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メチョメチョ•ドドンチョ



この作品は2021年文学フリマにて販売した短編集『ぶっ飛んでると言ってくれ』に収録された作品です。
過激なシーンも多いので、ご理解ご了承頂ける方のみお読みいただけますと幸いです。




***


この物語はフィクションです。
薬物を使用するシーンが出てきますが、決して薬物の使用を推奨するものではありません。

薬物の乱用は身体と精神に悪影響を及ぼすものです。
薬物乱用は「ダメ。ゼッタイ。」

性的な表現のあるシーンも多く出てきます。
苦手な方、トラウマなど引き起こす可能性のある方は、ご自身での判断の上ご了承頂いた方のみ読み進めて頂けますようお願い致します。

大切なことなのでもう一度述べますが、この物語はフィクションです。



***


これは、若かりし頃の私、夢子が過ごしたとても怖くて、とてもおかしないつかの一年間のことを綴った文です。

「えぇ、えぇ、ハイ、あーーーーそうですよねハイ、いえいえ!とんでもないですいつもお世話になってますから!」
グッチョグッチョグッチョグッチョグッチョグッチョグッチョ
「いやー参りますよねぇ!うちもあっちこっちでそんな話になってますよぉ。えぇ、えぇ。いやいやぁ、冗談辞めて下さいよー」
グッチョグッチョグッチョグッチョグッチョグッチョグッチョ

私は部屋の隅で、できる限り気配を消してスマホの画面を見ていました。
ベラベラと取引先の会社と電話しているように思えるその彼の手にスマホはありません。誰かと通話なんてしていません。その右手にはローションをたっぷり使ったオナホールが握られていて、懸命に動かしています。グッチョグッチョ。
人間は眠らずに起き続けていると、うわごとを言い出します。

真っ暗な部屋、唯一光るテレビに映る裸の男女は変な体位でセックスをしています。
散らかった部屋には、あちこちに使用済みのオナホールやアナルプラグが転がっています。ティッシュのくっついたローションのボトルには、萌えイラストの女の子が涎を垂らしたイラストのラベル。
それと、部屋の角の方に中身がぎっしり詰まった100円ショップの大きな袋が3つ。

部屋の中央のテーブルには、赤くきらきらした粉が入った小さなパケ、半分に折り曲げられた名刺と、水の入った小さな紙コップ、注射器と、灰皿、煙草の箱。

私は彼の気をこちらに向けないよう、なるべく音を立てないように100円ショップの袋からいくつかの商品を取り出します。
彼はまだうわごとを言いながら右手を動かしていて、こちらを気にしている様子はなく安心しました。そっと部屋を出ると私は、キッチンで作業を始めます。
サイズ違いの網状のボードを結束バンドで固定し、カゴのような形に作っていました。そのあとはキッチンの上のあたりに突っ張り棒を取り付けて、収納場所が完成する予定です。

手元に夢中になる私の目は、パチクリと大きく開いていました。



チキョウという惑星、その中の小さな島国、その名はニッペン。
ニッペンは平和です。23歳の私が暮らすのはニッペンの首都、トーキャウで、私は毎日へたくそに生きています。
私ったらまたやらかしたんです。今度こそ死のうと思ってカラフルな首吊り縄を作ったんですけど、通報されて自殺未遂で救急車騒ぎになりました。

若くて可愛い小柄な救急隊員の女性が、オーバードーズの影響でぶるぶる震える私の手を強く握って言いました。
「夢子さん。これから、まだ未来があるんだよ。人っていうのはね、自ら死んではいけないの。それは絶対に。分かる?」真剣な表情、輝いた瞳でじっと見つめられた瞬間、私の中の何かが爆発して、
「お、まえなぁぁあ!お、おまえに、おまえに何が分かっ!分っかんだよ、おまえ、おまえ、それ、ふざけんじゃねえぞおぉ!黙れ、ふっざけんな、う、うあぁぁん」
今まで静かにしていた私がいきなり大声を上げて暴れだしたものだから、その女性も驚いてすぐに私を押さえつけました。

人生で初めて人に「このクソアマが!」と言い放った夜でした。


「夢子、あんたまた…」と病院まで悲しい顔をした両親が迎えに来て、当時の彼氏と暮らしていた家からトーキャウの実家に連れ戻されました。
帰ってきてからも常に甲高い声で叫びだしたいような状態で、というか実際に何度もキャアーーーと叫んでしまうパニックぶりでした。

懲りるどころかもう何がなんでも死にたいとばかり思っていた私は、帰ってきてすぐに自分の部屋で母親の留守中に首を吊ろうとして、首に縄をかけた状態で足元の台を蹴り飛ばしたら、思ったよりも勢いが足りず片方の足のつま先だけは台に乗っかるくらいの態勢になってしまい、そのちょっと乗ったつま先を台から離すことも一旦体勢を持ち直すこともできず、そのまま半端に首が締まったまま小一時間が経ちました。
そのうち母親が買い物から帰宅、汗もびしゃびしゃで顔も真っ赤の首吊り状態の私を見て、「ギャー!」。

私、ここもう何年もそんな感じで、生きるのがヘタクソなんです。だから、精神科で薬を貰わなくちゃいけないんです。
前に実家から通っていた病院の医者は「依存性のある薬は…」といって眠剤を出してくれないし、何度言っても市販薬のオーバードーズをしてしまう私に呆れているようでした。あと、家から遠いのでちょっと行くのがしんどいんです。

スマホで新しいクリニックを探しますが、初診はどこも3ヶ月は待つようでした。
一つ、少し家からは遠いけれど一か月後に初診の空きがあるクリニックがあり電話してみましたが、無愛想な女性にあれこれと質問されたあと「閉鎖病棟に入院歴のある患者さんはうちでは診てませんので、すみません」と冷たく言われて電話は切れました。

精神科の患者がパンクしているこの世の中が、本当に平和と呼ばれる場所なのか?戦争が起こらず、ニッペンの大半の人間が衣食住に困っていなければそれが平和。平和。平和。もう私のこころに平和は何年訪れていないだろうか。

今まで診てきてもらったどのお医者さんも私に「夢子さん、あなたはソーウツという病気です。あなたがとてもハイになったり、落ち込んで死を考えたりするのは、そのせいなんですよ。」と言いました。
えっじゃあそれどうやったら治るんですかと聞いたら、「それをあなた自身の持つ特徴だということを認め、受け入れましょう。そうすれば次第と良くなります」と返されました。

「あんたもう人生諦めなさいね」
私にはお医者さんがそう言っているように聞こえました。



ニッペンには、小学生のころから「ダメ!絶対!」と教えられる赤い薬物がありました。
それは摂取するとハイになれて、すごく気持ちよくなれるらしい。でもその代わり依存性がものすごく高く、一度でも打ったらそれナシじゃ生活できなくなり、食欲が無くなってガリガリにやせ細り、廃人になってしまうんだそうです。どんどん頭がおかしくなって「人間」じゃなくなってしまうんだと教わりました。

その赤い薬物の歴史はかなり古くからあるもののようですが、ニッペンでは昔、お国のために、ほかの国との戦争に勝つために「疲労の防止と回復に!」「疲労がポンと取れる!」と製薬会社がポスターを貼りだして売り出していたようです。兵士がもっともっと戦えるように、この国が戦争に勝利するようにと。

戦争なんて時代はとっくの昔になった「平和」なニッペンでは、赤いそれの摂取は犯罪になりました。
地域によって呼び名の違いはあるようですが、それの正式名称は「メチョメチョ・ドドンチョ」。
この不思議な名前の由来については、薬物について研究する有名な専門家も分からないそうです。ただ、絶対に手を出してはいけない薬物だとニッペンの国民全員が子供のころから学校で教えられるほど、たいそう危険なものらしいのです。

私は、トーキャウの中でも治安の悪い地区で生まれ育ちました。
中学になったら一番ワルな先輩が女の子からモテる、なんてのはどこの地域でもありがちな話ですが、授業中校庭で爆竹が鳴っていたり、ヤンキー同士のタイマンがあったり、深夜には暴走族がパラリラ、万引き、無免許運転、バイクの窃盗、自分で手指にお手製の入れ墨を入れたり、同級生には親がヤクザだって子も普通に居ましたし、私の初めてできた彼氏は「金が入るから美容院代おれが出してやるよ」と言ってから3日後に詐欺の受け子で捕まって少年院へと送り込まれました。

そんな中で私も派手なグループに属しては居ましたが、ずっと「半端なヤンキー」という感じでした。
元々どちらかというと気弱で真面目だったし、学校での勉強もかなり出来る方でした。なので、グループ内で「エセヤンキー」「ヤンキーぶってるだけの陰キャ」と思われないよう、私なりに頑張って、煙草を大量に抱えて万引きしてきて仲間に配ったり、オラオラと仲間と夜な夜な遊び倒しては朝に帰ってからカンカンに怒る親に平謝りしていました。

当時中学生の私は、友達を失わないことに必死でした。
クラスの女の子たちにこれといった理由なく無視されるターゲットになり、一人で教室でお弁当を食べる勇気の無かった私は、学校に行かない子たちと煙草を吸って酒を飲んでお巡りさんと追いかけっこする日々を選びました。

中三くらいになると、ライトな薬物に手を出し始める子がちらほらと出てきます。初めて見たのは、寒い日の夜中でした。自転車を漕ぎながら、よくつるんでいた女の子が電子タバコの機械のようなものを取り出して「さっむ!さむいからシラフじゃ無理だわぁ!」と、今までそんなこと言ったのを聞いたことも無かったのに、さも前々からそれを常用しているかのような口ぶりで「でもこれもうあと残り少ないんだよなー」とか「マジ金かかるわぁ」なんて嘆き始めました。
「ちょっと止まっていい?」と自転車を止めるとその子はその機械に口を付け、うつむいている。顔をあげるまでの三秒間、私を含めたほかの三人はその様子に釘付けでした。
もわぁと吐き出した煙が白く揺れて、風に流れていきます。

その女の子は「はぁーっ…やっぱこれないと無理だわぁ」と、とろんとした目でため息をつくと、なぜか私にだけ、にやりと笑って「ねぇ、吸ってみたい?」と聞きました。
私は苦笑いしながら「いや別に、いっかなー私は…」と断るものの、目はその子の手元に釘付けでした。



私は中学の仲間たちが定時制の高校に進学したり、早くもシングルマザーになったりしている中で、通っていた中学の同級生の中で一番偏差値の高い高校に進学しました。

学校サボって煙草吸って夜遊びして万引きして、といった毎日でも、勉強が嫌いでなかった私は親が通わせてくれていた塾にだけは通っていて、中学の学年テストでも90点以下の科目は一つもありませんでしたし、ヤンキーグループに属してからは授業をサボってはいましたが、それまで学級委員を任せられ優秀な生徒だった私がクラスでハブかれたのをきっかけにそうなっていったのは先生も分かっていて「夢子ちゃんは頭いいんだし、高校行ったら絶対また元の夢子ちゃんに戻ってまともにやれるから頑張りなさい」と卒業の際の内申点もそれまでと変わらずほとんどの教科に5を付けてくれました。

