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335人/9369人、「3.11」10年~332日目
再宣言63日目。
都内新規感染335人/9369人、65歳以上69人。7日間平均で前週より増加。都基準重症者39人(前日と同じ)。死亡18人(累計1536人)。
東日本大震災から10年
2011年3月11日午後2時46分に発生した、東日本大震災から10年。 その日の、夕刊。
夕刊締切には間に合わなかった。
(今日はY紙さんに許していただこう。無料noteだし)
翌日3月12日の朝刊。
並べるとこうなる。
この後、震災関連報道が続き、途中から原発事故報道が加わっていく。
この新聞を発行するY紙「東京本社」は東京をはじめとした東日本に重点を置く組織であるたため、大阪を拠点とする「大阪本社」が主となった1995年の阪神・淡路大震災に比べ、東日本大震災の報道の方が圧倒的に大きな扱いとなっていく。
もちろん、死者・行方不明者の人数の多さ、街ごと姿を消してしまう異常さに加え、東京電力福島第一原発事故というこれまでにない大惨事が起きたためであることも言うまでもない。
今朝、2021年3月11日の朝刊。
それでも「記念日報道」に意味はある
あれから10年、あれから25年という報道を、「記念日報道」と呼ぶ。
今の、報道もそうだ。
つまり、この後、東日本大震災に関する報道は、少なくとも、被災地以外では減っていく。もちろん、この10年間の中で徐々に減っていたが、「10年」という節目に備え、各報道機関で「3.11」絡み報道がここしばらく増えていたのは周知の事実だ。
報道は間違いなく、再び徐々に減っていく。
次は、(15年)、20年、25年(四半世紀)、50年。。。
自分は、それでも「記念日報道」に意味はあると思っている。
人間は、世の中のすべてのことを覚えて、すべてのことを背負っていくことはできない。
人間は忘れる動物なのだ。だから、生きられる。
忘れる、だから、思い出す。
東日本大震災の後しばらくして、ある人が「自分の父親の死の方がはるかに自分には大きい出来事」と言った。それは、それで真実だ。
自分も、数十回だが、私費で東北被災地に通い詰めた時期はある。
それは過去になった。ずっとそこにいることはできなかった。不義理もしてしまった、それは申し訳ない。
しかし、それは、それで、今の自分を作った、自分は自分の人生を歩んでいくことが、復興なのだと思う。言い訳ではない。
ただ、公的な立場(この場合は報道も含まれよう)にはまたそれなりの所作がある。
2030年、自分たちは生きていれば「コロナ10年」をやっているのだな。
皆さまのご健康を。
皆さまのご健康を。