がんばれ冴えない自分、体重停滞…59日目
東京の梅雨はまだ明けていない。
洗濯物を干して出かけたら、パラパラ来た。その分、気温は抑えめの日ではある。
「必要とされていない」冴えない自分
今日もあることで凡ミスをした。
壊滅的な失敗ではなく、相手が「お互いうっかりしてました、仕方ないですね」という優しく反応してくれるので、救われた気持ちのする一方、気を遣われた哀しさと共に、自分はもはや「たいした人間ではない」「期待される人間ではない」と、ネガティブにも転換できる心。
そう、冴えない自分を感じる。
若くなくなり、家族はともかく、世間から必要とされていない。これが年をとるということか。
同世代の人間から「(結構な肩書の)どこそこに赴任しました!」と、鼻高々に見える(見えるだけだ)挨拶ハガキが来て、他人は他人、自分は自分と自分に言い聞かせつつ、比べているのか。
「冴えない」と思っていた人に、いつの間にか自分が
それでも、これまでの人生の一時期、思い込みとは言え、「自分いけてるかも」と思えた一瞬があったのは幸いなのか。若い時は、もう少し、他人が自分を見る目が、確かに違った。
今は、雑踏の中で、自分がいつも「冴えない」と思っていた人に、自分自身がなっていることに気づく。なんと上から目線で生きてきたか。若さとはそういうものだが。
そして、冴えない自分が続いていくと、「昔は」と過去の栄光にすがっていくのか、いかんいかん。
ま、もうちょいがんばってみよう
期待されない、とは、つまり、「自由」だから、気楽なことであるのに。
縛られるのは嫌なのに。
隣の芝生は永遠に青い。
明日は雨か、そのうち晴れるだろう、暑い夏が来て、そして秋が来て、冬。ま、もうちょいがんばってみよう。
今朝は●1.5キロ、とにかく毎朝測定、あと半年で2キロ減目指す
体重は一度●0キロ台を記録するも、会食続きやひざ痛を言い訳の運動不足で、●2キロ台に戻ったりと行ったり来たり。7か月(昨年11月~5月)で5~6キロ減ったので、自分の身体からすると抵抗したいこところだろうが、せめて維持はしなないと、努力が無駄になる。。
とにかく毎朝体重を測る。これだけは続ける。
ぐっと目標を下げ、年内にあと2キロ減りますよう。それでも、半年で2キロか、悪くない。そんなゆるゆるダイエット。
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