自分の「人格」について考える
久しぶりの投稿になってしまった…
最近の病状や考えていること、色々書きたいことはあるのに思考に時間を取られて書く時間がなかった。
今日は自分の人格について今考えていることを文章化しておこうと思います。
私って回避性パーソナリティ障害?
たまたまSNSで回避性パーソナリティ障害の方のツイートを見て、考え方とか感じ方が近かったので私もそうなのかなぁと思ってちょっと調べてみた。
回避性パーソナリティ障害の特徴は、
・失敗や他者から否定されることを極度に恐れる
責任ある仕事を任せられても、目立つことや失敗することを恐れて辞退してしまうといったケースも見られる
・積極的な社会参加を望まず、避ける
・深い人間関係を望んでいても、相手に拒絶される「恐怖」が足かせとなり良好な人間関係を築くのが難しく感じる
拒絶される恐れから対人接触を回避してしまうパーソナリティ障害らしい。
実際に私の過去に置き換えてみる。
失敗や他者から否定されることを極度に恐れる
責任ある仕事を任せられても、目立つことや失敗することを恐れて辞退してしまうといったケースも見られる
→小学校高学年の頃にはすでにそうだった。
・小6、クラスの女子の中で2番目に足が速かったので運動会の色別リレーの選手に選ばれるが辞退。3番目だった子の方が実際には足が速いし運動好きなので向いているし、自分は応援団がやりたいなと思った(応援団とリレーの選手は兼務できなかった)。今思い返せばタイム測って私のほうが足速かったんだから3番目の子の方が足が速いって謎理論だし私だって運動が好きだった。でも自分より3番目の子の方がリレーの選手に相応しいって思ってしまったんだよな。何かで目立つよりそれをアシストしたり応援する側のほうがこの頃から好きだった。失敗や非難への恐れを感じるというよりは、自分なんかより他の人のほうが相応しい、そしてなんか嫌(多分これが不安ってやつ)という感じだった。
・リレーの選手を蹴って入った応援団では団長に推されるが断固拒否、副団長にこだわる。これも自分なんかがって気持ちとなんか嫌の気持ちでしかなかった。結局友達が団長になったときに感じた嬉しさは喜びではなく安堵だったのかもしれない。なんかよく分からんが自分は2番手あたりが好きだなぁと思っていた。
・中学生時代は暗黒時代なので特に目立つようなものに抜擢されることもなかったww
・高校時代、とにかくバカキャラとお笑いキャラを演じる。自分で言うのも恥ずかしいけど、私は比較的見た目が良かった(学年やクラスで1番!ってタイプでは全くない)。(表面上の)性格も明るい。実際は機能不全家族の母子家庭で育って精神的にも金銭的にも豊かではなかったけど見た目にはそれが出ないタイプだった(多分)。ゆえに高校以降は男性から好かれることも多かった(変な人が多かったけど)。勉強も入学当初はやる気があったり好きな科目はADHDの伝家の宝刀過集中を発揮しテストで学年上位の点を取っていた。そう、つまり、妬まれる。せっかく高校に入ったんだから好きに制服を着たいし髪を染めたりメイクもしたい、面白いと思う勉強はしたいし良い点を取りたい。でもそうすると目立ち周りの女子を敵に回すことになる(実際そうして虐められている子がいた)。その対策が変なキャラを演じることだった。あの子見た目はそこそこ可愛いのに変わってるよね〜と下に見られることで平和に生きていく道を選んだ。バカなので人のことも虐められない、誰とでも仲良くお話ししちゃう。バカだから。ちなみにこの関係は最後私がグループの中で一番偏差値の高い大学に行ったことをきっかけに崩壊する。
・大学時代も何かとサークルの仕事を自分なんかが…と言って断ったりしていた。ミスコン出たら?は?論外。高校時代の名残で大学でもラーメン好きのバカ(ADHDにとって大学は過酷な環境でキャラでなく本当のバカになってしまった)として過ごす。
・社会人も基本の過ごし方は同じ。出会って最初の1時間はチヤホヤされるけど2〜3時間も話せば変なやつと認められる最早プロのピエロ。目立ちそうな仕事の打診は断りまくる。もっと良い人いますよ〜〇〇さんとかいいじゃないですか〜。そういうことの積み重ねで同期とキャリアに差が出来てくると複雑な気持ちになる。でもやりたくないものはやりたくない。
最近まで自分が不安症だってことに気付かなかったくらい自分の感情に鈍感(失感情症やアレキシサイミアというらしい、もともとの気質もあるかもだけど段々と形成された?)なので、不安と感じたことはなかったけど重要な仕事や目立つことがなんか嫌、自分より他の人のほうが相応しいっていうのは子供の頃からずっと感じていた。