その荒れた地区内で偏差値が高いといっても「自称進学校」程度の高校でしたが、みんなそれなりにプライドを持って進学してきていて、つけまつげとカラーコンタクト、ルーズソックスを履いた私は周りの子たちとはまるで違う学校の生徒のようでした。

定時制に通う地元の仲間たちとも時間が合わずにどんどん距離が離れて、久しぶりにトーキャウ大学合格者が出たやらで大学進学への意識が高まる生徒たち、良い学校に入って塾にも通わなくなったら私の「クラスで一番勉強が出来る」なんて嘘だったかように全く授業にもついていけなくなりました。
家庭でも両親とうまくいかない日々が続いていたので、色んなストレスが重なった結果なのか、そういうタイミングだったのか分かりませんが、高校生活が始まると共にものすごいスピードで私の精神状態はどんどん悪くなり、自暴自棄になっていきます。

気が付けば高校生にして立派なヤク中でした。学校ではすぐ友達ができず、さみしかった私はネットで知り合った大人たちとばかり遊んでいました。
その男の人たちが「夢子ちゃんもやる?」と違法なものを出してくれば迷いもせずに頷いていましたし、ひとりでも毎日市販薬の咳止めを100錠近く飲んでいて、シラフでは学校の授業も受けられないほどになっていました。

高校二年生の大晦日の夜、ネット仲間とカラフルでかわいいロゴの入ったラムネをバリボリと食べ、そのままラブホテルに行って男女4人でペアを交代しながらセックスをして過ごしました。
朝になってセックスにも飽きると、みんなでふらふらしながら外に出て「なんかまだちょっと視界が変な感じしない?」「まって、頬になんか付いてるよ。あ、これ精子じゃない?うわははは!」「今度はさー、これでみんなで夢の国に行こうよ」なんてケラケラと笑いながら初詣に行きました。
まだほわほわとキマった頭のまま神様に「幸せになれますように」とお願いしたのを覚えています。こんな状態でお参りするなんて罰あたりもいいところです。

なんとか高校は卒業しましたが、そこからの人生、周りが大学生になり、社会人になっていく中、私は恥ずかしくてみっともないことばかりしてきました。
医者は私にソーウツだと言いますが、私はときどき、まだ神様が怒っているような気がしてなりません。



23歳、カラフルな首吊り縄で死ねなかった私が、実家に連れ戻されて再度首吊り自殺にチャレンジしたとき。
足元の台を勢いよく蹴り飛ばせずに片足のつま先がちょっと乗った状態で身動きが取れなくなり、小一時間半端に首が締まったまま帰ってきた母親に発見されたとき。
鏡でくっきりと首に残る縄の跡を見て、私は声をあげて泣きました。

あんなに覚悟を決めて首に縄をかけたのに、怖くて足のつま先を台から動かせなかった私。一時間もの間、あとちょっとのところで生にしがみついてしまった私。
首が締まって呼吸が苦しくて、身体は冷たくて寒いのに汗がだらだらと出て止まらない。涙も鼻水も出続けてそのうち鼻が詰まって、余計に呼吸が苦しくなる。
このつま先をあと3㎝、えい!と外側に動かすだけでいい、それなのに、どうしてもそれだけのことが怖くてできませんでした。

死への恐怖だ。私、死ぬことが怖いんだ。こんなにも何年もまともに生きられず死んでしまいたいのに、どうして死ぬことができないのだろう。
うじゃうじゃと無限に湧いて出てくる「辛い!」が身体を支配していて動けない。母が、父が、もう勘弁してくれと泣いている。

まともでない状態で思いつく打開策というのは間違いなくまともでなくって、今思えば本当にアホらしいのですが、当時の私にはこれしかない、これが私の人生を救う選択なんだと思いました。
自分の人生に平穏が訪れないのなら、それが耐えきれないというのなら、自ら死という平穏に飛び込むしか術はない。

死への恐怖を感じるということは、まだ生きることに未練があるんだろう。それなら、自分でもっともっと人生を壊してしまえばいい。
もう修復なんてできないくらい壊してしまえば、3㎝に負けてしまう根性なしの私でももう死ぬしかなくなるだろう。

人生をできる限りめちゃくちゃに壊すなら、そうだ、人間なんか辞めちゃえばいい!



人間を辞める最初の一歩を手伝ってくれたのは、有名企業に務める一見爽やかな30代半ばのサラリーマン、ケンゴ君でした。
ネットで隠語を含んだ書き込みをして、その書き込みにはたくさんの連絡が来ましたが、中でも「興味あるならうちにおいで一緒にやろうよ。知識は豊富だと思うので、色々教えます。」と丁寧な文章で連絡をくれたのが彼でした。

最初だったので私も説明されるがままに話を聞いていたし、そんなものなのかな…と思っていましたが、今思えばケンゴ君はきらきらした赤いそれ、「メチョメチョ・ドドンチョオタク」だったんだなと思います。
これからこのお話では色んな人とメチョメチョ・ドドンチョを一緒にやったり、それについて語ったりするわけなんですが、サラリーマンとして毎日朝からちゃんと働きながら、かつ毎日メチョメチョ・ドドンチョを摂取している、という彼は依存症者として非常に珍しいタイプでした。

メチョメチョ・ドドンチョ(以下ドドンチョ)を接種すると長い間眠くならないので生活リズムが崩れますし、効能が切れてくると一気に身体が重く、気力もないような状態になってしまいます。接種してしばらくはリスクを考えると外に出たりもできません。

やはり依存性の高いそれは「休日だけの楽しみにやる」「一回分だけやる」なんて風にうまく付き合える人はなかなか居らず、大抵の人がグレーな仕事をしていたり、乱れた生活を送ることになります。
そんな中ケンゴ君は毎日朝ちゃんと出社して仕事に行っているようで、しかも大変仕事のできる優秀なサラリーマンのようでした。
かといってドドンチョと程よい距離感で付き合えていたわけではないようで、会社の昼休みに耐え切れずトイレでそれを摂取することもしょっちゅうだと言っていました。

彼の家はトーキャウからは少し離れた、最寄りの駅からも徒歩20分という不便な場所、控えめに言ってもボロボロのアパートで、今時珍しくアパートの住人で共有の古い洗濯機は、毎回100円を入れて使うものでした。
有名企業に勤める彼の正確なお給料はさすがに知りませんが「他の同年代より倍…とまではいかなくとも、だいぶ貰っている方だと思う」と言っていました。
そんな彼がこんな不便なオンボロアパートに住むのは、高額なドドンチョを毎日摂取するためなのです。

初めてドドンチョを一緒にやろう、とケンゴ君の家に上がった日、私はとても緊張していて、正直とてもビビっていました。こんなものをやる人なんて、反社会勢力の人か、頭がおかしい人に決まっている。
もしかすると危ない目に合うかもしれないとも思っていました。でも、この際それでもいいかとも思っていました。
けれどケンゴ君はとても爽やかで優しく、どう見てもいい意味で普通のサラリーマンといった感じで、ドドンチョ依存症の人のイメージとはかけ離れていました。

物が多く散らかってた彼の家には、業務用の個包装の消毒液、ガーゼ、大量の新品の正規品の注射器、普段病院で採血するときに腕を置くあのクッション、腕に巻く駆血帯までありました。
体内に摂取する適切な量の説明から、ドドンチョの微妙な色合いで分かるモノの違い、もしこれからドドンチョをやるのであれば気を付けたほうがいいこと、今からやったら何時間くらい効果が残るので帰りの時間は大丈夫かの確認など、丁寧に説明してくれました。

しばらくするとケンゴ君の家のチャイムがピンポーンと鳴り、私が驚いて怯えていると、彼が「はーい」と言ってすぐに玄関を開けに行きました。
そこにはタクシーの運転手らしい風貌のおじちゃんが立っていて、おじちゃんは玄関に入るとベッドの上に座る私の姿を見て軽く頭をぺこっと下げました。
私も慌ててぺこりと頭を下げ、目を丸くしたまま二人を見ていると、おじちゃんはズボンのチャックを下ろし、パンツの中から小さな封筒を差し出しました。
「いつもありがとう。はいこれ」とケンゴ君からお金を受け取ったおじさんは「はい。また連絡ください」と慣れた様子ですぐに帰っていきました。

ケンゴ君はおじさんが帰るとすぐに測りを棚から取り出し、封筒の中身を開けると、棚から計量器を取り出しました。
「パケの重さを引いて、ちゃんとグラムぴったり入ってるか毎回量ってるんだ。わかりゃしないって誤魔化すやつらもたくさんいるから。あのタクシーの運ちゃんはだいぶもう長いから、信用はしてるけど一応ね。…うん、3グラムぴったり。大丈夫だね」

不安を沸き立たせるような、濃い、血のような赤い色。きらきら光る結晶のようなその小さな塊を間近で見て、急に心臓がバクバクとしてきました。
自分の口の中がひどく乾いていて気持ちが悪かったけれど、飲み物もらっていいですか、とは言えませんでした。

あぁ、私人間、辞めちゃうんだ、遂に。もう戻れないんだ。
そして戻れなくなって、もう本当にどうしようもなくなったら、死ぬことにビビってる余裕なんかなく、自ら死ぬしかなくなるんだ。

クッションの上に腕を置く。駆血帯を巻かれて血管の位置の確認をされます。
注射器にはもう既に赤い結晶が水で溶かされた液体が入っていて、横には消毒液、小さな絆創膏も用意されていました。

「うわーっ、これは羨ましい。めちゃめちゃ良い血管してるね。ぷっくり盛り上がってこんな太い。女の子は血管細くて入れるの苦労する子多いからなぁ」

幸か不幸か、私の腕の血管は両腕ともに太く、とても注射しやすいらしいのでした。そうだ、思い返せば病院の採血のときにも看護師さんに褒められたっけ…。

「夢子ちゃん、ドドンチョの神様に愛されてんじゃないのー?とかいって。あはは。いくよ?いい?大丈夫?…わかった、針、刺すね。ゆっくりいれていくからね。」

身体に入って体感、1秒もしないうちに頭の中で「ドドン!」という感覚がして、みるみる身体が冷たく、軽くなる。髪の毛が逆立っているような、身体が浮きそうな感覚。

あぁ、この「ドドン!」が、「ドドン!」以外には例えようがないこの感覚が、メチョメチョ・ドドンチョの名前の由来なのかもしれないな。薬物を研究する偉い人も知らない、それを打ち込んだ人だけが知っている、この赤いキラキラの、名前の由来。
私は思わず「これは、そうか、コレ、そういうことなんだ、ははは…」と口に出して笑ってしまいました。

うぅ、こりゃスゴい。身体が、頭の中が、ヒューー、とする。
頭のてっぺんからつま先まで全部が冷たい!心臓がドクドク脈打っているのが分かります。冷たくて冷たくて、凍えてしまいそうな感覚でした。



