長野県出身者が「ずく」について一生懸命説明してみる

方言の話。

私は長野県で生まれていろいろあって30過ぎに東京に出た。
長野県には関西や東北のようなわかりやすい方言はない。(と思う)イントネーションもほぼ東京都一緒だ。(と思う)
「かんます」=かきまわす とかは標準語で言い換えることができるのだが、どうしても「ずく」だけは標準語にすることができない。適当な言葉が見当たらないのだ。ちょっと調べると「やる気」「根性」「気力」などと出てくるが、それとはニュアンスがだいぶ違う。

用例1(ずく) 「そんなことするなんて、ずくがあるねえ」
用例2(ずく) 「このずくなし!」
用例3(ずく) 「さあ、ずく出してやりますかね」

こんな感じ。標準語にするとそれぞれ、

用例1(標準語) 「よくまあそんな面倒くさいことをわざわざするねえ」
用例2(標準語) 「このめんどくさがりや!」
用例3(標準語) 「さあ、元気出してやりますかね」

これは完全に不完全燃焼。(どっちだ)全然むり。
これでちょっと気がついたのは「ずく」にはやさしさが80%くらい入っているということだ。
用例1(標準語)の「よくまあそんな面倒くさいことをわざわざするねえ」の裏には「まあ、私はそんなことしないけどね...」が70%くらい入っているのではないだろうか。もし自分が言われたらなんだかちょっと傷つく。でも、用例1(ずく)の「そんなことするなんて、ずくがあるねえ」はどちらかと言うと褒め言葉になる。近所の山菜やらきのこやら山に行って採って下処理までしておすそわけしてくれるおばちゃんは完全に「ずくのあるおばちゃん」で、賞賛の意味を込めて「あの人はずくがあるからねえ」と近所のみなさんから噂されることとなる。
自ら山に入って山菜やらきのこやらを採ってくるだけの人もずくがあるけど、下処理までしてくれるとなると、ものすごくずくがあるということになる。普通よりちょっと上の感じ。

用例3は例えば、大掃除をしていて休憩でお茶を飲み、さて立ち上がるかな...というような時がぴったりくる。やらずに済むならやりたくないけど...まあやりますか...みたいな感じ。「さあ今日もずく出していくぞ!」とは言わない。そういう血気盛んな人は使わない。多分。もっとぬるい感じ。

ずくはなくても十分に生きていけるけどあればあったに越したことはない、そんなイメージ。
kunelとか暮らしの手帖に載っている人は全員ずくのある人。(これは結構イメージつきやすいんじゃないかな)ずく=ていねいな暮らしに必須、というところだろうか。

けっこううまくまとまった気がするけど、もしかして長野県の他の地方だとニュアンス違ったりするのかな...長野県、広いしな...(当方、東信・佐久市出身です)
それにしても他に言いようがない言葉だからぜひとも全国区になって欲しいと願ってます。ずく。


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