転園で救われた話
4月1日から娘がこども園に通う事になった。(こども園とは幼稚園の延長保育あり版みたいな感じ)
去年の10月、まだ普通に仕事ができている間に申請していた転園届が通った。区役所には通らないって言われてたけど普通に通ったよ。
転園が通ったのは嬉しかったが、私が鬱の時期に環境の変化があるのは正直不安だった。
しかし、元の保育園は園長副園長含め6人が辞め、0歳児でお世話になった先生が3人中2人辞めるという酷い状況だったので転園になって良かったのかもしれない。(後にママ友に聞いたが、残った1人も違う学年担当となりもはや我関せずらしい…)
原則預かるのは7日以降と言われていたので12日から慣らし保育の予定だったけど、体力の限界を感じて5日からにしてもらった。
夫が娘を送っていったその日。
夫から「卵アレルギーの面談、今日やるって〜」とLINEが来た。私は心底疲れていたので布団でうとうとしながらそれを知って、眠れなくなった。
私は娘がどこまで卵が食べられているか、どのように食べているかを担任と栄養士に伝える必要があると思っていた。普段から電話や打ち合わせはメモを読みながら出ないているので、何もない状態で挑むのは不安でしょうがない。
どうしようもない不安が襲ってきて、鉛のように重い体を引きずって何とか布団から這い出た。卵アレルギで通っている病院から配布された資料を探す。
ない。
どれだけ探しても、ない。
(後ほど普通に探していた場所にあったが、この時は注意力が散漫して見つけられなかった)
どうしようもない焦りと、怒りが込み上げてくる。
そこに夫が帰ってきた。
さらに怒りは増す。
この時は疲れすぎていて何に対して怒っているのかわからなかった。
どうしようもない怒りをぶつけたくて、ベビ一ゲ一トを蹴り飛ばした。
夫は唖然としている。怒りは止まらない。
(何とか落ち着かないと)
咄嗟に思うが止め方が分からない。
何でこうなってしまったんだろう。
どうして私がこんなことに。
何とかしないと。
どうして、何でを繰り返している内に涙が溢れた。
嗚咽する。
(何で!どうして!!どうしておかしくなったの!!!)
心の中で叫んだ。
夫は唖然としている。
その時、咄嗟に抗うつ剤の事を思い出した。
(飲むには少し早いけど、これで落ち着けば…)
祈るように飲み、お迎えの時間だったので夫を残して外へ飛び出した。
自転車を漕いで冷たい空気に晒されると、不思議と気分は落ち着いた。
が、今度は気分がドカンと落ち込んでいた。俯きながら娘の教室へ向かう。
教室に着いてからもしばらくはしんどさが消えず、他の保護者に挨拶はしても目は合わせなかった。きっとおかしな保護者だなと思われたと思う。
娘と目が合うと、泣きながら私に縋る。
「よしよし、頑張ったね」
抱っこしながら言った。本当は私がしてもらいたいくらいだ。それでも、子供に母親は優しくしないといけない。辛かった。
担任に「会議室に居てください」と言われ会議室へ。
数分待つと担任が来た。2人きりになった途端、担任は「お母さん、このバンド好きなんですか!娘ちゃんのタオル〇〇ですよね」と言ってくれた。
驚いた。前の園では娘の様子どころか、雑談なんて先生としたことがなかった。
ああ、はい、好きですと無難な答えしかできなかったけど、自分の好きな物を話してくれるととても嬉しい。それに続けて娘の様子も事細かく話してくれ、とても慣らしで二時間だけ預けたとは思えなかった。
担任のおかげで辛さはスッと消え、帰る頃にはこども園に好印象を持っていた。
今の園は先生が明るくて、楽しそうで、ハキハキしていてありがたい。雑談も振ってくれるので私も話しやすい。人が違うと、こうも雰囲気が変わるんだなと実感した。
今までお迎えは苦痛以外の何者でもなかったが、転園したおかげでお迎えが楽しみになりそうだ。
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