それから、お金の無かった私はいろいろな人と掲示板を通じてドドンチョ遊びをしました。
ドドンチョを接種すると感覚が過敏になるので、多くの男の人は一緒にセックスをしてくれる女の人を探していました。
いわゆる『キメセク』というやつです。

ただ、ずぶずぶに依存してしまっている女性というのはやはり「普通でない」人が多いらしく、あまり会話がちゃんと通じなかったり、こっそり男性の持っているドドンチョを盗んだり、普段の生活をちゃんとできていないからか清潔感が無い人も多いらしいのでした。
特別可愛いわけでもスタイルがいいわけでもなかったけれど、そのころ黒髪で髪も短く、垢ぬけない大学生のようだった私と初めて会うと、大抵の人が「え、本当にやったことあるんだよね?大丈夫?」と驚いていたのを覚えています。

やっていることは犯罪なので、ドドンチョ遊び中に何かあっても警察や救急車なんてものは呼べないし、掲示板でやりとりして会うのは男性側も女性側も普通は慎重になるらしいのですが、当時、人生なんてぶっこわせー!と人間辞める気マンマンの私。
捕まってしまったら嫌だったので逮捕に怯えることはあっても、別にどこで誰と会って殺されようがネタの多量接種で死んでしまおうが、それならそれでいっか!なんて思っていました。

ドドンチョ・オタクのケンゴ君の家に遊びに行くことも度々ありましたが、掲示板を見ているうちにやりとりして仲良くなり、一緒にやろうと誘われると、明らかに文体を見て変じゃなさそうな人であれば会って一緒にドドンチョをキメて、セックスをする…といった日々でした。

ドドンチョを摂取すると、興奮は高まっても男性器は勃たなくなります。全身の血液の流れが悪くなるからです。
なので、ドドンチョ遊びに慣れている人だと、摂取したらふにゃふにゃの男性器になり挿入できないことも分かっているので、達せなくてもある程度のところで諦めてくれたりだとか、むしろ元々射精できないから興奮した状態で女の子を責めて乱れるところが見たいだけ、などと割り切って遊んでくれるのでこちらも楽ちんなものでした。
ただ、中には「気持ちいいのに達せない」ことがもどかしく苛立ってムキになる人も居て、まぁこっちも高額なドドンチョをタダでわけてもらってるんだから仕方がないか…と二時間も三時間も手でしごくことになり、ぐったり疲れてしまうこともありました。

今思えばよくあんな日々を送っていたなと思います。
ドドンチョを求め、いろんな人に会いました。ヤクザ屋さんかな?って人も居ましたし、売人の人と仲良くなってタダで譲ってもらうこともありました。大学生?と思うような若い人も居たし、もうこれで何度も捕まってるんだけどね、と刑務所での話を聞かせてくれる人も居ました。

人間辞めよう!と必死で、最初はケンゴ君に打ち込んでもらっていた私も、一番最初は怖かったけれど、ドドンチョの神に愛されし極太血管の持ち主なこともあり、すぐに自分で余裕のよっちゃん、百発百中で打ち込めるようになっていました。

掲示板に集まる人たちの中には「よく知らない女の子に多量のドドンチョを打ち込んでヘロヘロにさせてしまい、好き勝手してしまおう」という人も多く、私もそういった人に度々出会いました。
運がよかったなと思うのは、私の体格が小柄な方でなかったからか、体質もあるとは思いますが、かなり多い量のドドンチョを摂取してもヘロヘロになってしまうことがなかったことでした。
なので、男性に乱暴に好き勝手されてしまうこともなかったし、解散することになってからの帰り道、明らかに様子が変に見えて職務質問されてしまうようなこともありませんでした。
多少は警戒しながらも、なるべく普通の顔をして電車やバスなどの公共機関を使って家まで帰ることができていました。
まだ頭の中はバキーンと冷たく、身体が飛んで行ってしまいそうに軽い感覚であったとしても、駅前の交番近くの喫煙所でタバコを吸って帰ることもザラにありました。



あるとき、掲示板で岡さんという男性と仲良くなりました。50代の男性で、会社を経営しているという方でした。
最近までドドンチョ遊びを一緒にやる仲のいい女性が居たらしいのですが、色々わけあって会わなくなってしまったそうで、新しくたまに一緒に遊べる「キメ友」を探しているようでした。
早速日程を決め、当日岡さんに車で近くまで迎えに来てもらった私は、なんだか高級そうなその車に躊躇することなく乗り込みました。

「岡さん…ですよね、初めまして。」
「よろしくー。あー会えてよかった。こういうのって、割とドタキャンも多いからさ。今日、すごい良いネタたくさん用意してあるから。楽しみにしててね」

岡さんは決してモテそう…といった顔立ちではなかったものの、髪の毛も茶髪、ブランドものらしきお洋服に身を包み、軽いノリでしゃべる、遊びなれている風のチャラチャラしたおじさんでした。

「好きなの、好きなだけカゴに入れていいよ」という岡さんにコンビニでお水を数本買ってもらい、何気ない日常会話や、ドドンチョトークをしながらまた車を走らせて、すぐに近くのラブホテルに着きました。
岡さんは靴も脱がずに広い部屋の中に入り、ソファにどかっと腰を降ろすと「見てよ見てよ」と、鞄からそれを取り出し、私が今まで見たこともない大きな赤い結晶が入ったパケを見せてくれました。

「これ、すごいおっきいですね。かなり量あるんじゃないですか」
「女の子と遊べるの久しぶりだからさぁ、いっぱい持ってきちゃった。注射器もちゃんと新品があるからね。遠慮しないで、使って使って。」

勧められるがまま、私はもうすっかり慣れた手つきでそれを注射器に入れ水で溶かし、2,3分のうちにぷすり、それを打ち込みました。

ドドン!いつもよりもっと冷たい衝撃が走るその感覚に、背中がゾクゾクとしました。

「岡さん、これ、すっごいですね。今までの中で一番気持ちいです」
少し息が上がったまま岡さんにそう伝えると、岡さんも自慢げに「でしょう?これ、高かったんだ」と自分の分の準備を進めていきました。

この後の流れはセックスだろうな、と思っていた私は、岡さんがそれを打ち込み終わるのを、スマホを弄って待っていました。
瞳孔が開いているので、スマホの画面がやけに眩しい。このころには私もドドンチョを接種する機会が増えていて、なかなかキメる機会がないと身体がだるくなるようになっていました。もう立派な依存症だったと思います。

「あれぇっ、おかしいな、くそー…」
岡さんは、打ち込むのに苦労しているようでした。

長くドドンチョ依存になると同じところに針を刺しすぎて血管が固く、潰れてしまいます。潰れてしまった血管はもう使えないので、違う血管を探すか、腕ではなく脚から打つか、中には鏡を見ながら首の血管に打ち込む人も居ました。
モノがあるのに打ち込めないなんて依存症の人からすると気が狂うようなことなので、ホッカイロで身体をあたためて血管を浮き出るようにしたりと、必死の形相で戦います。

打ち込む以外の方法で接種することも可能ですが、火で結晶を炙って煙を吸引したり、水に溶かし液体にして肛門にそれを入れ、腸から摂取するやり方では、直接血管に打ち込むよりもドドン!と来る感覚の大きさが違うらしく、だから絶対に打ち込む方法で摂取したい、という人もいれば、反対に「打ち込んでしまうとその快楽に依存から抜け出せなくなるから」と、打ち込みだけは絶対にしないと決めてドドンチョ遊びをする人も居ました。

ドドンチョの知識や打ち込み方に関しては、ドドンチョ・オタクのケンゴ君にたびたび教わって私もずいぶん詳しくなりました。
ものすごく汗をかくので水分をたくさん取らないと危険なこと、何かあって早くキマった状態から抜けたいときはこうするといいよ、とか、捕まらないために気を付けることなど、全てケンゴ君が教えてくれました。

ドドンチョ好きな人にも色々な考えやこだわりを持った人が居て、赤い色が濃い方が良いネタだとか、首から打ち込むのが一番キマりやすいだとか、結晶が固いのは変なものが混ざってるとか、いろんな説があるようでしたが、実際のところ何が本当で何がただの噂話なんだかは分かりません。
依存して毎日ネタを打ち込んでいる人も、誰がどこでどんな風にドドンチョを作ってどういうルートで手元まで来ているのか、みんな知らないからです。

ケンゴ君はどこで入手したのかわからないけれど、家ではずっと海外の女性がドドンチョを用意して打ち込むまでの流れを撮影しているムービーを流していて、相変わらずあのボロアパートで毎日キメては仕事もして、太い血管はあちこち潰れてきてしまったようで、細い血管にうまく打ち込むために看護師さん向けの本や動画を観ていたり、変わらずドドンチョに熱く情熱を注いで生活しているようでした。


岡さんが苦戦し始めて、三時間が経ちました。
なかなか入らないのでかかる時間と共に焦ってしまっているのが良くないようで、段々とイライラし始めています。

「あーーーー、くそっ」
時たま大きな声をあげ、舌打ちの音が聞こえてきます。

いろんな人とドドンチョ遊びを始めてから、会った時点でもう既にキマっている相手のふらふらとした車の運転にヒヤヒヤしたり、月にたんとお金をあげるから自分が紹介する人たちとキメ友になる契約をしてくれないか、と提案されてビビったり、相手が「おれめちゃくちゃ強いんだよねー」と多めの量を打ち込んですぐヘロヘロで動けなくなってしまったりと、困った場面はちょこちょことありましたが、今回の岡さんとのドドンチョ遊びというのは、一番印象に残っている困った珍事件かもしれません。

ドドンチョは、失敗を続けているとモノが使えなくなり、無駄になってしまいます。
打ち込むのに途中で血が混じって時間が経つと固まってきてしまうからです。何度も刺しているうちに、血管周りは腫れあがって余計に打ち込みにくくなりますし、注射器の針も鈍くなってきます。

このまま、ここから更に四時間が経過しました。
使い切れないほどあったはずのドドンチョも遂に無くなりました。
あぁ、やっと帰れる!正直ホッとしていました。七時間もピリピリした岡さんの脇で空気を消していた私は、一度キメていたドドンチョが切れてきたこともあって、疲れていました。

「あ、すごい、あの、残念でしたね…私、そろそろ帰らないと…」
「待って!もうちょっとだったから、もう絶対次はいけるから。すぐドドンチョ売ってくれる人探すから待って!そしたら夢子ちゃんももう一発打ったらいいから!ね!」

貧乏ゆすりをしながら掲示板を夢中で見始める岡さん。マジで?と絶望する私。
この必死な様子を見ていると、無理に帰ろうとして揉め事になっても面倒くさそうだ。というか岡さん、なんでこんなにヘタクソなの?遊びなれてるんじゃないの?だからキメ友だった女の子逃げちゃったんじゃないの?

