最近のわたし
こんにちは、こんばんは。
西東京市にある田無神社へ行ってきました。
最近の私はお出かけするといったら
用事がある時以外は神社巡りをしています。
今年は自分で勝手に
「修行をする!!修行の年だ!」と
決めてから修行の一貫としてもお参りを
しています。
田無神社は敷地に入った瞬間から、とても
空気が澄んでいて神秘的でした。
神道は本当に龍の通り道のように
感じました。
愛犬と一緒に迎えたかった6月があっという間に過ぎ去ってからもう10月。
遅いような早いような…
修行といってもその日、その時々に
自分で感じたもの、できる事をしているだけで
始まりは他の記事にも書いた通り、愛犬からの
メッセージをより分かるようになったり、まだ自分自身理解できてないものへの探究や、なりたい自分になれるように、社会と遮断して、修行として日々ちょっとずつ生きていこうという期間を設けたこと。
その中で、最近の私はなんて言葉にしたら
いいのか、分かりませんが矛盾しているように
感じています。
分かるようになりたいはずなのに、どこか
心の奥で怖がり信じきれず拒絶している部分も
あるように感じて、逃げている状態に近いなと
思いました。
とてもニュアンス的で分かりづらいですが、
そのように感じています。
ポジティブに考えれば、ただただ悲しくて
でも愛犬が側にいてくれる安心感を感じては
いても頭や心ではまだ悲観しているような
自分から次のステージに入ったような気が
します。
言葉通りペットロスであり、まだまだ
悲しい気持ちになったり後悔が蘇ってきたり
日々寂しさを感じてはいます。
それでも自分のどこかで、踏み切れないような
大きいものへの拒絶を感じてしまいます。
また、私の考え方は結構な現実主義。
例えば、目の前にあるコップを見るように、
目でなにかを見たとしても、現実にそこにないものであればそれを信じきれないような性格や思考でもあり、そのため今はたくさんの本を
読み、まずは知識から得て少しでも自分の中で論理付けていけば楽になるかなと思ったりしている状況です。
ここまで書いていても文章にまとまりがなく
とても抽象的でわかりづらく、矛盾しています。
純粋に愛犬だけを想い、感じて、
もっと分かるようにより繋がれるように、と
頑張っていたのに、それよりもっと大きなもの
を感じるようになり、そっちばかりになって
今も愛犬に救われて生きているのに、愛犬ファーストな修行ではなくなっている事に拒絶を感じてしまうと言った所です。
そんな最近の私も、ここに残そうと
思います。
ここを抜けた私が忘れないように。