積極的な社会参加を望まず、避ける
深い人間関係を望んでいても、相手に拒絶される「恐怖」が足かせとなり良好な人間関係を築くのが難しく感じる
→友人関係恋愛関係含め一人でいるほうがむしろ気楽。恋愛における数多の蛙化現象。自己開示ができない。距離感が遠ければ自分のことは好きじゃないんだ、他の人といる時間のほうが有意義なんだろうなと思って近寄らないし、距離感が近ければそれはそれでめっちゃしんどいので自分から距離を置く。自分なんかからの連絡返してもらうのが申し訳ないからと普段連絡もしない。
これについても怖いよー!とかは思ってないけど奥深くには不安とか恐怖があるのかなぁ。
あと遊ぶ約束したのに日に日にめっちゃ行きたくなくなってキャンセルしたり、何とか我慢して行くと意外に楽しめるやつも回避性パーソナリティ障害によるものなのかもしれない。
思い当たる原因
・3〜4歳くらいの頃父が失踪、その後離婚。6歳の頃最後に会った時に自分には大きすぎるトレーナーをもらってもう会うことはないんだろうなと感じる(その後実際会うことはなかった)。親に捨てられたという感覚。
・小3くらいの頃、祖父について書いた作文で新聞社の賞を受賞した時、母と祖母はなんで自分のことじゃないんだと怒り狂い、母が父に受賞した作文と新聞を送ったところそれまで支払われていた養育費が支払われなくなり誕生日とクリスマスに送られていたプレゼントもなくなり父との繋がりが完全に途絶えた。こんな作文書かなければ良かった、賞なんかに選ばれなければと心から後悔した。
・小5くらいの頃、美術の宿題でチューリップの絵を描く課題を出される。自分で描いて、画家だった祖父に見せたところ、祖父に手を加えられてしまう(褒めてもらうかアドバイスが欲しかっただけなのに手を加えられて嫌だったけど言えなかった)。そしてその絵が区のコンテストに出されまたもや賞を獲ってしまう。祖父が手を加えまくった絵で獲った賞など嬉しい訳もなく悪いことをした気持ちにしかならない。母、絵の下手なお前がこんなもん描けるわけないだろと私と祖父に対して怒り狂う。
多分目立つのが嫌いになったのは上2つが原因なんだろうな。特に作文は最初は嬉しかったから。自分のせいで家庭が荒れ金銭的実害が生じたことで賞や目立つこと=悪いことになってしまったのかもしれない。
・小学校高学年、流行りの可愛い鉛筆を持っていると他の女子に折られるなどする。他の子が羨むようなものを持ったり、目立ってはいけないのだと学ぶ。
・小学校高学年〜中学校卒業まで、好きになった人を悉く恋愛相談していた友人に取られる(私の相談を聞いているうちに良い人だなってなって好きになってしまったらしい)(なお1名は私の鉛筆を折った女でもあるw)。
ここらへんで自己開示や目立つことへの抵抗感を強く感じるようになった気がする。
・高校生、本気で大好きだった人と付き合える。この時は蛙化現象とかなかった。ただただ幸せだった。でも自分のことが嫌いにならないか、他の子を好きになってしまわないか不安で不安で毎日泣いてた(多分人生で一番不安を感じた時)。そして半年も経たずに振られる(悲しすぎて理由も聞けずそのまま別れたけどそれも回避性パーソナリティ障害の特徴らしい)。
付き合う前〜付き合ったときも「自分なんかがこんな素敵な人と付き合えるなんて」「嫌われたら嫌だから〇〇したくない」(例えば歌を聴いて下手だなって思われて嫌われたら嫌だからカラオケに行きたくないとか)っていう感情はすごかったから、自己肯定感の低さや回避性パーソナリティ障害はすでに見られるけど、この出来事以降蛙化現象が出現したから、ここでさらに傷付いて自己肯定感もボロボロになったんだろうな。
今現在の困り事
・人との関わりをシャットダウンしてしまう(家族、友人含め)。私は困ってないけど周りは困ったり困惑すると思う(スミマセン)。
・仕事プライベートどちらもチャンスを自分で逃し続けてしまう。
・自分を大切にしてくれなさそうな人に惹かれてしまうことが多い。
・興味がない、あまり性的に魅力的でない人とのほうが恋愛がうまくいく(ただし胸のときめきはない)。
・蛙化現象がまじでしんどい。
自分と向き合って克服していくしかない
パーソナリティ障害は生活に支障が出ると認定されるらしいけど、それと回避性パーソナリティ障害って相性悪いよね。他人から見て分かりづらいし、辛さもほとんどが主観的な話だし。そして、この薬を飲めばパーソナリティ障害が治りますって薬はないので結局は自分と向き合って乗り越えるしかないのかなぁと。
分かってはいるんだけどね…
以上、久しぶりの投稿でした