結局、今すぐだと車で一時間半ほどの場所まで買いに行くしか手に入れる手段がなく、フンフンと苛立つ岡さんの荒い運転の車の助手席で、死んだ目をする私。

やっとのことで再びモノを手に入れ、また違うラブホテルに入り、岡さんはまた必死に針と睨めっこしています。
約束通りもう一発分私にもくれたけれど、ここからまた何時間待てばいいのか、というかいつになったら帰れるのか。

それからまた暫く時間が経って、疲れてきた私。
ソファの端でうとうとしていると、「あーーーーー!」という突然の大声に驚いて飛び起きました。

「ちょ、ちょっと入ったぁ」と言うので洗面台に居た岡さんの様子を見に行くと、本当にすこし、ほんの少ーしだけ血管に入った様子でした。
おそらく、私の入れた量の10分の1程度。

それから傍で見ていましたがそれ以上の量はうまく入らず、結果入ったのはちょびっとだったけれど、数時間越しにちょっとでもそれが入った岡さんはもう大大大興奮のようで、私をベッドの上に投げ飛ばし強引に服と下着を脱がせると、がばっと股を広げさせられました。

「ああああああおまんこおまんこおまんこ乳首おまんこおまんこぐちゃぐちゃおまんこずっぽずっぽずっぽずっぽおまんこ乳首おっぱいおっぱいぐちゃぐちゃぐちょぐちょおまんこおまんこ」

呆然とする私におかまいなく、呪文のように大きな声で卑猥な言葉の連呼を始めた岡さんは、私の裸体を目をかっぴらいて凝視しながら自分の手でだらんと垂れ下がった性器を勢いよくしごき

「ぐっちゅぐっちゅおまんこクリクリ乳首おまんこおまんこおまんこああああああああああああああああ」

と叫びながら私に精子をぶっかけました。その間、およそ30秒。

結局、トータルで17時間ほど帰れずにこの30秒を待たされた私は、この後あまり軽い気持ちで掲示板で人と会わなくなりました。

一息ついて正気に戻った岡さんが「あとちょっとだけ残ってるからもう一発いれてみようかな」というので、私はもう慌てて「は、母がぁ!父から連絡が来て、倒れて救急車で運ばれたらしいんで、急ぎ目で帰っていいですか…あ、あの、また次回、ゆっくり、すみません、急ぐので…」と逃げ帰り、即、連絡先をブロックしました。



ここからの話は、あまり思い出したくありません。
なので、なるべく簡潔に書こうと思います。今思い出しても、胸がドキドキして、身体が冷たくなるんです。

はじめての、女の子とのドドンチョ遊びでした。
かなり長年ハマってやっているらしい、3つ年上のお姉さんでした。
女の子とドドンチョで遊ぶのって、なんだか男の人とやるよりもどんな風なのか想像がつかない。キメたらセックスするのが当たり前の流れだったけど、女の子とキメて遊ぶってどんな感じなんだろう。
岡さんとのこともあり、変な人だったら嫌だな…と心配になった私は、会う前に一度電話で話してみたのですが、話しやすく、気さくなお姉さんで安心しました。
彼女は地方に住んでいたけれど、今度用事で四日間トーキャウに来るから、そのうちの一晩一緒にドドンチョで遊ばないかという誘いでした。

彼女と待ち合わせしてから、そのままラブホテルに入って、私が用意したネタを半分こ、知り合いの売人から買った半分のお金を彼女から貰って、さっそくやろうと二人でネタをキメました。きゃいきゃい話も弾んで、すごく楽しかったのを覚えています。

「ねー夢子ちゃん、普通に友達になろうよ。うちら絶対気あうよね」
「ですよね!私も思ってました。男とやるよりめんどくさく無いし、楽しいし。今度は私がそっちに遊びに行こうかなぁ。」

一人のときはキメて性欲に走ってオナニーすることもありましたが、男性と女性との違いなのか個人的なものかは分かりませんが、私の場合、キメたら絶対に性的なことをしたい!というわけではありませんでした。
男性と遊ぶときはネタを奢ってもらえるからセックスするだけ、確かに触られたら感覚が敏感になっているから気持ちいいのはいいのだけれど、普通のセックスと違って挿入もできないので終わりがなく、男の人が満足いくまでとなると時間がかかることに疲れてきていました。

初めて女の子と遊んでみて、やってることは大っぴらには言えないけれど、久しぶりに新しく、同じ趣味の友達ができたような感覚で、楽しかったのを覚えています。

途中でネタが切れて、いつもの掲示板を見ると近くで売ってくれそうな売人も居たので、ホテルを出て、待ち合わせした公園で追加でドドンチョを買いました。
別のホテルに入ると、一緒に買った新品の注射器の袋を開けて、また二人でキメて、恋愛の話とか、ドドンチョにハマったきっかけとか、そんなようなことを話していたころでした。

「えー、でも、そんな長年やってて捕まりそうになったこととかないんですか?」


スマホを見ながら会話していると、突然返答が無くなりました。
あれっ、と思って顔をあげると、彼女は目をぱっちり開けたまま固まっています。

「あ、え…?大丈夫ですか?」と聞こうとしたそのとき、

「ば、ば、ばばばばばばばばばばばば」
彼女が壊れたロボットのように「ば」を連呼し始め、そのうちバターン!と思いっきり倒れ、大きく陸に上げられた魚のように痙攣し始めました。
「ばばば、ば、ばばばばばば」と言いながらベッドの上で痙攣する彼女に、私は恐怖で心臓が潰れてしまいそうになりました。

「だ、大丈夫ですか!大丈夫!?」慌てて彼女を抑えて必死に背中を擦りますが、痙攣は止まりません。
そして、彼女の身体が大きくビクン!と跳ねると痙攣は止まり、それはそれはゆっくりと、彼女の黒目が両目とも違う方向に動いて、完全な白目になりました。

「うそ…まって、うそ」
震える手で彼女の口元に手を当てると、息をしていません。首元に手を当てる、脈を打っていないようでした。

「やだ!イヤだ!待って、待って、うそ、イヤだ!」
必死で、心臓マッサージをしました。頭の中で、そうだ確かアンパンマンのマーチの速さのテンポでやるって何かで見たことがある、と焦りながら本当だったか定かでない知識を思い出して、両手で胸を押す、押す、押す、必死で押しました。
お願い!お願いします、助けて!神様!

「っぶぁあ!」
彼女が、息を吹き返しました。

よかった、あぁ本当によかった、怖かった。人の息が止まる瞬間なんて初めてみました。
心臓マッサージだって、生まれて初めてしました。でもよかった、本当によかった…。

一気に安心してぼろぼろ涙を溢す私、彼女に説明しなくてはと、でも涙で言葉に詰まってしまい、心臓もまだバクバクしていて、言葉が出ません。
泣きながら必死に話し始めようとすると、なんだか彼女の様子がおかしいのに気が付きました。

横になったまま、遠くを見つめたような目で、ぼーっとしている。胸は規則的に上下していて、呼吸はしているようでした。

「ね、ねぇ」
声をかけると、彼女はびくっと身体を揺らし、目を見開いてこちらを見て怯えたような顔をして、挙動不審な動きを見せました。でも、まだ怯えたような表情で、何も喋りません。

サーッと、血の気が引いていくのが分かりました。これは、救急車を呼ばなくてはいけないのかもしれない。彼女は、お姉さんは、おかしくなってしまった。

こちらが話しかけたり、物音を立てたりすると過度に怯える様子を見せました。
静かに、ゆっくり動いて机の上のスマホを取ると、震える指でケンゴ君にメッセージを送りました。

「いま救急車呼んだら、捕まるよ。その状態なら様子を見たほうがいいと思う。水とか飲ませられそう?」
「こっちが少しでも動くとすごく怯えてるから無理そう。時々、身体を揺らして、唸ったりもしてる。どうしよう、怖い!」

どうしよう、どうしよう、このままだったらどうしたらいいんだろう。
捕まる捕まらないより、彼女の命や安全が大事なんじゃないのか。安いところでいいよね、と選んだ狭いラブホテルの部屋が、急にもっともっと狭く感じました。
動物のように動いたり唸ったりする彼女が、怖い。どうしたらいいのかわからない。
でも、捕まるのも怖い、刑務所に入りたくはない。最低かもしれないけれどそれもまた本音でした。刑務所、救急車、動物になってしまったお姉さん、刑務所、救急車、動物になってしまったお姉さん、あぁ、どうしよう。どうしよう。どうしよう。

私のパニックに拍車をかけるように、彼女はまた「ば、ば、ば、ばばばばば」と言いながら痙攣を始めました。
私は、号泣しながら彼女の胸を再び、押す、押す、押す、また必死で押しました。
お願い、お願いします、神様、お願いします!助けてください!もう二度と、二度とドドンチョなんてやりません、誓います、だからお願いします!と、アンパンマンのマーチのテンポに合わせて。

すぐまた動物のようになってしまった彼女の傍で、息を殺しながら、私は、次に、次に一度でも彼女が痙攣したら覚悟を決めて救急車を呼ぼう、刑務所に入っても、救急車を呼ぼう。そう決めて静かにぽろぽろ泣きながらぶるぶると震えていました。


「んん…あれ?夢子ちゃん?…私、寝てた?あれ?」
三時間ほど経って、彼女の、人間の、はっきりと喋る声が聞こえました。

私は、しっかりと私と目線が合わさった彼女の黒目を見て、もう抑えることは出来ずに声をあげてうぅうぅぅ、ううぅぅ、と泣きました。神様ありがとう、よかった、神様ありがとう、よかった、と彼女の手を握りました。
彼女が死んでしまっていたら、救急車を呼ばなかった自分を許せず、そして警察に捕まって刑務所に入り、檻の中で彼女に謝り続けていたことでしょう。

もう二度と、やりません。一生、メチョメチョ・ドドンチョなんて打ちません。神様、ありがとうございます、本当に本当に、ありがとうございます。

うぅぅうと泣き続ける私に、彼女は不思議そうな顔で「ちょっと、夢子ちゃん、どうしたの…?」と聞くのでした。



あぁ怖い、思い返してもとても怖い話でした。
これをきっかけに、私夢子はもう二度とドドンチョをやらないと決心しました。

しばらくあの、黒目がゆっくりと両目ともに違う方向に動いて、完全に白目になる様子がフラッシュバックして、思い出しては一人で怖くなって泣きました。
四日間トーキャウに滞在する予定のお姉さんは友達と会う予定があったそうなのですが、事情を話して、お願いだから安静にしてくれ、帰りの飛行機の便の日程まで傍で付き添わせてくれとお願いして、お姉さんと数日ビジネスホテルで過ごしました。
二度、痙攣して白目を剥いて息が止まって、動物のようになってしまっていますから、時間が空いて三度目があるとも限らないと思ったからです。
とにかく水分を取って、寝てもらって、食べさせて、大丈夫なことを確認したくて必死でした。

お姉さんが普通に眠っている間も、またああなったらと思うと少しも眠れませんでした。
空港に向かうバスターミナルまで送っていきました。家に着いたら必ず連絡をちょうだいね、絶対ですよ、と言って別れました。

