
879人/7715件、国内重症最多、あきらめ?、『武漢日記』抜粋3止~390日目
再再宣言8日目。
都内新規感染879人/7715件。都基準重症者63人(前日と同じ)。死亡1人(累計1898人)。
国内重症者1050人、過去最多。
「宣言解除判断は尚早」「屋外マスクでも感染」西村経済再生担当相。
1日夜の突風により、静岡県牧之原市の3人が割れたガラスなどで軽傷、住戸約40戸に破損被害。竜巻か。
晴れていても、雨が時折パラパラ。不安定な天気。
静寂に別れなければならないか
戻らない静寂に別れを言う時が来たのか。
よく、騒音が気になるなら田舎の一軒家に住め、という言葉を聞く。しかし、自分の人生の行く末、利便性や仕事、近所づきあいの面倒くささ、防犯を考えると、全く現実的でない。
自分は、長らく静かに住んできた。静かなのが当たり前だったので、その幸せに気づかなかった。田舎の一軒家とまで言わずとも都内で引っ越せばいいではないかともいわれるが、手間暇かけて引っ越した先がうるさくない保証はない。今はまだ、「先住民」の強みがあり、簡単に手放していいものでもない、相手がまだ常識の範囲の人間である限り。
他人を変えることはできない。ただ、相手方も多少なり対策をしたようだ(確信はない)、最悪の時、その音は脳に突き刺さるようであったが(危ない表現だ、しかし、それが音に壊されていく者の感覚の一つなのは間違いないだろう)、一段階か二段階は下がったかもしれない、それでも聞こえる、過敏と言われようが聞こえる。
となると、自分を変えるのか。それは、静寂をあきらめることか。東京に住んで、これまでの静寂が奇跡的だったのかもしれない。
あきらめは敗北ではない
思索は静寂を友とする。どこで思索するのか、このコロナ禍で。
家族の立てる音なら我慢もできようが、隣人の音に我慢しなければいけないのか。「我慢じゃだめだ」と家族が言う。我慢を続けるのでは、いずれ間違いなく自分は壊れる。引っ越さないなら、気にしないように(自衛の防音対策も含めて)受け入れていく、しかないのか。それは、あきらめ、なのか。
人生はあきらめの連続であり、しかし、あきらめだけでない瞬間も経験してきた。「悪いことばかりではない」と知っているから、それでもまだ自分は俯瞰しようと思っており、まだまだ、と電線の上のカラスのように俯瞰している自分が、音の空間の中で泣いている自分にささやきかける。
この、あきらめは負けではないと。
また、泣いた。涙は一種の麻薬であり、壊されかけた脳を一時的にでも救う。アルコールも増えた、あまりよくない。
それでも自分は弱みをさらけ出す「勇気」が多少はある。うざいがここにも書く。「お前も音を出しているんだ」と何度も言われ、「我慢しろ」と突き放されたこともあるが、「負けるな」と励ます人もいれば、最も多いのは何とも言えない表情で「お互い様」と言う人で。数打ちゃ、世の中だいたいこの辺というものが見えてくる。
自分の脳みそは自分でしかわからないのに、そこに社会性を求められるわけのわからなさも、多少は、多少だが、わかってくる。
今この瞬間も、音の中で苦しんでいる人たちが、これ以上苦しみませんように。悲しい出来事が起きませんように。
思索はあきらめない
思索を友とすることは、あきらめない。
『武漢日記』抜粋=3/16~3/24(最終日)
『武漢日記』の抜粋、3度目の最後。3/16から3/24(最終日)。
3/16
・庶民はもう十分に協力し、要請を受け入れてきた。ただ、彼らの生存の問題は目の前に差し迫っている。
3/17
・湖北に来ていた医療チームが撤収を始めた。(略)動画を見た。医療チームが出発するとき、外出できない武漢市民たちは家のベランダに出て叫んだ。ありがとう! お疲れ様! さようなら!
・(海外留学生の相次ぐ帰国への批判に)もし、自分の子供が海外にいたら、やはり呼び戻すはずだ。全員が英雄になれるわけではない。寛大な対応が必要だ。
3/18
・その答えは、あなた自身が見つけるのです。
・私は自分の目で世界を見ることを試み、自分の頭で問題を考えようとしました。当然、そのためには、自分の人生経験、読書、観察、努力が基礎となります。
3/19
・今日、ついに私たちが待ち望んでいたよい知らせが届いた。武漢の新たなる感染確認者がゼロになり、疑似感染者もゼロになった!
3/21
・諸外国では、国民に給付金を支給している!(略)中国は給付金を出すの? 湖北省は?
3/23
・春節前に武漢の外に出た人は、周市長によれば五百万人という。ここ数日の情報では、彼らの大多数は健康アプリの緑コードを提示し、戻ってくることができるようになった。
3/24(最終回)
・ちょうど今日、通告があった。(略)武漢市は四月八日に封鎖を解除する。
・責任の追及もあきらめない。(略)二か月にわたって家に閉じ込められた武漢市民として、武漢の悲惨な毎日をこの目で見てきた証人として、私たちには死者たちの無念を晴らす責任と義務がある。誤りを犯した人は自ら責任を負うべきだ。
・毎日私を包囲攻撃した極左分子
・私はうるわしい戦いを終えた。私は走るべき道を走り終えた。私は信じる道を守り通した。
皆様のご健康を。