンド、人民元、日本円の順。
26日)大学入学共通テスト問題、試験中にSNSで流出か、「解いてほしい」と送信の疑い。15日実施の世界史B。警視庁が偽計業務妨害容疑で捜査。家庭教師マッチングアプリを使い東大生らに依頼か。香川の19歳女性受験生(大学生)が出頭「スマホを洋服に隠して撮影」家庭教師紹介サイトで“高校2年の女子生徒”を名乗る
数字は5.0
数字は5.0。昨日は少し汗かくほど(肥満のせいか)運動したし、帰宅後21時を過ぎていたので、大好きなビールではなく焼酎炭酸割にした(チーズ2個)。
だから、私は嫌われる
だから、私は嫌われる。と、先に書いておこう。
うざがられる「吹きこぼれ」の己を今朝、自覚
「外された」件について。
浮きこぼれ、という言葉が最近出回っている。落ちこぼれの反対で、
顰蹙浴びるのを重々重々重々重々重々承知で書くと、自分はある分野において、浮きこぼれ、ならざる、まさに「吹きこぼれ」(鍋の吹きこぼれ、そのまんまじゃねーか!)の一種ではないか、と、今朝ふと感じた。
なんか、ばか、こんなこと、自分で書くなんて。でも、ここは匿名日記だし、自分の心情を吐き出す場所なので、自分で自分に許すことにする。そう思った、感じたのは今現在、事実だから。
昨日のnoteはうざいぐらい長長文で、演劇と認知症の書籍から自分なりの“プチ発見”を書いたが、こんなことを「偉そうに」書く奴、という見方を、ある“仲間”の一部(大半?)からはされそうだ。
「台詞を覚えただけで威張りやがって」
身体能力や体力では完全な落ちこぼれだが、芝居での台詞覚えだけは今のところ多分平均より早い。別に威張るわけでなく、覚えれば台本は離す。そしたら、自分より若い年齢の“経験者”人より先に台本を離すことがあって、後日、その“経験者”仲間に「台詞を覚えただけで威張りやがって」と聞こえるように悪口を言われたことがある。
いや、とにかく、私のことが気に入らないから、何でもかんでも、だったんだろう。。虚しい。
ある時は、その場の“偉い人”が政治や社会の話をしたがるので、合わせて話していたら、これまた別の“経験者”にやんわり止められ(別にこちらは全然構わないが)、後で「ごめんなさい。(あなたはともかく)みんな、演劇の話をしたいだろうと思ったから」とLINEが来た。まあ、この辺は居酒屋で演技論をぶつ某役者をどう見るか、役者たちの間でも割れているし、意見割れそうだが。
知識を仕入れ議論し発見し新しい世界を見たい、が……
おそらく自分は、知識を仕入れてそれをもとに議論などをして、違う意見や見方とぶつかってそこからさらに新しい発見をしたい、新しい世界を見たいのだ。もちろん、そのレベルは所詮素人の知識かじりで、長年研究を続ける専門家等には到底及ばない。ただ、研究やその場での議論が、先行(既存)研究を踏まえ、どんな風に進んでいくかはある程度知っている(つもり)。
昨今アカデミック・ハラスメントも指摘される世界だが、研究では、先行研究を踏まえた知見に基づく自論(持論)を展開し、研究室や学会等での議論でボコボコにされる。ただ、その分野に関する知識は少なくとも公表されたもの、書籍化されたモノであれば持っているのが当たり前であるし、新しい知見を発表することは批判されつつも、理にかなっていれば尊敬される(はず)。
でも、周囲に、そんな仲間はあまり見当たらない(勉強中の若い人は別)。
どこかの研究室に行けよ、今からでも、てか?
身体を動かしつつ、脳みそも動かすのは、結構大変かもね。
「先鋭を目指す」「わかりやすく感動」「伝統芸能」
2022年1月21日のnote「プロアマ考の死角~655日目」で「演技の勉強はしても演劇の勉強はしていない人が多いのでは」と書いた。「偉そうに」。
はさておき、芝居は「先鋭的」「わかりやすい共感系」「伝統芸能」等に分かれる気がする。
1. 「演劇とは何か」を模索し相当調べ上げ学び、あるいは心身を鍛錬したうえで、既存の演劇に飽き足らず、先鋭的・前衛的と呼ばれる域を目指す人たちがいる。高山明、岡田利規、平田オリザ、鈴木忠志などはその例だろう。一度しか観てないしわけわからず正直寝たが「鳥公園」の西尾佳織、後で調べると、あえて散文の言葉を詩の言葉にする、とかだったかな? いずれにしても調べ尽くして試行錯誤を繰り返してでないと作れないもの。批評家(最近存在感が薄いようだが)は結構こちらの世界が好き、かな?
2. その一方、「わかりやすい演劇」「感動する演劇」「共感する演劇」、その多くは、アリストテレス的演劇を批判した(?)ブレヒト的に言う「カタルシス(感情移入によって発散!)」を客が感じるように作られるもの、の世界。これはこれで存在が長らく認知され、かつ必要なものだ。世の中の客側が、「演劇」と聞いて想起するのはほぼこちらだろう。
3.また、別軸で、「型」を継承し、上下関係が厳格な伝統芸能。ただし、能・狂言はともかく、歌舞伎はその当時の「現代演劇」だったので、常に新しいものを模索するのが今も正しいと思う。
上の3つが入り乱れる感じか。
アマが「演じる」なら「わかる」「感動」「共感」が大半か
で、アマチュアが「演じる側」で関われるとすると、ほぼ2.「わかりやすい」「感動」「共感」系の選択肢しかない。確かに、実生活の合間にやるので、「発散」「違う人物になれる」を仲間わいわいやるのはそれはそれで楽しい。「もういいよ、今更七面倒な難しいことは」と実際に聞いたし、気楽な「余暇」、レジャー気分の人も多かろう。
でも、多分、自分は、1.にも興味があるのだ(今更だが。学生時分からそうならともかく、ん十年もたって偉そうに!!)。と言って今更劇団を立ち上げるパワーや気力はないし。。
「吹きこぼれ」ている自分を「発見」した、という収穫
というところで、2.の枠で収まり切れない自分(自称)は、横方向かもしれないが「吹きこぼれ」ている。
ま、いいか。吹きこぼれている自分を「発見」した、という収穫があった(ということにしておこう)。
そんな、ぶつぶつやってる間に発声や滑舌や所作の稽古をする方が、アマでも役者としては正しいのか?……ということを議論したいのだが(うざい)。
まあ、もてたいから、芝居する、という人も少なくなさそうなので、何をバカ言ってる、んだが。はいはい、自覚。
だから、私は嫌われる。別にここに書いたようなことを普段しゃべっているわけではないが、人に好かれる、ってなんだろう。まあ、「一緒に仕事をしたい」と思われることは有意義だ。でも、ヨイショの仕合っこ「だけ」なら、そんな場所に行きたくないな。。
吹きこぼれて、孤独になって(孤立はしたくない)、その先に見える世界、でもいいのかな。まだまだ模索中。
落語と講談の本を読む
今日は本当はこっちの話を書こうと思ったが、予告。
落語と講談の、現況的な本を読んでます。
負けるもんか。皆さまのご健康を。
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