マガジン

  • 『マリンバとさかな』

    音楽一家の家で飼われていた”さかな”は、長女・茜音の演奏するマリンバの音が大好きだった。そんな茜音は高校三年生の夏。最後の吹奏楽コンクールまであと1ヶ月半しかなかった。

  • 湯上がりdiary

    八十八ヶ所のお湯屋の記憶。マガジンでは入湯順に並べてあります。

  • おこぼれ帳

    日記を書いたり、フィクションを書いたり、気の向くままにつらつらと。

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はじめに

 上京して2ヶ月になる。  温泉道の名人になってからも同じぐらいの月日が経った。こっちで名人の話をすると驚かれる。家に帰り、久々にスパポートをめくると、それぞれのお湯屋での記憶が源泉のごとく流れてくる。    別府が恋しいというよりは“別府の湯”が恋しいのかもしれない。鶴見岳のふもとにのぼる湯けむりたち。街中でただよう石けんやお湯のにおい。ちょうどこの週末、別府では第108回別府八湯温泉まつりが開催されていた。例年の各地温泉の無料開放は時世柄中止となったみたいだが、3年ぶりに

    • 『マリンバとさかな』 第三話_後半

      ▼第三話の前半はこちらから ♩  六月。午後休を取って、定期検診に来ていた。学校が期末テスト期間だったおかげで、いつもより検診日の調整がしやすかった。  昨年末に妊娠したと分かってから、そろそろ7ヶ月になる。悩んだ末に、私は地元で里帰り出産をすることにした。働いている学校も産休をもらい、九州の実家に帰省する。今日の定期検診は、地元の病院へ持っていく紹介状の受け取りも兼ねていた。産休に入るまであとわずか。このところは、あれやこれやの引き継ぎで忙しかった。来週からは代理の非

      • 19_梅雨間の晴れ湯 -日の出温泉(浜脇)-

         梅雨の時期、休日と晴れの日が重なると心がはねる。今日は少し離れたお風呂に入りに行こう。用事を済ませ、おやつどきの時間に自転車を走らせた。    今日入るお湯屋は、10号線沿いにあるゆめタウンよりも先の、朝見川を大分市方面に渡る橋のすぐそばにある。この辺りは「浜脇温泉」と呼ばれるエリアで、初めて来た。番台さんはいらっしゃらず、箱にお金を入れておいた。建物向かって右側が男湯で、入ると早速、下へと続く階段が見えた。      日の出温泉。単純温泉。ジモ泉。こちらも別府ではお馴染み

        • 12_春の夜湯 -永石温泉(別府)-

           うららかな春の日、ひと足早く大学の友人たちが卒業した。久々に会う顔ぶれはたくましくてかっこよかった。えんじ色のガウンと角帽がよく似合う。    食事を楽しみ、夜もふけ、ひとりの時間になった。今日は帰り道にどこかの温泉に行こうと決めていた。海岸沿いの10号線から永石通りに入る。すぐ左手に湯屋が見えた。半分ほど開いた窓から湯気がこぼれる。今日の気分はここではない。次の機会に–、と声を漏らして素通りした。この辺りは街灯も少なく、夜に一人で歩くにはちょっぴり怖い。音楽を聞いて気分を

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        はじめに

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        • 『マリンバとさかな』
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        記事

          『マリンバとさかな』 第三話_前半

          ▼第二話はこちらから  ♩  茜音がいなくなってから、オレの一日は何も起こらなかった。  朝になると茜音の母親が部屋のカーテンを開けにきて、ついでに水槽にエサを落とす。日が沈むと、カーテンを閉じにきて、再び水槽にエサを落とす。一日が終わる。    朝が来る。エサが降ってくる。暗くなる。エサが降ってくる。一日が終わる。  朝が来る。エサが降ってくる。暗くなる。エサが降ってくる・・・・・・・・・・・・。  そうか、これはただの地獄の始まりに過ぎなくて、オレは、命が尽き

