「カトリックの斜陽:ローマ教皇のアヴィニョン捕囚」世界遺産の語り部Cafe #14
今回は、フランス🇫🇷 の世界遺産【アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋】についてお話していきます。
↓十字軍編の過去記事はこちら↓
十字軍遠征はまさかの失敗…
第1回十字軍で「エルサレム」を奪還したのも束の間、アイユーブ朝の「サラディン」はエルサレム王国に侵攻して“再奪還”を果たしました。
十字軍がエルサレムを追われた後、獅子心王らが奮闘の舞台となった中東の拠点「アッコ」までも、陥落してしまいます。
結局、十字軍の目的は果たされることはなく、ローマ教皇の命によって「必ずや、神は勝利を授けてくれるだろう」と、大仰に銘打って始まった十字軍遠征は、まさかの失敗で終わりました。
各キリスト教国が大きな犠牲を強いられたにも関わらず、惨憺たる結果を招いた事実により、絶対的なローマ教皇の威信が揺らぎ始めていました。
彗星の如く現れた“反逆のイケメンキング”
ともすれば、十字軍のように2世紀にも渡る大々的な遠征の後は、大きな余波が待ち受けているものです。
アッコ陥落後、ローマ教皇に就任した「ボニファティウス8世」は、改めて教皇の至上性を主張するべく「ウナム・サンクタム」と言われる回勅を発しました。
ところが「カノッサの屈辱」に象徴されるように、長らくキリスト教世界のトップであったローマ教皇のお達しに対して、反旗を翻す者が現れます。
「端麗王」の異名を取ったフランス王「フィリップ4世」です。
フィリップは、豊かなフランドル地方への進出を伺っており、戦費を捻出するべく、教会財産への課税に踏み切りました。
教皇ボニファティウスは、これに反対し、課税を禁じる回勅を出しますが、フィリップは意に介することなく、逆にボニファティウスが教皇としての資質に欠けるとして非難します。
憤慨したボニファティウスは、フィリップに対して“破門”を宣告したことで、両者の対立は決定的となりました。
“ローマ教皇が大激怒” 「アナー二事件」
1303年、フィリップはイタリアに向けて軍を派遣します。
それを察知したボニファティウスは、故郷の小都市「アナー二」に雲隠れしたものの、フィリップの派遣した軍に敢えなく捕らえられてしまいます。
ボニファティウスは、教皇である自身に対する非礼に烈火のごとく怒り狂い、“憤死”を遂げるという前代未聞の結末を迎えます。
一連の出来事は「アナー二事件」と言われ、十字軍後のヨーロッパ世界において教皇の権威失墜を象徴する出来事となり、「教皇 > 王」であったパワーバランスが逆転したことを決定的なものとしました。
教皇の「アヴィニョン捕囚」とは?
ボニファティウスの死後、フィリップは矢継ぎ早に次の一手を打ち、ローマ教皇の後任となった「クレメンス5世」に圧力をかけて、1309年に自国の地方都市「アヴィニョン」に教皇庁を移転させます。
古代バビロンの“バビロン捕囚”に準えて“アヴィニョン捕囚“と言われたこの出来事の背景には、クレメンス自身も不穏な状況であったローマを抜け出したいという算段がありました。
事実、ローマはそのわずか1年後に“ローマを持ってないのにローマと名乗るコンプレックス”を持つ「神聖ローマ帝国」から侵攻に遭っています。
しかしながら、教皇庁の移転による新たな問題として、仲違いする国同士の間に度々入っては仲裁していた、「ローマ教皇」という絶対的な存在を失うことにも繋がりました。
フランスでは、この間に「イギリスとの王位継承問題」に端を発する「百年戦争」が勃発しますが、両国の戦争が長期化したのは、仲裁者が間にいなかったことも大きな要因と言えます。
十字軍後のヨーロッパ世界
「アヴィニョン歴史地区」は、十字軍後のヨーロッパ世界を象徴する世界遺産です。
フランスの「アヴィニョン」は、教皇庁が移転した当時はまだ片田舎の街に過ぎませんでしたが、ローマとは違い戦争とは縁遠かったこともあって、アヴィニョンに教皇庁が置かれた期間は70年間にも及びました。
教皇庁所在地となった影響で、この期間に多くの芸術家や貴族、文化人が訪れ、アヴィニョンは洗練された街に変貌していきます。
アヴィニョンを代表する建築物といえば、ローヌ川に架かり、“アヴィニョンの橋”としても知られる、「サン・ベネゼ橋」が有名です。
1226年、サン・ベネゼ橋は「ルイ8世が主導したアルビジョア十字軍」の攻撃により、4分の3が破壊されています。
人々は幾度も再建を試みましたが、ペストの流行や洪水の影響で追い打ちをかけ、橋の維持や修理が難しくなってしまい、最終的には放棄され、現在もサン・ベネゼ橋は途中までしか残っていません。
そのため、『アヴィニョンの橋の上で』という有名な歌がありますが、橋の上で踊るには少々狭過ぎるのだとか。
【アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋:1995年登録:文化遺産《登録基準(1)(2)(4)》】
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