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人に優しくできる社会でありたい。

ハイサイ。
沖縄移住5年目に突入しました、五木田穣ごきたゆたかです。

昨日、天久のりうぼうに行ったのですが、

沖縄県外の方のために説明すると、ここは那覇新都心と言われるエリアであり、米軍基地返還後再開発が進んだエリアであり、都会です。

沖縄戦では、1番の激戦区といわれたシュガーローフの戦いは、ここで起きた出来事です(今では何もなかったかのようになっているのが、なんとも言えない気持ちにもなります)

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Posted by 五木田 穣 on Sunday, August 11, 2019

視覚障害者の方と出会った

そこの一角に、ダイソーがあります。そのダイソーの前の通路の真ん中で立ち尽くしている人がいたのです。パッと見、邪魔です。遠目になんか祈っているようにも見えて、やべー人がいるなぁというのが第一印象でした。

公益財団法人 日本ケアフィット共育機構

見ながら通り過ぎようとしたら、あれ?白い杖持ってる?上にあげてる?なんだ、視覚障害のある方だったのか。と思い、戻って「大丈夫ですか?」と声をかけました。

話を聴いてみると、ダイソーで買いたいものがあり、今持っているものと同じものを買い替えたいので、一緒に探して欲しいとのことでした。

ボランティア専門ポータルメディア

一緒に店内に入り、誘導し、手伝いました。すぐに商品を見つけ、代わりに買ってきて欲しいとのことで、お金を受け取り、妻がレジに支払いに。私はその場に残りました。

無事に買い終わり、外に出たいので、外まで案内してほしいということだったので、建物の外の視覚障害者誘導ブロックまで案内して、気をつけてくださいね、とお別れしました。

その方の印象で、随時「すいません」が口癖。やたらとペコペコする。そんなに恐縮しなくていいのに。声かけた時に、以前「本当は目が見えるんだろ!」と怒られたことがあるとおっしゃってました。全盲ではなく弱視であることも、お聴きしました。

その予防というか保険のためか、必要以上に怯え、必要以上に恐縮しているようだと感じました。最初に、証明するために「障害者手帳見せます」と言われ、いやいや、いいですよそんなのと。私には、疑う心理がわからない。その方は、大人しそうな方で、どう見ても、悪さするようには見えないし、話した感じ、とてもいい人そうな印象を持ちました。

再度、困っているところを見かける

で、なにか気になり、気にしながらスーパーに行こうと歩いていたら、スーパーの目の前の入口の横断歩道の前で、再び立ち止まっているのが見えました。横断歩道を渡って駐車場方向に行きたい様子ですが、そこに誘導ブロック(線上ブロック)はありません。警告ブロック(点字ブロック)が横に3つほど並び目の前は横断歩道です。

おぉ、、と思って、再度声をかけに行きます。先ほどの者ですと。どうされましたか?と聴いたら、「歩道まで出たい」とのこと。そこから歩道に出るまでは、車の通りの多い駐車場を30mくらい歩かないといけません。これは、大変だ。大変恐縮されていましたが、行きましょう、と案内しました。

ここで、どこからいらしたんですか?と聴いたら、「〇〇村です。田舎です」と。なるほど。だったら、ここ都会すぎるわ。音が多すぎる。人が多すぎる。車多すぎる。情報が多すぎる。そりゃあ怖いだろう。大変だろうと思いました。

「58号方面に向かいたい。右側方向というのは覚えている」とのことで、歩道の誘導ブロックまで案内して、お別れしました。おそらく国道58号まで出て、バスに乗って帰るのだろうと。(〇〇村までバス出てるの知ってるので)

それでスーパーに戻り、妻と思ったことなど話しながら、買物を済ませて、帰ろうとしました。が、やっぱり気になり、念の為、向かった方向を通りながら帰ってみようと話し、家とは逆方向ですが、車で58号方面へ。もしかしたらまた困っているかもしれないと。で、行ってみたら、、案の定58号に合流する交差点のところで立ち尽くしており、杖を掲げてました。。