地元に着いたよと連絡があってホッとしましたが、ホテルで二度も「ばばばばばばばば」と痙攣して息が止まって死にかけて、動物のような動きで怯えて唸っていた…ときの記憶はお姉さんには一切ないらしく、元々重度の依存症のお姉さんは地元についてからも早速ドドンチョ遊びをしているようでした。
私なりに懸命に死にかけていた説明はしましたが、本人がそれでもやるのならもうそれは仕方がない。私はもう一生こんな怖いものとはオサラバするんだから、と連絡先をブロックして、やっとドドンチョから離れて平穏な生活が始まる…と、思っていました。


本当に怖いのは、ここからでした。
このころすっかり依存症になってしまっていた私は、あのお姉さんとのトラウマを思い出して怯えると同時に、ドドンチョを打たなくなってから身体はだるく鬱状態になっていました。
あんなことがあって、神様、もう二度とやりませんから、ありがとうございます、本当にありがとうございます、とあんなに泣いて感謝したのに、これ以上の辞めるきっかけなんて警察に捕まる以外に訪れないと分かっているのに、頭の中ではドドンチョが欲しい、打ち込みたい、あのドドン!と冷たい感覚が欲しい、ということで頭がいっぱいでした。

これで辞められなかったら、一生辞められない気がする。
考えないようにしよう、もう掲示板も見ない。もう二度とやらないと誓ったんだから、もう絶対にやらない…そう考えれば考えるほどドドンチョのことばかり考えてしまい、自分のぷっくりと浮き出た血管を見てあの赤い色を想像しては、ダメだダメだと自分に言い聞かせるのに、湧き上がってくる欲しい、欲しい、欲しい、という気持ち。

…そう、そうよね。相手がどうなるか怖いのがトラウマなら、一人でやったらいい。誰かとなんてやらなければいい。ずっと一人でやるなら、それなら、いいよね。

おめでとう、立派に私も重度のドドンチョ依存症者になりました。始めた当時の思惑通りになって、よかったね。夢子ちゃん。



ドドンチョ依存から抜け出せなくなり、でももう誰かと一緒にやるのは怖いので男の人に奢ってもらうこともできず、そうなるとネタを毎回自分で買うためにはお金が必要でした。
死ねればいいんだから、落ちるところまで落ちてやる!と毎日めちゃくちゃな生活を送っていた私が、なんとドドンチョ費用調達のために仕事を始めました。

「ドドンチョやめますか、それとも人間やめますか」
それはドドンチョ依存防止のためのポスターに書かれた有名なキャッチコピーでした。
小学生のころから「ダメ!絶対!」と教えられる赤いそれは、絶対に使用してはいけない、絶対に超えてはいけないボーダーラインである。なぜかって、そこを超えたら人間ではなくなってしまうから、と教えられてきました。
つま先3㎝残して死ねなかったあの時の私は、そうであるならそんなの大歓迎だ、人間なんて辞めてやるー!
と、そのボーダーラインを勢いよく飛び越えました。

小学校の運動会でやった大縄跳びみたいに、ぴょんと勢いよくジャンプして縄の中に入ると、それは暫く飛び続けなくてはならない。そしてジャンプするのに疲れ果てたその時、倒れこんだ身体に縄がぐるぐると絡んで、そのうち首まで締めてくれるだろうと思っていました。
死ぬために始めたそれは、いつの間にか生にしがみつくためのものへと変わって、当初の『死ぬことに少しも躊躇することのないように人生をぶち壊してやる!』なんて目的はすっかり忘れて、目の前の赤い結晶に夢中になっていました。

手っ取り早くドドンチョ代を稼げる仕事…と考えて、風俗の仕事も思い浮かびましたが、ドドンチョをやっていると独特な、甘いような酸っぱいようなにおいの汗が止まらなくなるし、腕に注射跡だらけでは無理だなとすぐに選択肢の中からは消えました。

あれこれ検索していると『チャットレディ』という仕事が出てきました。
よく知らない仕事でしたが、どんな仕事なのか調べてみたり、チャットレディの各会社の条件を見て、これは良いかも!とすぐに一つの事務所へ面接の応募のメールをしました。

チャットレディというのは、いわゆるカメラとパソコンを使ってアダルトなビデオ配信をする仕事でした。
事務所の一室を借りて配信をして、その配信サイトに登録しているお客さんが私の配信を見てくれると、その視聴人数と視聴時間にあわせてお給料が発生します。
オナニー配信を多数の人に見てもらいお客さんのオナニーのオカズになったり、それとは別にお客さんと1対1でビデオ通話をする機能もあって、画面越しでカメラに向かって舌を出してキスの真似事をしたり、手持ちのディルドをお客さんのおちんちんと仮定して「入れるよ…いい?」「はい…あ、あぁんっ」といった風にセックスの真似事をしたり、どちらにせよ繋いでもらった時間が多ければ多いほどお給料が上がっていくシステムです。

これなら実際に触れ合うこともないから変な汗のにおいにも気づかれないし、注射跡は見せないように配信したらいいし、自由な時間に出勤、退勤できるとのことで、今の私にはバッチリじゃん!というような仕事でした。

めちゃくちゃな生活を送っていたので実家に帰るのも気まずかったし、親の顔を見ると罪悪感も湧きました。少し調子もよくなってきたから、知り合いのところで住み込みで清掃の仕事をしたい、とかなんとか言って、私は最初に面接を受けたチャットレディの事務所に住み込みで仕事を始めました。
あまり新しい事務所ではなかったので、古い3LDKの木造アパートの一部屋を借りて、そこで配信の仕事をしながら寝泊りをしていました。

風俗で働いた経験があった私はチャットレディなんて楽ちんでしょう、と高をくくっていましたが、条件を聞いてみるとサイト側と事務所側の取り分が多いシステムになっていて、かなり頑張ってたくさんのお客さんにアクセスの分数を繋いでもらわないとドドンチョを買って生活できるほどのお給料にはならないことが分かりました。
できるだけ時間を長く繋いで貰うには、すぐにお客さんが求めるような露出した配信にせず焦らしタイムを入れてみたり、たくさん配信している子の中から見つけてもらってファンを増やしていくのはなかなか地道な作業でした。

チャットレディでたくさん稼ぐ子はファンを作るのが上手で、一度の配信で何十人もの人が集まるし、それも長く繋いでもらうように少しずつ少しずつ露出していくのが上手なようで、同じ事務所には月に100万以上稼いでいる女の子も居ました。
私にはあまり向いていなかったのか、最初のうちはこんなものなのか分かりませんでしたが、頑張って配信してもせいぜい月に20万ちょっとくらいの収入でした。思ったよりたくさん稼げる仕事ではなかったけれど、部屋を一つ借りて仕事をさせてもらっていたので、打ちたいときにドドンチョを打てたし、ドドンチョを打てば疲れも吹っ飛ぶので長く配信することもできて、お金を稼いではドドンチョを買って、それを打っては仕事をして、という気づけば最悪のサイクルになっていました。

ドドンチョが切れてくると身体も重くキツくなり、精神的にも鬱々としてきます。
打つと目が覚めたようにシャキッとするけれど、何日も起きていると突然ぶっ倒れるように丸一日寝こけてしまったり、ドドンチョに依存すればするほど肉体的にも精神的にも振れ幅が大きくなり、これはマズいことになってきたのかもしれない…とやっとここで思うようになりました。

それでも、打たないで我慢することも出来ません。
泊まり込みで配信をしている部屋からたまに、いつも売ってもらう売人との待ち合わせの駅まで出向いてはドドンチョを買い、貰ってからはたまらずすぐに駅のトイレでそれを打ち込むこともありました。
すると一気に身体が軽くなって幸福で爽快な気分になります。

その時ふと、自分が元々は死ぬために人間を辞めようとドドンチョにまで手を出したことを思い出しました。
この気持ちいい感覚のまま電車に飛び込めたらいいな。浮いてしまいそうなこの身体のまま、ポーンと線路に飛び込んでしまおうか。なんだかドドンチョを始めてから、色んなことがあって疲れたなぁ。
身分証と親の連絡先を書いた紙を荷物と一緒にホームの椅子において、その駅には止まらない急行の電車の時間を確認しました。
しばらくして急行電車が、大きな音を立て、眩しすぎる光を発しながらこちらへ向かってくる。
…来た。今、今だ!私、いけ!

それから一時間ほど飛び込もうと何度もチャレンジしてみましたが、いざ電車の向かってくる線路に飛び出そうとすると直前で恐怖心の方が勝ってしまい、足にブレーキがかかりました。ぶわっと、風が私の髪を勢いよく乱すだけ。

なんだよ、なんだよ、私のビビり野郎。馬鹿野郎。アホ。死ね!さっさと死ね!
結局死ぬことなんか出来ないままこんなの辞められなくなっちゃって、これからどうやって生きていったらいいんだろう。私はいつか捕まるまでドドンチョを辞められないのかもしれない。そう思ったら急にゾッとしました。

事務所の借りている部屋に戻ると、またあの掲示板を眺めていました。
そういえば最近、売人以外の誰とも連絡を取ってないな。そりゃそうか、今の状況を友達なんかに話せやしないもの。人間を辞めた私を、誰が友達と言ってくれるのかも分からない。

寂しい、虚しい、しんどいなぁ。
私は、注射器の中で赤い結晶が溶けたことをじっと見て確認すると、注射器のキャップを取って、針先から余分な空気を少しずつ抜き、痕の残った腕の血管にゆっくり針を差し込むのでした。

あぁ、ヒュッと、身体がつべたい。



「おぉ、よろしくね。まぁ、乗りなよ」
大きなハイエースの窓が開くと、そこから見えたのは作業着を着た30代後半の濃い顔立ちの男性でした。
その笑顔は柔らかく、声のトーンも優しい。私は少しホッとしていました。

あの3cmの自殺未遂のときに「人間を辞めるほどに落ちぶれて収拾が付かなくなったらさすがに死ぬことにビビらず逝けるだろう」と思ったことが大間違いだったとやっと気が付き、人が死にかけたのを目の前にしてもドドンチョを辞められない自分がとんでもなくクズな人間に思えました。
結局死ぬこともできず、こんな状況で誰に助けを求めたらいいのかも分からず、人と会話をすることもほとんど無くなって、私は孤独感でいっぱいでした。
ドドンチョで精神的にもアップダウンは激しく、ネタが無くなると身体が動かず配信してもすぐ疲れてしまうようになって、稼げる額もかなり減っていました。

ドドンチョを辞められない、自分だけが悪いことをしているという罪悪感から逃れたかったのと、思うようにネタを買うことも出来なくなって、私はまた掲示板で男の人と会うことにしました。
セックスするのは面倒くさいけれど、もうずっとドドンチョを打ててなくて肉体的にも精神的にも限界でした。やりとりしていた人に車で迎えに来てもらい、ハイエースの助手席に乗って一緒にラブホテルに向かいました。

彼、ヨシさんは建築関係の会社の社長さんで、髭を生やして派手なキャップを被ってはいましたが、その垂れ目と優しい顔つきからか怖い印象はまったくありませんでした。
「仕事帰りだからさぁ、こんな車でごめんねー。」と照れくさそうに謝って、慣れた様子で車を走らせるのでした。

