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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その37/朝(雀の声が鳴きました)


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朝の空。



 
「朝(雀の声が鳴きました)」は
「昏睡」
「夜明け」
「狂気の手紙」とともに
1934年4月22日の日付をもつ作品です。
未発表詩篇/草稿詩篇(1933~36年)の前半部にあります。

「狂気の手紙」を除く3篇は
「いちじくの葉(夏の午前よ、いちじくの葉よ)」とともに
小林秀雄が編集責任者であった
季刊誌「創元」の第1輯に掲載されました。

「創元」は
1946年(昭和21年)12月30日に発行されたもので
制作されてから12年後の
没後発表作品ということになります。

「朝」のタイトルの詩は
1933年と1934年に3作品が書かれましたが
本作「朝(雀の声が鳴きました)」は
前2作の「朝」とは
半年ほどの時間差があります。

朝(雀の声が鳴きました)

雀の声が鳴きました
雨のあがった朝でした
お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

ポンプの音がしていました
頭はからっぽでありました
何を悲しむのやら分りませんが、
心が泣いておりました

遠い遠い物音を
多分は汽車の汽笛(きてき)の音に
頼みをかけるよな心持

心が泣いておりました
寒い空に、油煙(ゆえん)まじりの
煙が吹かれているように
焼木杭(やけぼっくい)や霜(しも)のよう僕の心は泣いていた

    (一九三四・四・二二)

「夜明け」と近似する内容で
こちらのほうが
やや定型を志向し
3-4-3-4の中に収められましたし

鳴きました
朝でした
思いました
いました
ありました
おりました
おりました
――という
丁寧語(ですます調)の過去形を使用し
心が泣いておりました
――というリフレインで強調。

そして
最終行は
僕の心は泣いていた
――と、丁寧語を解除して
である調で断言的に
過去形で結びました。

その上に
お葱(ねぎ)が欲しいと思いました
とか
焼木杭(やけぼっくい)や霜のよう
とか……
詩人独特の「喩(ゆ)」が交ざります。

もはや
かがやかしい朝ではなく
何が悲しいのか
わからないまま
心は泣いている朝なのです。

油煙まじりの煙とは、
吹かれて
どこかに飛んでいってしまうような
はかなげな煙ではなくて
吹かれても吹かれても
尾を引いたように
すじとなって流れるような
粘り気のある煙のことでしょうか。

その油煙のように
焼木杭(やけぼっくい)のように
霜のように
僕の心は泣いていた。

雀が鳴き、
雨があがった朝でしたが
ぼくは、大好物の葱が
無性に食べたいのです。



心が泣いている
悲しみの状態の中で
葱が食べたい
欲求が生まれているのですが
この、なんとも背反するような感覚は
1934年のこの頃の詩人が獲得した
象徴主義の技に拠るらしく
妙な説得力を持つ域に入っています。

1933年作の「朝(かがやかしい朝よ)」を
ついでに読んでおきましょう。

かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍(いらか)よ、
水色の、空よ、
風よ!

なにか思い出せない……
大切な、こころのものよ、
底の方でか、遥(はる)か上方でか、
今も鳴る、失(な)くした笛よ、
その笛、短くはなる、
短く!

風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……


最後まで読んでくれてありがとう!




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