          『マリンバとさかな』 第三話_前半

          21_真夏のかぶり湯 -寿温泉(別府)-

           あついあつい、と言いつつもお湯をかぶるとさっぱりする。    このところ雨続きで、なかなか湯屋を回れなかった。今日はくもり日。よし、動ける。夕方から用事があったので、お昼に一ヶ所、用事を済ませた後にもう一ヶ所入ることにした。国道10号線でゆめタウンの方へ自転車を走らせ、流川通りに入る。この辺りは小道が多くて、たまに道に迷ってしまう。そんな時は、海か山、どちらかを目指して進んでいけば、大概どこかの大きな道につながっている。今回は道に迷うなんてことはなかった。自転車を停め、湯屋

          21_真夏のかぶり湯 -寿温泉(別府)-

          07_昼下がりの湯 -京町温泉(別府)-

           予定が空っぽの休日は、何も考えずに過ごしたい。  最小限の家事をやり終え、ひと息つく。  春が来た。近くの川沿いに並ぶ桜は、その年で一番美しい姿を見せようと一斉に花ひらく。風が吹いて花が散る。枝から舞う花はゆらゆらと川へ落ちてゆく。日本人はその景色に儚さを感じる。この感情はきっと遺伝子レベルで刻み込まれている。ずいぶん前に、ある友人が「桜はせいぜい80回ぐらいしか見れないからね」と言っていたことを思い出した。今年もしっかりこの目に春を焼きつけたい。    こうも暖かいと外

          07_昼下がりの湯 -京町温泉(別府)-

          『マリンバとさかな』 第二話

           十月。中庭の金木犀も鮮やかなオレンジ色の花を咲かせ、秋の香りを連れてきた。昼休み明けの古文の授業ほど、眠たくなる時間はない。先週席替えをして後ろのほうの席になったから、何人か頭が上がったり下がったりしているのが分かる。朝はあんなに晴れていたのに、徐々に雲行きが怪しくなってきて、まだ14時過ぎなのに教室は電気をつけていないとうっすら暗い。これはひと雨来ちゃうな。降ってきちゃったら自転車は学校に置きっぱなしかな。  私は授業のことなんてちっとも耳に入っていなかった。入る隙もな

          『マリンバとさかな』 第二話

          『マリンバとさかな』 プロローグ〜第一話

          プロローグ 梅雨も明けた7月中旬、青色の絵の具でたっぷりと塗られた空はとても眩しかった。    産休期間に入って、久々に実家に帰ってきた。    家を出てもう十年になるんだ。  これからしばらく実家で過ごすと思うと、ちょっとそわそわする。  母は私を車から降ろすと、すぐ買い物に出ていった。    詩音も大学生になって一人暮らしを始めたから、2人の部屋にはほとんど物が残っていない。    あそこはどうなっているんだろう。  階段を降りて、廊下を抜ける。    練習部屋の扉を開け

          『マリンバとさかな』 プロローグ〜第一話

          18_ひだりてみぎて -天満温泉(別府)-

           今年は例年より早く梅雨入りした。  まだ五月中旬というのに、空の色は濁っている。海沿いを走る国道10号線の方から、境川沿いを鶴見岳に向かって登っていく。川沿いの桜並木は、あっという間に春の知らせを告げて散り、若緑の葉ヶ生い茂っている。あたりのシロツメクサもぐんぐん伸びる。石垣道路を横断し、小道に入って少し進むと、一角から人の声が聞こえてくる。お風呂上がりのおばあ様たちが団らんしていらした。    番台さんは席を外しているようで、そこん戸のところにお金を置いていきない、おばあ

          18_ひだりてみぎて -天満温泉(別府)-

          62_ニヘイさんと姫様の湯 -照湯温泉(明礬)-

           地獄めぐり二日目。残すは血の池地獄と龍巻地獄の二箇所だった。  地獄をめぐるのは家族旅行のとき以来で、実に十年ぶりとなる。    血の池は名前のごとく、目の前に真っ赤な湯だまりが広がっている。閻魔大王様がいらっしゃるあの世の地獄。数ある地獄の中でも、血の池でぐつぐつ煮えたげられるのが一番怖い。    すぐ隣には龍巻地獄があって、30〜40分に一度、お湯が龍のように轟々と噴き出る間欠泉だ。時間が合えば見ても良かったが、あいにくバスの方がちょっぴり早かった。地獄めぐりは龍巻を

