660人/7998、生きるしたたかさ~451日目
※228日連続投稿
都内新規感染660人/7998、13日連続で前週同曜日上回る。都基準重症者54人(+3)、死亡2人(累計2238人)
五輪無観客開催も? まん延防止期限(7/11)延長か
全国で大雨
首長は行政トップだが、しょせん政治家でもある
リモート会議出席の小池都知事の映像を見る。やはりやつれているよう。もしもうまく立ち回るためでも、政治家だからそれはあるのかも。とにかく、健康あってこそ。元気になってこそ批判も受けられよう。
と思ったら、小池都知事、公務復帰後初の記者会見、だそう。
三重県の知事が、秋に予定される衆院選に出馬かというニュースで、素人的には少しびっくり。46歳、知事三期目。このコロナ禍に陣頭指揮をとる県知事が変わる???と、一般市民の自分は「あり得ない」と思うが。
が、元外務副大臣(70)の政界引退で三重4区が空くので、自民党がそこに後継として入れたいという報道。
なーる。政治的思惑、政治力学というやつか。
「このコロナ禍に知事を辞めるのか」という批判が一部で起こるのは織り込み済だろう。しかし、三重4区をおさえておきたい自民党の思惑はさることながら、現知事本人がもともと国会転身を考えていた場合(2009年に、旧三重2区に自民公認で出馬して落選)、コロナ禍がいつまで続くか不明の状況で、この「選挙区の椅子が空くチャンス」を逃すかどうか。得票見込みにもよるだろうが(負け戦とわかっていては出まい)、そこは本人の判断か。
首長は行政トップだが、しょせん、政治家だ。仕事だ。風を見て動く、自分のために。それで「も」いいのだ。自分が地元民だったらまた考えは違うかもだが。
したたかに歩み始めた若者に嫉妬
今日も朝からざーざー雨。
昨日久々に会ったある若い人は、手繰り寄せた人脈を使って、したたかに歩み始めたように見えた。ほう。
自分の心の隅に芽生えるかすかな嫉妬。
と同時に、そういう人生冒険期をとっくに過ぎたであろう自分への諦めと安堵。それでも嫉妬。焦り。諦め。安堵。ぐるぐる。もやもや。
もっと若い頃、貪欲に手を伸ばしてその先のさらなるゲームに挑めば、違った人生があったかもしれぬ。誘われた時もあったが、それをしなかった自分が今ここにいいる。
欲はあった。なぜしなかったのか。
「自分には一杯一杯の毎日」を楽しめる人にショック
ある日、目の前のことで一杯一杯になって逃げ出したかった時、同じような状況に「苦しんでいるはずの」別の人が「さ~て今日は何をしようかな~♬」と楽しそうに言うのを見て軽いショックを受けた。あ、感覚が違うと思った。その人も逃げ出したい自分を鼓舞していた可能性もないわけではないが、多分違う。
その時、毎日駆け引きが続くように感じ、苦痛だった(そんなところは世の中に山のようにあるだろう)。しかし、この人は駆け引き自体をゲームのように楽しんでいる。同じ状況を楽しめる人と苦痛な人がいて、自分は苦痛に感じる側なのだから、「降りてもいいのだ」。それは恐らく“第一線をひく”ことになるだろうが、別の、自分に合ったことをした方がいい。
そして「降りて」というか「離れて」、周囲から「なんでみすみすチャンスを手放す」など少しあきれられ、プライド傷ついて、そこでも人間関係が下手なのは治らず、また「離れて」。。パワハラで適応障害になって回復したけど、もう仕事への意欲さめちゃって会社辞めて、まできて。
まあ、でもそれなりにやりきった感はあるし、周囲から見てもまあまあのところかな。と自分で納得しかけていたところに、「したたかな若者」を発見して、少し心がざわついたのだ。
ざわつく。ということは、まだすべてを達観した仙人になっていないということだ。
それ見たことか? まあ、いい。誰が言うのだ、自分か。
生きてきたこと自体、したたかさの証明
「逃げたから、『大成』しなかったじゃないか」という反省も、自分の中にあるっちゃある。
でも、適応障害もおそらく軽症段階でなんとかストレッサーから逃げ、なんとか回復して、とにかくここまで生きてきたことは、自分のしたたかさの証でもあるととらえる。
そう、貪欲さは今も不足かもしれんが、結果的に、自分にそこそこ合う環境を選んで生きてきたことは、それ自体、したたかで正しいのだ。
でも、ざわつくことは認める。まだ、これからでも「大成」を探ってはみたいな。なんとかの冷や水と言われるかもしれんが。
(話飛ぶが)選挙に立候補してくれてありがとう
選挙カーの声が聞こえてきた。そういや、都議選の投開票日間近。
政治こそ駆け引きゲームの最たるものの一つで、自分は全く向かないけれど、その駆け引きゲームに参加する人もいてこそ世の中が回るのだ。特に議会制民主主義国家で、選挙で選ばれる政治家はたとえ必要悪であっても必須だ。誰かが選ばれて、政策を実行しなければいけない。
立候補してくれてありがとう。ただ、その駆け引きゲームに直接参加しない市井の人々もいてこそ、また世の中も回るのだ。
自分も嫌な奴だった
自分ばかりが弱い被害者面するのもフェアでないから、嫌な自分をあえて書くと。
人間関係の駆け引きゲームは苦手だったが、ひとりでコツコツ勉強するのが好きで、人脈だのコネだの売り込みだの不要な“テスト系”はそこそこ得意だった時はある(今は頭も衰えたし、怠惰で無理だが)。そちらではひょいひょいクリアして、クリアに苦労する周囲の人に「何こいつ他人の気持ちもわからないで偉そうに」と思われたこともあったのだっただろうと、今になるとわかる。
仙人にはまだ遠く、したたかに生きる
それもこれも、その時は自分のベストを尽くしただけ(ということは他人もそうなのだ)、一所懸命生きてきた時間があったからこそ、振り返ることができる。
したたかに生きる。それを今後も続けていくのみ。仙人にはまだ遠い。
したたかに生きよう。今日ももう駆け込み!
皆さまのご健康を。