誰も声をかけそうな様子もなかったので、ちょうど信号待ちになり、妻に行ってきて!と先に降りて、声かけに行ってもらい、私は近くの駐車場に停めに行きました。

で、私が着く前に妻が案内をし終えまして、別れて歩いていく後ろ姿を確認しました。どうやら、いったん那覇の方に行く用事があるらしく、バスに乗ろうとしていたそうで。で、進行方向にバス停はあるので、まあ、大丈夫だろうと帰宅することにしました。

助けるには、まずは「知ること」が必要だ

そんなこんなありまして、帰路の途中でも、この件について夫婦で話し合いました。

なぜ、みんな助けないんだ?と、まず思います。沖縄の人は優しいというが、全然優しくないじゃないか!都会だからか?ここは東京か⁈みたいに思うわけですが、視覚障害者のことを知らない。SOSサインについて知らないんだ。知らないから、ただ見てるだけになってしまうんだ。(と、思いました)

実際、沖縄の人は優しい人が多い印象です優しくしてもらったこともあるし、以前、道端でおばぁが転倒してしまった現場に出くわして、助けに行ったら、同じように4〜5組の人が集まるくらい、助け合いをする文化があります。

私たちにできることは何か?普及させることだろう。今回のことを、インスタなり、noteなりにこうたって書いて、伝えることだろう。

知らない人が少しでも目に入り、記憶の片隅に残ってくれれば、いつか現場に遭遇した時に、声をかけるきっかけになるだろうと。

私自身もいつか見かけたSNSの記憶から、白い杖SOSのことを知っていたというのは少なからずあります。(私は、初級障がい者スポーツ指導員という資格も持っていたことがあり、元々理解は多少あるのですが。それでも、18年くらい前の学生の時の話です)

いのちすべてに優しい社会を。

なんでこんな優しくない社会になってしまったんだとも思いました。なんで、あの方は、あんなに恐縮して、申し訳なさそうに生きなきゃいけないんだ。何も悪いことしていないのに。

みんなが自然と声かけられるようになれば、助け合うことができれば、生きやすくなるだろう。そんな社会にしたいと。それが私がビジョンに掲げる「自立と共生した社会」でもあります。

この一連の出来事は30分もないくらいの間に起きた出来事です。その間に3回も見ず知らずの人に助けを求めないといけない。しかも、すぐに助けてもらえるかもわからない。つらいよな。きついよな。しんどいよな。でも、田舎から都心まで1人で出てきてる。その行動力素晴らしいなと。また、いつかどこかで会えたらいいな。障がい者の方の助けになる何かをしたいなと思いました。

差別と偏見をなくそう。理解しよう。

ちなみに、私、叔母さんの1人が知的障害者であり、田舎で存在を隠すように離れの家を建て、そこに叔母さんを閉じ込めて、まるでいない存在であるかのようなふるまいを見て、育ちました。なので、差別とかにはそれなりの想いがあります。

また、小学校の近くに養護学校があり、年に1〜2回ほどの交流があったことから、小さい頃から障がい者との接点が多かったので、差別や偏見は一切ありません。

※便宜上、障がい者という言葉を使っておりますが、本来は個性の1つとしか思っておらず、理想は障がい者という言葉が存在しなくなることだと思います。

ノーマライゼーション(障害のある人もない人も、互いに支え合い、地域で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す)という言葉がありますが、そのためには、私たち一人一人が、どういう障害(日常生活に支障)があるのかを理解していくことが、まず大切だと思いました。

その障害を取り除く環境をつくっていくことの大切さと、一人一人の理解しようという気持ち。また、障害というよりは、1つの個性というか、特徴にすぎないというような「差別」ではなく「区別」ができる心持ちが大切だと思いました。

困った時は、お互いに助け合い、支え合いたいものです。自分が困る前に、自分が余裕があるなら、助けたい、支えたい。

結局、自分の行いが自分にいつか返ってくるもの。

あなたは、手をとってくれますか?

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

この記事が、誰かの何かのきっかけや気づきになれば幸いです。

また、やーさい!

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心と体をととのえる『ととのえ職人』五木田穣
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