          62_ニヘイさんと姫様の湯 -照湯温泉(明礬)-

          74_坂下ぬくぬく -小倉薬師温泉丘の湯(鉄輪)-

           日々のなかには、思いもよらぬ偶然が転がっている。    ついさっきまで、おやど湯の丘の貸切露天を堪能していた。(おやど湯の丘の記事はまた後日。)    すぐそこには、このあと入るつもりの豊山荘がある。(豊山荘の記事はまた後日。)貸切湯のときは、ジモ泉に入るときよりも長くじっくり、ひとりの時間を楽しむことにしている。おかげで身体はまだほてっていて、次の湯に入るにはもう少し時間が欲しい。  2月中旬、今日の天気は快晴。    空気はカラッと澄んで、辺りを散歩するのにはちょうど

          74_坂下ぬくぬく -小倉薬師温泉丘の湯(鉄輪)-

          06_年の瀬、晴れの日 -餅ヶ浜温泉(別府)-

           年に二度、夏と冬に部屋中をぞうきんがけするようにしている。    夏はからりとした暑さで乾くから。冬は大掃除も兼ねている。  年末の帰省前になると、いつも落ち着きがない。    年の瀬までまだ2週間以上あるけれど、快晴の休日、早々と冬のぞうきんがけをすることにした。    まずは掃除機をかけて、部屋をざっときれいにする。のホコリを取り除く。雑巾は使い古しのタオルを切ったものを使う。うすっぺらの雑巾よりも、使い古されたタオルの方が吸水が良く拭きやすいのは、学生時代のそうじの

          06_年の瀬、晴れの日 -餅ヶ浜温泉(別府)-

          08_日々、いい湯 -幸温泉(別府)-              

           手足がかじかむ冬のある日、気づけば朝まで机にかじりついていた。時刻はまもなく6時を回る。もう少しで朝風呂がはじまる時間だった。のどが弱くて暖房も苦手だから、とにかく着こんで寒さをしのぐ。今日はゆっくり家を出ても大丈夫。朝風呂で疲れをとって仮眠すると決めた。  近くの共同温泉は、どこも同じ時間に扉を開ける。どの湯に行こうか迷ったけれど、まだ行っていない場所を思い出した。着替えと洗面具を持って、まだうす暗い寒空のなか自転車を走らせた。  営業が始まる時間から20分ぐらいすぎ

          08_日々、いい湯 -幸温泉(別府)-              

          24_小道のかくれ湯 -鉄輪すじ湯温泉(鉄輪)-

           ある冬の夜、鉄輪の温泉街を友人と歩いていた。夜になると、あちこちから昇る湯けむりがいっそうくっきり見える。道路の排水溝からもけむりが出ていて、真下に来るとやや熱い。  むし湯広場から筋湯通りを下る途中で、湯屋を見つけた。鉄輪すじ湯温泉というらしい。ちょうど2人組の女性が出てきたところだった。今日もあったまったわねえ。湯冷めしないうちに早く帰りましょ。すれ違いざまに会話が聞こえた。この日は少し風の強い日だった。僕と友人は緩んだマフラーをきゅっと巻きなおし、そのままバス停へと

          24_小道のかくれ湯 -鉄輪すじ湯温泉(鉄輪)-

          22_夏の湯上がり -海門寺温泉(別府)-

           夕方からの用事も無事に終わり、晴れて自由の身となった。  時計を見るとまもなく21時。あまり時間はない。素早く準備して家を出た。  夜にもなればさすがに涼しくなると思っていたけれど、湿り気のある空気が漂っていた。幸い、雨はまだ降りそうにない。一方通行の道をぐんぐん進んでいく。公園の灯りが見えてくると、目的地はもうすぐそこ。駅前の大通りから少し入ったところにある共同温泉だ。  海門寺温泉。炭酸水素温泉。市営温泉の中では珍しくシャワーが完備されている。駅からもすぐ近くのため

          22_夏の湯上がり -海門寺温泉(別府)-