「へぇ、あのあたり出身なんだ。また治安悪いとこだね。なんつーか、夢子ちゃんはそういう風には見えないけど」
久しぶりに人と話し、笑顔を向けてもらって孤独感が和らいだのか、心地のいい感覚になりました。
ヨシさんは、今まで一緒にドドンチョ遊びをしてきた男性を思い返してみても、私が出会ったことのないタイプの人でした。性格も明るくよく笑うので穏やかな雰囲気もありますが、喋っていると賢くて真面目な人なのが伝わってきます。
なんというか、社会で活躍して働いているまともな大人、といった風に見えました。ドドンチョ遊びをしている時点でまとも、と言っていいのかは分かりませんが。

出会った初対面のとき、とても良い印象を受けたのを覚えています。
ラブホテルに入り一度ソファに腰かけた私たちは、暫くの間いつからドドンチョをやり始めたのかとか、普段の仕事、趣味のことなど、自然に雑談していました。
私は、また人とドドンチョ遊びを一緒にすることになり、ずっと心の中で引っかかっていた、あのお姉さんとの事件の日のことを話しました。
「あの、私前に女の人とキメて遊んだとき、死にかけて心臓マッサージまでしたのがトラウマになってて。多分ネタ入れすぎて変になっちゃったんだと思うんですけど、それから人とやるのが…」と最後まで話し終わる前にヨシさんは「あ、そういうことならね、多分心配しなくて大丈夫だよ」と困ったように笑って言いました。

話を聞くと、ヨシさんもドドンチョ依存ではあるものの、私と同じくいくら多い量を打っても理性を忘れた行動をとったり、ヘロヘロになってしまったりしない体質なようでした。
「俺も夢子ちゃんじゃない女の子と会って一緒にやったこともあるけど、打ったら別人みたいに変なテンションになっちゃってすごいことになる子見たことあるよ。でもなんか、逆にそこまで理性飛ばせるのって羨ましいなって思っちゃった。俺は元々好奇心もあったから、手出しちゃってこんなだけど…なんかきっと俺ら、根が真面目なんだよ。」

これを聞いて私は驚きました。今までドドンチョ遊びを色んな人とやってきましたが、みんな個人差はあれどキメた瞬間に理性は薄れていくようで、欲望のままに行動したり、高ぶった様子になるのを見てきました。中にはあの岡さんのように理性の欠片もなくなってしまうような人もちらほらと居ます。
みな、理性を忘れるほどの快楽のためにやるんですから、そうなって当たり前なのかもしれません。
なぜヨシさんの言葉に驚いたかというと、私もずっと同じことを思ってきたからです。
キメたら気持ちいい、なかなか辞められないほどの快楽がそこには確かにある。でも結局、キメても理性が飛んでしまったり理解不能な行動を取ったり、我を忘れるようなことはない。どこかに冷静な自分が居て、自分のことを見ているような感覚がある。
私もヨシさんと同じように、キメたらぶっ飛べるその人たちを見て羨ましいなと思うことが度々ありました。
実際私はそのころドドンチョへの耐性もついてしまい、一回の打ち込みで一般的な量の二倍ほどの量を溶かして打っていましたが、それを打ち込んでも冷静な自分で居ることには変わりはありませんでした。

そして、中学生のとき、悪友の女の子が煙を吐き出したあとにやりと笑って私に「ねぇ、吸ってみたい?」と聞いてきたときのことを思い出しました。
私は、その危険なにおいの煙に興味を持ってしまっていたように思います。その子の手元から目が釘付けになって離れなかったあの時から、自分もどうにかなってみたいと思っていたのかもしれません。

ヨシさんは、ソファで少し話をしたあと「そろそろ準備しよっか」と言ってサクサクと手際よく準備を進め、なんと私の打っているその倍の量をサクッと打ち込み、そのあとも顔色を少しも変えることなくフゥ、と息を吐き出すと、言っていた通りに様子が変わることもなく、落ち着いたままでした。
「多分俺らって損なんだよ」と笑うヨシさんに私も「たしかに」と笑うと、ヨシさんのネタから貰って私もすぐに打ち込み、二人で服を脱いで広いベッドに入りました。
最初こそは触りあったりもしていたものの、なんとなくそのうちにお互いがそれぞれオナニーするような形で並んで居ました。
理性を飛ばせない、というヨシさんの発言は本当にそのようで、時々こちらの様子を気にしてはちょっと恥ずかしそうにしたり、私の体調に異変がないか気遣ってくれました。

男性はほとんどの人がそうだとは聞きますが、ヨシさんもキメたら性欲に走るタイプのようで、途中からはずっとオナニーに夢中になっていました。
でも、途中で喉が乾いたりするとオナニーに疲れてソファでスマホを触っている私のところへ来て普通に雑談したり、その後私ももう一発分譲ってもらうとまた隣でオナニーしたりと、それぞれお互いのことを度々気にしながらドドンチョを楽しむ、今までにない人とのドドンチョ遊びでの居心地の良さでした。
そしてそれはヨシさんにとっても同じだったようで、私とヨシさんはこの日から度々会って一緒にキメて遊ぶようになりました。

多分、私とヨシさんはちょっと似ていて、刺激が欲しくてドドンチョをやる…というよりは、寂しさや自分の弱さを誤魔化すようにドドンチョにハマってしまったタイプだったと思います。
並んでオナニーをして、他愛もない雑談で二人でケラケラと笑って、知り合って三か月ほど経つと、私はほとんどヨシさんの家で寝泊りするようになっていました。

初めてヨシさんの家に上がるまで、一緒に過ごしていたのはいつもラブホテルでした。
ヨシさんの仕事帰りに車で迎えに来てもらい、どこかのホテルに泊まりで入って一緒にキメて遊ぶ。
ヨシさんは建築関係の会社の社長といってもまだ若いし、抱えている社員も少ないそうで自らも現場に出ないと仕事が成り立たないらしく、いくらキメて遊んで寝ていなくても朝時間が来ると必ず「夢子ちゃんはチェックアウトまでゆっくりしてってね」と私をホテルに残して仕事へ行きました。
ドドンチョをキメていると、時間の流れがすごく早く感じます。
「もうこんな時間だ!やばい!」と焦りながら昨日と同じ作業着でそのまま仕事に向かう姿を何度も見て、ラブホテルだと着替えられずお金もかかるだろうに、やっぱりこんな遊びで繋がっている仲だから家にあげるのは警戒しているのかな、なんて思っていました。

あるとき、迎えに来てくれたヨシさんのハイエースに乗り込むと、ヨシさんは申し訳なさそうに「今日、家にネタ忘れてきちゃってさー。ちょっとホテル行く前に家に取りに寄っていい?」と聞きました。
「全然構わないですけど、ヨシさんの家からまたホテルの方に向かう感じですか?ずっと気になってたんですけど、ヨシさんの家でっていうのは流石に、こう、気になるのかなと思ってて」

知り合ってから三か月ほどの間、このときはもう週に2日ほどは二人でホテルで会っていました。
かといって私たちは恋愛関係に発展するわけでもなく、お互い一緒にキメて遊ぶ以外に特に何もありませんでした。
二人でキメると最初の頃こそお互いを触りあうような時間もあったものの、ヨシさんは私が触るよりも自分でしごく方がずっと気持ちよくなれるらしく、私も実際キメてセックスするよりは自分で電マでオナニーしている方が疲れないしずっと気持ちよかったので、二人で横に並んでそれぞれオナニーをして、疲れるとたまに雑談したり、ホテルに持ち込んだご飯を一緒に食べたりするだけでした。

「いや、俺んちはさすがに、ちょっと片づけてなさすぎっからさ…」
苦い顔をするヨシさんに「全然気にしないし、私けっこう片づけ得意ですよ。いつもネタ分けてもらってるし、家の掃除とかしましょうか?」と言いました。
最初は、いや本当にやばいから、ネタだけ取って戻ってくるから車で待ってて、と言っていたヨシさんも、次の日の仕事のことなどを色々と考えるとやはり家でキメて遊ぶ方が都合は良いらしく「ほんっとに、やばいから。まじでちょっと無理って思ったら言って。そしたらホテルまで車で行くから」と言って、バツの悪いような顔をしながら、私を家の中に通してくれました。

玄関を開けたときから中の空気がひどい、とは思いましたが、部屋に入ってみるとそこはまさにゴミ屋敷でした。
飲み物の色が変色した飲みかけのペットボトルが数十本、食べ残しのカップ麺、空のコンビニ弁当のゴミ。洗濯していないであろう服や汚れた作業着、下着類は山になっていて、仕事で使っているであろう細かな工具もあちこちに散らばり、そしてキメたとき用であろう様々なアダルトグッズ。
アナルプラグやディルド、10を超える数の様々な形のオナホールがゴロゴロ転がっている。そしてこれもまた大量にあるローションボトルは、いくつか倒れて床に中身が漏れてしまっていて、そこに張り付く大量の丸まったティッシュ。
机の上には隠すこともなく置かれたネタのパケや注射器が散乱していて、思った以上の部屋の状態に私は思わず笑ってしまいました。

「これは、すごいですね」と笑う私、気まずそうなヨシさん。
私は部屋の中に入っていくと、とりあえず二人座れる場所の確保の為にあちこちのティッシュを拾い集め、衣類は一旦端に寄せて、食べ物のゴミは袋にまとめて、簡易的に少しスペースを作りました。
「いや、本当に申し訳ない…ごめんね。夢子ちゃんすげぇ手際よくてビビるわ。俺、片づけんのがほんとだめで。前の奥さんと離婚してからずっとこんな感じで、いやぁ、ほんと恥ずかしい」

とりあえず机周りに座れるようになったので、そこに二人で座って「ほんと、別に気になんないですから」と私が言うと、それなら…といった風にヨシさんはネタの準備を始めました。
「家に誰か入れたのなんて久しぶりで変な感じ。あ、ネタ勝手に使ってね」

このころはまだあまり分かっていませんでしたが、ヨシさんという人は頭の回転が早くとても賢い人で、実際に建築の世界ではできる人が極僅からしい技術の仕事をこなしていて、その能力を色々な人から買われて仕事を貰い、自分で会社を始めるまでになったようでした。
面白いもので、ヨシさんのステータスグラフがあるとしたら、それは仕事の才能と対人でのコミュニケーション能力なんてところは飛びぬけているのですが、生活能力の部分でいえば恐ろしく低い位置にその数値はあって、天才型の人ってこういうものなのかしら、なんて度々思ったものでした。



一度ヨシさんの家に上がってからは、ほぼ毎日ヨシさんの家で寝泊りするようになりました。
ネタはヨシさんがいつも使わせてくれていたけれど、ヨシさんが仕事に行っている間は私もコンビニに出かけたり、ヨシさんの部屋の掃除をするのに必要な掃除用品を買ったりしていたので、度々チャットレディの事務所に出向いて仕事をする以外は、ほとんどヨシさんの家に居ました。

