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とは言っても苦しい。
うつ病を寛解して2年。
治療終了後2年間の再発リスクは高いと言われています。
そんな2年間を再発せずに過ごせたことは、本当に奇跡のようなことで、様々な面において自己成長できたと思っています。
とは言っても正直、苦しい。
辛くて、苦しくて、どうしようもない。と思う日もあります。
寛解してからの喜びや、モチベーション維持のための思考に関しては、前回書かせていただきました。
今回は実際に私が寛解後にぶつかった壁について、記録を残していこうと思います。
この2年間を振り返った時に、私は「ものすごく成長したしたんだ!」と胸を張っていうことができます。
しかし、その成長には一つひとつ苦しんだ出来事があり、ひとつひとつクリアしてきました。
私がぶつかった壁は、3つの時間軸に対する悩み
過去・今・未来と分けられる気がします。
今日は”過去”に対して悩んだことを書こうと思います。
簡単にまとめるとしたら、
『うつ病という過去に対する“自分“への折り合いの付け方』
今はもう病院も行っていない、薬も断薬成功して、不自由なく生活している。
けれど、社会人になってから過ごしてきたうつ病の3年半は、どうしても「無かったこと」としてごすことは息苦しい。
学生時代から知ってくれている友人とは、ありのままとして過ごせるけれど、寛解してから出会う人には、うつであった自分がどう思われてしまうのか、伝えるべきか、黙っておくか、と葛藤しました。
実際にどう対応していいかわからない、どう受けてめていいか分からないと言われたことも多々あります。
私自身も、反応して欲しいとか、どう受け入れてほしいとか、そもそももう治療は終了しているのだから、受け入れるとかないのか、、とか自分でも分かりませんでした。
正解があるわけじゃなく、とにかく分からない。分からなくて怖い。その度に泣いていました。
(病歴に関しては転職活動においても苦戦した点でなので、また今度書きます)
今の自分と闘病中の自分、他人から見たら何の変わりもないかもしれない。
けれど、当事者の私にとっては、うつ病になる前が人生の第一章だったとして、闘病期は第二章、寛解後は第三章といったように、明確な区切りがあるような感覚です。
この感覚は自分にしか分からないものだから、それを伝えるのも難しく、ある意味で孤独を感じてしまっていたのかもしれません。
「別にもう大丈夫なんでしょ?』と言われたら確かにそうなんだけど、100%ではないからです。
うつ病を経験してから、100%元気な自分というのが分からなくなりました。
仕事も恋愛もそこそこ順調だったとしても、心も体も100%元気です!と自信を持てることはありません。
それは理想が高いからではなく、またダメになるが正直怖いし、今でも時々理由も分からず泣いてしまう日があるからです。
自分の中の物語は進んでいるのに、後戻りしてしまう日があることに、とても焦りを感じます。
そんな風に、「第二章の頃の自分」と「第三章の自分」に折り合いがつかない日が、怖い。
こうなったら、無理矢理にでも切り替えるため、気分転換をしたり、自分の好きな場所に行ったり、好きなことを可能な限りやります。
それが、「ひとりで」「自分の力で」立ち直るための方法のひとつです。
それでも頭がすっきりしない時って、どうしたらいいのかな。
この全てを乗り越えるのって本当にひとりでできるのかな。
と、思考がぐるぐるしてしまう日の
記録✍️