完全オレ流障害観39「障害者の方がツイッターをやる目的と意義」
ツイッターを色々見ていると、障害者アカウント(所謂ご自身の障害や病気を発信しているアカウント)の方々が無数にいらっしゃる。
その中である意見を拝読した。
要約すると、
・自分の障害を発信することは、自分は弱い人間だから守ってほしいと言っているようなもの
・インターネットに頼っても良いことは無い
・弱さを見せることで障害者はお荷物だと言われてしまう
おおよそこういう内容であった。
オレ個人的には、障害=弱いという結びつけは短絡的でちょっといただけないかなと考える。
あとは必ずしも誰かに守ってもらいたくてツイッターやっている人ばかりではない。
そういう考えでツイッターをやっている人もいれば、勿論そうじゃない人もいる。
自分のことに関しても、発信したい人はどんどん発信して良い。
オレだってそういうことがやりたくてツイッターをやっている。
オレの障害のことをツイッターやnote等で発信する目的は、発信して何かしら人の役に立ちたいからだ。
それがおかしいと思っていたら最初からこういうことはしない。
公表しているから障害者雇用で就職活動もしたし家族にも診断されたって報告したし。
それによってオレに気を遣えよとは特に思っていない。
確かに配慮してほしいことを職場に発信しているよって話をすることはあるが、そういう発信をしているよってだけの話。
ASDのアカウントの方も無数にいらっしゃるが、オレもその中の一員として、「コイツの場合はこうなんだな勉強になるな」と、オレの発信する内容を見てそう思って頂ければ、それでオレは発信している甲斐がある。
「自助力」(自己理解や自己分析を通じて自分を助ける力)たるものをオレ自身も模索して、スペースや画像だったりこちらのnoteにリンクを貼って皆様に共有している。
様々な方法を色々提示して、誰かしらにとって有効な情報の発信者となることをオレは目指している。
障害者の方がツイッターをやる目的と意義は、あくまでも人によりますが、以下のようなものがあると考える。
・自己理解を深める為
・自己分析をする為
・自己実現の為
・自己顕示欲を満たす為
・自分を他者へ発信する為
・自分の精神安定の為
・自分の成長の為
・障害への理解を促す為
他にもありそうだがこんなものだろうか。
これはこちらのnoteでも同様のことは言えるだろう。
もし自分はこうだよってのがありましたら、色々教えてください。
よろしくお願いいたします。