ヨシさんと一緒に生活するようになってから気が付いたのは、ヨシさんがほとんど休みなく忙しく仕事をしていること。朝早くにハイエースで出かけ、帰ってくるのも遅い時間です。
そして、ヨシさんは思っていたよりも重度の依存症だったこと。休みもなく普通に生活していても寝る時間が少ないスケジュールの中で、帰ってきてコンビニ弁当を食べ煙草を吸い、少し落ち着くとすぐにネタを打ち込みます。
ネタを打つと大抵ローションとオナホールを使って、テレビでAVを見ながらオナニーを始めます。私も一緒に打って、ベットの横に敷けるように買ってくれた布団の上でお互いオナニーをしていることもあったし、私だけ途中で飽きてスマホを触っていることもありました。
理性を飛ばせないタイプのヨシさんは、私が一緒にオナニーしていないときは時々こちらを気にしたようなそぶりをみせつつ、夜の4時ごろになると気絶するようにオナホールを握ったまま少し寝落ちし、また朝5時ごろに目覚ましが鳴ると急いで支度して仕事に出かけていきました。

ヨシさんがこんな毎日の生活をどれくらい続けているのか詳しく聞きませんでしたが、部屋を片づけていると前の奥さんとの思い出の品がたくさん残してあって、ヨシさんに聞くと、今でも別れた奥さんのことが忘れられずにいると教えてくれました。
奥さんとセックスした時のものなのか、クローゼットの奥からは明らかに使用済みである制服やナース服などのコスプレも捨てられずに取ってありました。

一週間のうち、4、5日はヨシさんの家に居たと思います。
それ以外の日はチャットレディの事務所で配信をしたり、たまに実家に帰っては着替えや必要なものをヨシさんの家に持っていきました。
いくら私が片づけても片づけてもヨシさんは部屋を荒らす天才のような人で、2日ほど私がヨシさんの家に居ないと、もうあっという間にそこはゴミ屋敷になっているのでした。

ドドンチョを打つと、頭の中が一気に鮮明になり、一つの物事への集中力がとてつもなく上がります。
ヨシさんもほとんどの場合はキメたらオナニーでしたが、時たま車の中の整理や仕事で使う工具の整理に夢中になり何時間も熱中していることもありました。
私はヨシさんの家で生活を送るようになり、ネタをキメるといつでも大荒れした部屋の掃除をすることが一番の楽しみになっていました。
ヨシさんの仕事で居ない間、キメたらとにかく部屋の掃除をしていました。ローションでべたべたになった床を拭き、転がった肉感たっぷりのオナホールやアダルトグッズたちを片づけ、ヨシさんの作業着やタオルなどの洗濯をする。散らばった工具は種類ごとに分けて私が居ないときでもどこに何があるかわかるように工夫しました。
すぐ溜まっていく大量の飲みかけのペットボトルのラベルを剥がし中身を綺麗に濯いで仕分けして、冷蔵庫の中も飲み物は種類ごとに整理して取りやすいよう100円ショップの便利グッズを使って整理します。
そのうち、段々綺麗になって掃除するところが無くなると、今度は自ら収納を作ることに熱中しました。ネットで組み立て式の簡易的な棚を注文しそれらを組み合わせ、自分の生活用品と、ヨシさんの仕事用の作業着や靴下などの小物、工具などを整理して見栄えもよくなるよう考えるのが楽しくて仕方がありませんでした。
キメると掃除やDIYに走るようになった私は、100円ショップで突っ張り棒や網状のかご、物をかけられるフックなどの便利グッズをあれこれ買い込んで、帰ってきてはネタを打ち込んで大きな100円ショップの袋を開封し、部屋の改造をすることにハマっていく一方でした。

ヨシさんと生活するようになって二か月ほど経つと、私たちはお互いのことを色々と知る仲になりました。
別れた奥さんには連れ子が居て自分の子供のように可愛かったこと、そのころは仕事ばかりで家にまともに帰れず今のように技術を認めてくれる人も周りにいなかったので金銭面でも苦労をかけたこと、向こうから別れたいと言われ離婚して二年、まだ想いを捨てきれずに居ること。
元々子供のころから勉強が得意で、受験に対して意識の高い親御さんに育てられ小学校のころから塾通いをして勉強に励み、大学に進学したこと。
進んだ大学では友達がたくさんできて楽しかったけど、自分で会社を起こして仕事をしていく中で、社員との関係やストレス、そして子供のころから期待されてきたことへのプレッシャー、ずっと自分の中にあったやるせない思いから薬に手を出してしまったこと。

私もヨシさんに何でも話しました。ヨシさんは私の過去のどんな話を聞いてもそれを否定することはせず、悩んでいると的確に意見をくれました。
私たちがドドンチョ遊びにハマってしまったのは、抱えている弱さや、真面目すぎる部分を誤魔化そうとした結果のように思えました。
そして、何度血管に針を刺しても、何度売人からネタを買っても、心からそれを楽しめず罪悪感を抱えながらその「ドドン!」という冷たい感覚に手を伸ばしてしまう私たちは、きっと傷を舐め合うように一緒に居ただけでした。
その関係性はお互い恋心に発展することもなかったし、決して友情なんて美しいものでも無かったと思います。

ヨシさんは、ほとんど睡眠を取らずに仕事にもキメオナニーにも励み、もう身体はとっくのとうにずっと限界のようでした。
人間は、あまりにも寝ていないとうわ言を言い出す、というのを初めて知りました。仕事から帰ってきてネタをキメて、アナルにディルドを突っ込み、オナホールを右手で上下に素早く動かしながら「ふん、ふんふふん~♪ふんふん~♪ふふふ~ん♪」と陽気な鼻歌を歌いだしたのを初めて見たときは、驚きましたし怖くなりました。
時には今の自分の状況が脳で理解できていないらしく、キメオナニーしながら仕事モードの調子で「そうですよねぇ!うちも本当に困ってばかりですよー。いえいえ、とんでもないですー。そんなこと仰らないでくださいよぉ」とずっと仕事の相手らしき人と話しているのか電話しているのか、喋り続けていることもありました。
本人に後からそれを言ってみても、もちろんそれを覚えてはいません。「え、うそ。全然覚えてない。うわ、ごめんね」と恥ずかしそうにするだけでした。

ヨシさんの歯はほとんど全部の歯が小さくなってしまっていたし、ドドンチョをキメて生活していると独特なにおいの汗も大量に出ますし、身体が早く体内から有害なものを出そう出そうとするからなのか、老廃物がたくさん出ます。鼻くそや目やに、耳垢、フケもたくさん出てきます。キメると食欲がなくなるので、栄養が足りなくなるからなのか肌や髪もどんどんボロボロになっていきました。
人間を辞めますか、と言われてきたこのメチョメチョ・ドドンチョは、人間を辞めるどころか、使えば使うほどに、人間のみっともない部分や汚らしい部分、欲に負けてしまう弱い部分が浮き彫りになっていきます。
人間で無くなってしまうのではなく、自分の人間としての一番見たくない、嫌な部分と向き合わなくてはならないもの、それがメチョメチョ・ドドンチョのような気もします。



私がドドンチョを辞めたいと本気で考えるようになったのは、自分でも予測していなかったことがキッカケでした。
ドドンチョは、とても高価で取引される薬物です。ヨシさんに分けてもらっていたと言っても、好きなだけ使っていたらどれだけお金があっても足りません。
長くやっているうちに依存度合は確実に上がってきていて、どんどん一度に打ち込む量も増えていきました。

ヨシさんが一般的な年収よりは多くお金を稼いでいる社長だったとはいえ、二人で頻繁に使えるほどのドドンチョを買って過ごしていた頃、きっと相当なお金がかかっていて、もしかしたら生活もギリギリだったんではないかと思います。
ただそれでもヨシさんが私に「夢子ちゃんはずっとうちに居てよ。」と私に家に居てもらいたがるのは、私が家に居るようになって毎日洗ってある作業着で仕事に行けるようになり、部屋も片付いた状態を保てる…という部分もあったとは思いますが、日々の中で訪れるドドンチョ依存である自分に嫌悪してしまう瞬間や、孤独感や罪悪感を誤魔化したいからだったと思います。

ドドンチョを始めてもうすぐ一年になろうかというころのことでした。
私はネタを一日でも摂取せずに眠りにつくと、ものすごい悪夢を見るようになりました。
とてもリアルで、気持ち悪くて、怖くて、夢の中で恐ろしくて叫ぼうとします。でも、喉が詰まったようになって声を出そうと力んでも少しも声が出ないのです。
声、出ろ!出ろ!怖い!怖い!叫びたい!と必死に思いながら夢の中で錯乱していると、突然喉の蓋が開いたように「キャアーーーーー!」と実際に大きな声が出て、その自分の声で飛び起きるのです。
起きると、汗でびっしょり、心臓はバクバクと脈打っていて、息はゼェゼェと荒くなっています。
その夢の内容はいつも様々でした。でもどれもその夢を見ているときはひどく恐ろしく、起きてから泣いてしまうことも何度もありました。

一番印象に残っているのは、トイプードルの悪夢です。道に迷っていたら地面のアスファルトになにか小さな粒のようなものがたくさん見えるような気がして、よく見るとそれは小さな小さなトイプードルでした。驚いて辺りを見渡すと、よく見ないと見えないほどの小さなトイプードルが何百、何千とびっしり隙間なく地面を埋めつくすように居て、そのトイプードルは座ったまま動かず、みな私のことをじっと見つめています。
なにこれ!気持ち悪い!と思ってその場から逃げようとしますが、地面に無数に居るトイプードルを踏まずには逃げていけません。踏んでしまうと、さっきまでかわいい顔でこちらを見つめていたトイプードルは「ア¨アアァ~~」と低い声を出しながらどろどろ溶けていきます。
その様子に怖くなった私は叫ぼうとしながら必死に走りますが、どっちに行ったらトイプードルがいない道にいけるのか分からず、足元で踏んでしまったどろどろ溶けていくトイプードルの顔が怖くて、怖い、怖い、怖い、と思っているうちに「ギャァーーーーーー!」と大声をあげて飛び起きます。

ドドンチョを摂取しない日はこんな風に毎回悪夢を見るようになり、これは私にとってとても怖くてしんどいことでした。
これがドドンチョ依存の弊害で起こっている身体の反応なことは分かりきっていました。なんだか急にドドンチョの存在が恐ろしくなった私は、ヨシさんに何も言わず実家に逃げ帰りました。

ドドンチョを辞めない限りはこの悪夢を見続けることになる。ドドンチョを毎日打てればこの悪夢も見ないけれど私にそんな風に過ごせるほどのお金もないし、これから先、今まで以上にヨシさんにネタを買ってもらい面倒を見てもらうわけにも行きません。
悪夢なんて誰だってみることがあるし、トイプードルの夢もこうやって書いてみるとどれだけ怖いものだったのか人にはちゃんと伝わらないかもしれませんが、当時の私にはこの悪夢がとにかく恐ろしかったのです。

