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試合に勝つことよりも勝負に勝つことの方が重要④

昨日の記事でなぜ僕が勝負には勝っているのかを書いていく。

ここで言う”試合”は付き合うことだったり、結婚することだ。そして”勝負”とはトータル的に見た内容を指している。

目の前の試合には惨敗しているが勝負という点で見るとどうだろう。

僕が「夢はプロサッカー選手!」と言ったから彼女は栄養士になるという夢を持ち追いかけ結果としてなった。

彼女が作った美味しいご飯を食べる旦那さんはきっと、その彼女が栄養士だから料理上手だから美味しいご飯を食べられていると思っているはずだ。いや、そうに違いない。違うんだ旦那様。

僕がプロサッカー選手を目指していなかったら、彼女は栄養士を目指していたかわからない。つまるところ今旦那さんがチョベリバ美味しいご飯を食べれているかだってわからない。

全て遡ると僕の存在を抜きに彼らの幸せは語れないのだ。

待てよ今何か聞こえた。何、負け惜しみだろだって?そうかもしれない。今打っている最中は自分を肯定するので必死だ。慰めてくれよ今負け惜しみって言ってきた人。

真面目な話をしてみよう。今会社にいることを想像して読んでほしい。(嫌だやめてくれ会社には行きたくない...)

リーダーが部下にプロジェクトの進め方や方法について指示した後、部下が納得いかずに意見をぶつけてきた。そこでリーダーはすかさず論破をし、話は終わった。

これは試合に勝って勝負に勝てない人の典型例だ。目の前の「自分は正しいんだ!」という争い(試合)に勝てたかもしれないが、最大の目的であるプロジェクを成功させることはできるのだろうか。

論破された部下はこの後その仕事に打ち込めるのか、役割を全うするだろうか。答えは「全うする可能性は低い」だ。自分自身に置き換えてもあーだこーだ正論だけを並べてくる人の元で頑張りたいとも思わない。少なくとも仕事は全うするがその人とは距離を置きたい。

リーダーはそのプロジェクトを成功させるための一番の重要人物であるはずだ。そのリーダーが社員のやる気を奪うことで成功に近づくだろうか。ありえない。

勝負に勝つことを優先するのであれば論破は不要。相手の気持ちを考えどうしたら納得するのか対話をする。こちらの方が勝負で勝ちそうとわかるはずだ。

人を犠牲にして自分だけ利益を得る人もそう。目先の利益獲得という試合には勝っているかもしれない。ただ、”人生”という長い勝負で見ると間違いなく人を大切にしていない人は大敗する。なぜなら周りに誰も自分を愛してくれる人がいないからだ。自分の利益のためなら人を犠牲にするなら、自分も愛する人はいないのだろう。

人生は結局行き着く先は”本当の仲間”の多さやと思う。勝負で勝つことを考えて行動している人は自然と周りに本当の仲間が増えていく。これは自分の経験から確実に言えることだ。

こういった観点を持つと日常で「あ、今この人試合で勝って勝負に負けた」など敏感に察知できるようになる。そして自分も感情的になりすぎず、「これは試合に勝つことになってしまうから言いすぎるのはやめよう」とか咄嗟に判断できるようになるはず。

僕はこれからも試合より勝負で勝つための意思決定をして最高の仲間を集めていく。試合で結果を出そうとそうでなかろうと、このスタンスは変わらない。

勝負で勝つことを優先すると最後はトップ画のルフィ状態になる。「仲間」がいるよ。

目の前の試合ばかり勝とうとして周りに誰もいなくなる前に、漫画読め。

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