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脱・ジェネレーションのジレンマ

未来は誰のものだろうか?言うまでもなく若者であり、その子孫である。私達は未来の人類から「今」を預かっているに過ぎない。だから「より良い今」を未来に返さなくてはならない。

人類の歴史は「より良い今」を未来に返す努力の歴史と言える。特に20世紀以降の科学技術の進歩は目覚ましく、様々なより良い今を実現した。例えば。将軍徳川家康より現代日本の一般家庭の方が、遥かに良い生活をしている。エアコン、冷蔵庫、水道。パソコンに自動車。どう考えても家康より快適だ。

医療も進歩が著しい。お陰で寿命が飛躍的に伸びた。70歳を意味する古稀とは「古代稀な年齢」という意味だが、今や日本人の平均寿命は男女とも80歳を超えている。

さて。人は何歳になってもより良い今を未来に返す為に努力をする生き物である。兎に角頑張る。その結果、頑張り過ぎて交代時期を逸した輩が何と多いことか。これがイノベーションのジレンマならぬ「ジェネレーションのジレンマ」を引き起こす。

ジェネレーションのジレンマとは。上の世代が功績の慣性法則で世代交代しないが故に、長期視点では「より良い今」が実現しない現象を指す。上世代が退いた時、若手は既にピークを過ぎているので最高のパフォーマンスを出せない。それでも「やっと自分の時代だ」と頑張るからその次への交代が遅れる。かくして、若者の活躍機会が減り「より良い今」を実現できない。政治の世界が嚆矢であるが、長寿社会となった21世紀の日本では珍しくない現象である。

それでも、若い者には任せられない!という方へ。若者の実力の例を見てみよう。活躍する将棋棋士は、今や殆どが20代30代。あの羽生善治永世七冠がタイトル100期獲得まで残り一つに迫ってから幾星霜。昨年は後進に抜かれてB級陥落。その羽生さんはまだ52歳である。

「若い者にはまだ負けない」と思った時は、既に譲る時が来ているのだ。私も負けない積りの一人だが、老眼鏡が手放せず、揚げ物が苦になった。還暦が眼前である。30年ほど前、教授が「そろそろ君に研究室を任せる準備に入るよ」と未熟だった私に言ったことを思い出し、今、私にも後進に席を譲る時が来たことを悟っている。

未来のために今、私達にできること。それは、未来の人が活躍する場を未来の人に返すこと。勇気をもって次世代に「今」を託そうではないか。それを私は「脱・ジェネレーションのジレンマ」と名付けている。

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