属性ではなく本人の困り事にフォーカスすること、予備的共感について考えさせてくれる書籍(「セックスワーク・スタディーズ」)
最近、コロナ禍の時期に購入した書籍を再読しています。
中でも、これは対人援助職で読書会をしたほうが良いなと思う良書として、
SWASH編「セックスワーク・スタディーズ」があります。
性風俗という業界で、性的サービスなサービスを労働として捉える意味で「セックス・ワーク」という言葉を使用しています。
そこで働く人たち、「セックスワーカー」の健康と安全のために活動されているSWASHさんの書籍です。
とにかく読んでもらいたい。
特に第1章から4章にかけては、ソーシャルワークを教える際にも有用だと思います。
第1章のタイトルは、「誰が問いを立てるのか セックスワーク問題のリテラシー」で、この問題を語る人たちがどれだけ「自分の持ち場や特定の経験に引き付けて過度に問題を一般化・矮小化」してきたのか、また相談援助職の人たちが陥りやすい問いの立て方などもわかりやすく書かれています。
少しだけ引用しますと、以下の言葉は私にとって凄く意味のあるものでした。
モヤモヤしていたものを言葉にしてもらった気分です。
これはソーシャルワークでも同じですね。
困り事から考える。
最初に属性から考えてしまうと、バイステックの7原則でいう「個別化」も十分にできません。
「〇〇な人は、こういうことに困っている」という主語大きめの問いの立て方は(特にインテーク段階)、支援者の物語を勝手に投影しやすい。
私は「声なき声を都合よく受け取って大喜利」と呼んでいますが、人の人生がかかっているので、笑えるものではありません。
ただ、SNSで「だれも、そんなこと頼んでませんけど」という内容を、(勝手に)正義に燃える人がお気持ちを表明されていました。
電話などで簡単に困り事を聞いておいて、面接を迎える場合は、面談前に相手の立場を想像する予備的共感などを行いますが、勝手に「被害者」とか「支援をしてあげないといけない人」みたいなレベルで捉えていると、
「あなたは~したほうがいい」「~するのがあなたのため」のような形で、相手が望んでいない答えのようなものを押し付けやすくなってしまいます。
相談援助の基本、今一度意識したいところです。
本日は以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました☆