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禍福一如(かふくいちにょ)

あー!見逃した!!と思っていると、、、

数日前に、友人から送られていた入江富美子監督の作品のギフトシェア配信。昨日までの視聴期間で、あーーーーっつ!!と思っていたら、なんと奇跡的に今日の午後7時ごろまで延長されており、ありがたいことにみることができました!3部作一気に全部見て、なんでもっと早くみんなシェアしなかったんだーーー(T T)(ごめんなさい!!)・・・・と思ったのですがが、時すでに遅し。せめて、何かの今後何かの機会が会ったときのためにもということで、今日ここに記しておきます。

「1/4の奇跡」「光彩の奇跡」「天から見れば」の3部作。どれもドキュメンタリー映画でした。(映画 詳細はこちら。期間が切れていて本当にごめんなさい・・・)

全ての作品に共通して「生きる」ということ、そして「自分というもの」「つながり」について改めて意識する素晴らしい機会になりました。

そして、映画の紹介にもあるように、

全て大丈夫!

あなたはあなたのまま(自分は自分のまま)で素晴らしい!

という思いが内側からあがってきます。

作品の中では、何か体に障害や病気を持っている人たちが、困難を乗り越え、自分と向き合い、ひたむきに懸命に生きる姿が映し出されています。うまく言えませんが本当にパワーを頂きました。人は生かされているということ、また自分は自分でいいんだ!というメッセージを与えてもらった気がします。

禍福一如(かふくいちにょ)

「禍福一如とは、、、幸せも不幸も一つなんだよ。心の持ち方で幸せにも不幸にもなるのだよ。幸せの条件ってあるのだろうか?不幸の条件であるのでしょうか?私は両手を無くしたから、それが不幸だとか、それが不幸の条件だったら生きていけない。両手がなくても、幸せだなぁと思えば幸せなんですね。一番嫌いだった絵を描くことで、今本当に幸せなんです・・・」(「天から見れば」南正文さんの言葉より)

「天から見れば」という作品の中では、小さい頃に事故で両手を失い、絶望の淵に会った南正文さんとその師匠で同じく両腕を失った師匠の順教尼の生き様が描かれています。

当たり前のように両腕がある中で生きている私としては、その苦しみがどんなものが、心底わかり得ることは難しいかもしれませんが、両腕が使えないことで感じるもどかしさは相当なものだと思います。それが、順教尼と出会い、絵を書くきっかけを得て、その苦しみを乗り越え、喜びに変えていきます。

順教尼も、同じく誤って両腕を斬られてしまった過去があるのですが、こんなことをおっしゃっています。

「私は両方の腕が無くなったことが、非常な幸せになりました。ただ’嘆かず’’悔やまず’生きてきただけのことでございます。」

これって、なかなか言える言葉でないと思います。普通に健常者として暮らしていても嘆いたり、悔やんだりすることって普通にあると思うし(少なくとも私にはそんな時もあります。)

結局は、どんな状況にあっても幸せな状態っていうのは本当に自分の心次第で作れるのだなぁ〜としみじみ思いました。

そして、

3つの作品どれも、登場される人は、苦しみや悲しみ、痛み、それらを全て、最終的に喜びに変えているんです。環境のせいにもせず、他人のせいにもせず(最初はもちろん恨んでいたとおっしゃっている方もいました。)気づいたら、生きるということ選び、懸命に生き、最終的に本当に喜びで生きている。そんな姿にひどく心を打たれたのです。

改めて、

人生は自分で創っている!

そんな思いが湧きました。

久しぶりに心が洗われ、暖かくなる映画を見れ、感謝しています。

今夜は真面目になりましたが、見る機会があったらぜひ!!


ごきげんマインド                          どんな状況でも自分次第で、喜びに変えていけるのですね!


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