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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その5/雲雀
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空で鳴るのが電線なら
空で啼くのは雲雀(ひばり)
電線とかけて
なんと解く?
ひばり、と解く
その心は、
空で鳴く
掛詞(かけことば)とか
連想ゲームとか
しりとり遊びとか
なぞなぞとか……の手法を
詩人は自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の
詩作法として
使いこなしているようです。
■
雲 雀
ひねもす空で鳴りますは
ああ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ
碧い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ
歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下
眠っているのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠っているのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠っているのは赤ン坊だ?
■
「雲雀」は「在りし日の歌」28番詩。
その前の27番詩「春と赤ン坊」では、
この詩作法やレトリックなどによって
赤ん坊が、
いつしか菜の花畑に取り残されました。
「春と赤ン坊」で、
はじめ走ってゆくのは
自転車でしたが
いつのまにか
走ってゆくのは
菜の花畑や空の白雲です
菜の花畑や空の白雲が
走ってゆき
赤ん坊は
菜の花畑に取り残されるのです。
天と地がひっくり返ったような
めまいを感じませんか
そんな大げさでなくとも
立ちくらみのような感覚になりませんか
□
「雲雀」では
歩いてゆくのは
菜の花畑
次に
歩いてゆくのは
あの山この山、になり、
平気で
歩くことのないものが
歩くようになります。
視点の移動とか
視線の転換とか
なんてことよりも
時計をねじ曲げる絵、
ダリの絵とかに
繋がっているような
シュールな感覚ではないでしょうか。
あどけなき幼児の
成長は、
いまや、俄然、
創意の中に、
新たな展開をはじめます。