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東日本自転車旅 13日目 福島ー相馬 51km

わりと寝れたかな。野宿も慣れだ。けどやはり布団で寝る時と比べると昼間くらいに眠気が来るので、ぐっすり眠れてはないんだろう。朝は天気も良く快適だ。

相馬までは急な坂が2回程。途中道の駅で休憩。大谷翔平の開幕試合が中継されていた。今年はどんなシーズンになるのか。
相馬市には13時ごろ到着。
お昼は地元の中華料理屋へ。さらに海沿いを走る。

海沿いを走っていると、慰霊碑があったので立ち寄る。
震災、津波で亡くなった方達になんと声をかければいいのかわからなかった。直接関わったことがあるわけじゃない。もちろん、亡くなった人の死を悲しむ人がいるのは間違いない。じゃあその人達と同じ気持ちになればいいのかというと、それも変な話だ。亡くなった方達は、生きていたらこれからもっと楽しいことや、やりたいことがあったかもしれない。それを残念だ、無念だろうと感じる気持ちはある。だけど、それも結局こちら側の勝手な考えなように感じる。よくテレビなんかでお悔やみ申し上げますっていうけど、いまいちよくわからないよな。型式ばった文句になってる気もしないでもない。じゃあ逆にその時どういう態度を取るのが正解なのかと言われると困ってしまう。
自分の身近な人や、仲が良かった人が亡くなったら悲しい。もう会えないから。一緒に気持ちを共有する機会がもうなくなってしまうから。生きているときに目指しているもの、将来の夢を聞いていて、それが夢半ばで絶たれてしまったというのを自分が良く知っているから。
震災で亡くなって人も、まさか自分がと思っていただろう。やりたいことは先延ばしにしていた人もたくさんいたのではないだろうか。
一日一日を納得して大切に生きる。ご縁のあった出会いに感謝する。単純だけどそれが被災した人達から学ぶ一番大きなことだと思う。
自分がもし被災して死んでしまった立場で、生きている人に言えることといったらそれしかない。
「いつ死ぬかわからないんだから、やりたいことは先にやった方がいい。ただ、万が一意外と生きてしまったらそれは生きなきゃいけない。結婚して、子供ができたらその人達の為にも必死で生きなくてはいけない。」

街はまだ震災の傷がそこかしこに残っていた。崩れそうなブロック塀、浮き上がったマンホール、屋根がブルーシートで覆われている家は10や20ではなかった。道路は新しく舗装されて綺麗なところもあれば、ひび割れや段差が残っていたりと不自然な景色はまだすぐにはなくなりそうにない。


津波で民家が流された場所には、ソーラーパネルが一面に設置されていた。
戦争で石炭の輸入が滞るから原子力発電をまた使用していくというニュースを見た。
電力を産むための原子力発電所が事故でたくさんの被害を生んでしまったのに、その被災地に次はソーラーパネルを設置しまくるってのはなんだか皮肉だ。どこまでも電気は欲しいのだ。
今日も野宿。最近結構寒いんだよな。
暖房の効いた明るい部屋でテレビでも見たいな。節電節電

野宿した公園の滑り台がたまたま寝袋と枕と同じ色だった


朝飯 500円
コンビニ 1000円
昼飯 1000円
晩飯 風呂 1500円
合計 4000円

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