実家に戻ってきて、寝たと思ったら夜中に何度も叫ぶ私に両親も驚いたようでした。
元々精神的な不調を繰り返していたので薬物依存のせいだとは気付かれませんでしたが、あまりにも私が叫び泣いて起きるものなので、母がリビングに布団を出し、私がそこで寝るとその様子を見ていたことがありました。
最初は一定のリズムで寝息を立てているものの、そのうちに身体がぶるぶると震えだし、顔が歪んできます。呼吸が荒くなって、小さく声を絞り出すように唸っていると、そのうち身体が大きく痙攣して「キャアアーーーー!」と叫び起きているそうです。

私は眠るのが怖くなりました。欠かさず悪夢を見るからです。毎日少しもまともに眠れませんでした。
決死の思いで眠らないようにしていても、人間、3日、4日…と起きていると限界が来て、意識が飛んでいつの間にか眠ってしまいます。そうなるとまた悪夢を見て痙攣し叫び起きるのでした。
ずっとやっていたドドンチョをやらなくなり、身体も気持ちも酷く重だるく、身体を起こして立っていることもできませんでした。
「眠るのがこわい!寝たくない…こわいよぉ…」と泣いて毎日怯えていました。両親はもう私のこんな調子を見て溜息をつくだけでした。

そして、そんな風に眠るのが怖くて、寝ても叫んで起きてしまうのでまともに眠れていないまま一週間、二週間と極度の鬱状態を過ごしていると、もうこれはダメだ、辛い!と耐えきれなくなって、ヨシさんに電話をかけてしまうのです。
泣きながら「すみません…迎えに来てもらえませんか…」と言うと、ヨシさんは「すぐ行くよ」と迎えに来てくれました。
ヨシさんの家に着くともうそこは大荒れ状態で、でもそんなことは少しも気にならず、ヨシさんはすぐにネタを差し出してくれます。私は焦る気持ちでそれをすぐに打ち込みました。
すると1秒もしないうちに「ドドン!」と冷たい衝撃が頭を走り、重かった身体は軽く、辛かった気持ちは爽やかになりました。

それから私は「やっぱりこんなの辞めなくちゃ終わりがない!」と恐ろしくなって実家に帰り、結局悪夢の日々に耐えられずにまたヨシさんのところへ戻り、を繰り返すようになっていました。
辞めたい、もう打ちたくない、終わりにしたいと思うのに、悪夢の症状に耐えきれずまともに眠れず辛くなってしまう。また打ち込むしか解決方法はなく、そして一度打ち込むとまた頻繁にやるようになってしまい、ネタが摂取できない日があると悪夢を見てこの現実が怖くなり辞めなくてはと焦る。

こんな日々を一生繰り返してしまうのではないか、そのうちに捕まってしまうのかもしれない、と思っていたころ、私はとんでもないヤブ医者の経営する精神科の病院のおかげでこのループから抜け出すことができました。



怖いからドドンチョを辞めたいという気持ちはもう充分に自分の中にあって、それでも私が辞められずにまた手を出してしまうのは悪夢の症状に耐えきれないからでした。
なんとかならないものかと自分の症状をネットで検索していると、自分の症状が悪夢障害、レム睡眠行動障害と呼ばれるものと一致していることが分かりました。
そして、やはりこの悪夢を見て痙攣し叫んで起きる症状が起こる原因として、そのひとつに薬物の乱用があることも分かりました。
それから、この悪夢障害、レム睡眠障害に対してお医者さんが処方する薬はどんなものなのかを調べました。
いくつか薬の名前が出てきたのでその薬の名前を覚えて、病院の口コミは最低な評価がついていたけれど、すぐに初診で診てもらえる精神科を受診しました。
もう藁にでもすがりたい思いだったのです。他に考えつく手段はありませんでした。

精神科というのはその先生によって考え方も様々で、依存性のある薬は出さないだとか、自分の治療方針に沿った投薬しかしない先生もたくさん居るのを今まで見てきました。
なので今回、この口コミの評価が見たことがないほどに最低な病院で、悪夢の症状を緩和するための、出してもらいたい薬を希望通り出してもらえる可能性は低いだろうなと覚悟していました。

「夢子さん、あなたはソーウツという病気で、それをあなた自身の持つ特徴だということを認めて、受け入れてあげましょう」
今まで診てもらってきた病院ではお医者さんに症状を素直に伝え、その処方通りに毎日薬を飲んでもソーウツとやらは一向に良くなりませんでした。今回薬を出してもらえたとして、この悪夢がなんとかなるのか、その希望も僅かなものでした。

「いいよー。出しとくね。何ミリがいい?ま、多めに出しとくんで、足りなかったら追加で飲んじゃって。」
薬物依存の影響で悪夢を見てしまっているとは伝えませんでした。
そのおじいちゃん先生は、私が「あの、悪夢で眠れなくて、〇〇って薬と、〇〇って薬が欲しいんです」と言うと、今までの病歴や飲んでいる薬、他に出ている症状などの質問も一切せず、5分ほどの診察で「じゃ、次の予約したかったら受付で言ってね。はいお疲れさま」と驚くほどあっさり処方箋を出してくれました。そして、その薬を飲みだしてから数日、実際に私が叫び起きるような悪夢を見ることは一切無くなったのです。



それからは、一度もその赤い結晶を手に取ることはありませんでした。たまにあの「ドドン!」という感覚を思い出しては身体が疼きましたが、また一度でも打ったら私はあれにのめりこんで、結果あの悪夢を見ることになるんだと思うと気持ちも抑えられました。
辞めて最初の頃こそ思い出してしまうこともしょっちゅうありましたが、時間の経過と共にその頻度もどんどん減ってゆきました。
あれから掲示板は一度も見ていないし、ヨシさんの連絡先は着信拒否して連絡先から消しました。まだあの部屋はゴミ屋敷なのか、あるいは捕まってしまったのか、まだオナホールを右手にグッチョグッチョとローションに塗れながら「ふんふふ〜ん♪ふん♪ふん♪」と鼻歌を歌っているのか、何も知りません。

先日病院で採血をされる機会があって、久しぶりに針が入っていく自分の腕の血管を見たらドクドクと動悸がしましたが、すぐに目をそらして、ゆっくり大きく深呼吸してやりすごしました。
看護師さんに「すごい血管が固くなっちゃってるけど、昔大きな病気でもした?子供のころから頻繁に採血とかしてたとか?」と聞かれてドキリとしましたが「精神科の薬を飲んでる関係で、頻繁に採血していただけです」となるべく冷静なつもりで返事をしました。
帰り道にもまだ少し動悸がしていて、でもその場をうまくやり過ごせた自分に嬉しくなって、何かおいしいものを食べて帰ろうと帰りにラーメン屋さんに寄り、1200円もするチャーシューのたくさん乗ったスペシャル豚骨ラーメンを食べて帰りました。

あの一年間、色んなことがありました。死ぬために、自分の人生をぶち壊すために手を伸ばした赤いきらきらした結晶は、結局自分の弱さや醜さと向き合うものでしかなくて、でもあの一年間というのも、私にとって必要なものだったようにも思います。

あれだけ無茶な日々を送って、警察に捕まらなかったのも、誰かの死を間近で見ることにならなかったのも、大きな事件に巻き込まれなかったのも、すごく幸運なことでした。
今頃、とっくに刑務所でメソメソと泣いて過ごしていたっておかしくありません。

私は今、もう人間辞めて人生をぶち壊してしまおうなんてことは思いません。私の中でドドンチョは「もう二度と手を出したくないもの」になりました。
でも実際、もし私の目の前に赤いそれが差し出されたとしたら、間違いなくそれを打ち込むだろうと思います。今までの我慢や決意が水の泡になったとしてもそれに手を伸ばさずにはいられないと思うのです。
だから私は一生、未だそれを欲しがっている脳みそを誤魔化し、欲しい気持ちを紛らわしていくしかないのです。
ドドンチョがあるような場所やドドンチョと関わっている可能性のある人たちを避け、思い出す瞬間を極力減らしていく、それしか辞め続けていく方法はありません。

今、私夢子はメチョメチョ・ドドンチョを辞めて一年半が経ちました。
私の生活は、またドドンチョを始める前までのものに戻りました。相変わらずソーウツの波は収まらず、まだふらふらとその日暮らしをしながら、死ねずに生きています。
明らかに生活の中で変わったことでいえば、なぜかは分かりませんが、今までは興味の薄かった甘い食べ物を好んで食べるようになりました。生クリームたっぷりのシュークリーム、どら焼き、チョコレート、プリンやケーキ。
甘いものをたくさん食べて、あのころよりも私はちょっぴり太りました。
熱中していた100円ショップのグッズでのDIYは、今ではもう大して興味は湧きません。

今でも、夢にドドンチョが出てきます。
夢の中で私はそれを目の前にすると、いつもひどく葛藤しています。今これをやったら全部が無駄になる!我慢しなさい、夢子。赤いそれを見ちゃダメ!
そう何度も思っても夢の中で私は、結局我慢できずにそれをぷすり、と血管に打ち込みます。それが誰かの使いまわしの注射器であろうと、針先が折れていようと、関係ありません。
そんな夢を見た日は、ドキドキしながら目を覚まして、まず自分のぷっくり浮き出た腕の血管を確認します。
そこに跡がないことを確認すると、ほっとすると同時に、なんだかジリッと焼けるような気持ちがします。

あの一年間も、悪い、悪い夢を見ていたようでした。
いや、あの一年間はやっぱり夢だったのかもしれません。長く長く眠ってしまっていた私の見た、怖くて変な夢。
だって、小学生のころ「ダメ!絶対!」とその赤い薬物の存在を授業で教わったとき私は、そんなのやるわけないんだからこんな授業やらなくたっていいのにな、と思っていましたから。
いや、こうしている今もまだ夢の途中かもしれません。なんだか嫌な夢なので、そろそろ夢から覚めましょう。夢子の、怖い怖い夢はこれでおしまいです。
あー、怖かった。夢でよかった。恐ろしくて変な夢だったなぁ。夢から覚めた私はきっと、びっしょりと汗をかいているでしょう。

私のこの、ソーウツとかいう病気も、ドドンチョをやっていたことも、今もその名残が自分にあることも、ぜーんぶ、夢、そうです。
きっと、そうなんです。


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最後に

メチョメチョ・ドドンチョを始めとする薬物の乱用は、身体や精神の両面に深刻な悪影響を及ぼします。
一度薬物に手を出してしまうと、それを辞め続けていくのには本人の意思だけでなく周りのサポートが必要になることも多くあります。
薬物の乱用を続けてしまうと脳や心臓が負うダメージも大きく、それを辞めたあとでも長く後遺症が残ることもあります。
幻覚・幻聴の症状、激しい気分の浮き沈み、脳、胃、腎臓、心臓、肝臓への弊害が生じたり、言葉がスムーズに出ずにどもってしまう吃音の症状が出てしまうこともあります。
フラッシュバックと言って断薬しているのに薬物を使用していた頃と同じ症状が様々な要因で出現することも、薬物依存症患者を苦しめる大きな後遺症の一つです。

みなさん、薬物乱用は「ダメ。ゼッタイ。」ですからね。

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