そもそも人は自由だ
最近、毎朝ウォーキングをしているのだが、、、なんと!海岸沿いで水着姿のカップル発見!!
外気温、4度。まぁそこまで寒くないとないと寒くないのか?いやいや、私の中では十分寒いよぉ 笑
先日は、バスの中でハーゲンダッツの大きなカップ(スーパーで売っている6個入りとかではなく、あの普通サイズです。みんなで食べるような。)を抱えて、スプーンでむしゃむしゃとアイスをほうばる若い殿方を目にした。
なんたる自由さ・・・恐るべしカナダ?!
考えてみたら、そもそも人は本当は自由なのよね~。
そこに制限をかけているのは自分自身であって。
子供など見ていると、本当に自由に動き回っているし、もちろんそうしてはいけないような時に動き回っては、先生からのお叱りなど受けてしまうこともありますが・・・
大人に関してはもっと自由。基本、責任をとれる範囲であれば基本何をやっ
自由に動ける人、そうでない人。
この違いはなんだろ。
たぶん、その人の意識の中にある、”前提”が違うのだろう。
そもそも、人生とは自由なもの~ととらえる人はそうなるだろうし、
そうでない人は知らず知らずのうちにその人生とは○○。
の無意識に○○の前提に従って行動しているのではないだろうか。
とくに、今自由を感じてない場合は、自由になりたい・・・
と無意識の中で現実を忠実に考えちゃう。
だって今、自由でないんだから、自由が欲しいよ・・・
ではどうしたらいいの?
ここで前提を変えてしまうのだ。
すでに、自分は十分自由である。
と。
全てにおいて自由でなくとも、少なくとも食べ物の選択の自由だったり、行く場所の選択の自由だったり、付き合う人の自由だったり、と自由といえることがあるはず。
すでに自分は自由である!と仮定して生きるのである。
もし逆にもしすべてがまったく自由でない!!と仮定したら、少しの自由ですら奇跡に変わる。
そうすると、当たり前ではないことに気づき、少しの自由さに関して、感謝の念すらわいてくる。
こうすると、見える前提が変わってくるので、自由度も徐々に増し、ごきげん度数があがってくる。
どうかな。
そもそも人は自由。
考え方も、行動も本当はすべて自由に選んでいいんです。
あらゆるものごとに対して、自分の中でどんな前提が潜んでいるのかチェックしてみる。
ふぎげんを招きそうな前提なら、この際変えちゃいましょう^^
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