完全オレ流障害観28「理解の難しさと伝え方の工夫」

障害者と一口に言っても多種多様である。

種別も程度も然り。

理解や実践の難しさゆえに日常生活で支障が出ている状態が所謂障害で、自分で工夫できる人は人一倍克服を頑張らなければならなかったり、支援者の伝え方の工夫が重要になる。

一応オレも今現在は発達障害の当事者ではあるが色々な人を見てきて、色々な人と関わってきたつもりである。

オレはコミュニケーションが苦手であり、苦手だからこそとにかく色々な人と数多く接して、場数を踏んでコミュニケーション力をそれなりに磨いてきたつもりだがまだまだである。

ただ、磨くことや困難克服の努力をやめてしまったら、いつまでも改善されない自分のままになってしまう。

よって自分で工夫や対処が出来るレベルの障害者の方は、自分と向き合うことを恐れないでほしいと思う。


一方、自分で対処することが難しい程度の障害の場合は、支援者や介助者の工夫を要するケースとなる。

障害と言っても奥が深いと思っている。

ちょっと架空の人の話をしてみる。

例えばAさんはお菓子が大好きであり、財布には100円玉が5枚あるとする。

お菓子屋さんで250円分購入したいとお菓子を選び、店員さんに持っていく。

付き添いの支援者の人から「店員さんにお金を払ってくださいね」と言われていた。

するとAさんは100円玉を5枚全て店員さんに渡した。

店員さんは100円玉を2枚返し、レジから50円玉を1枚出して「お釣りです」と言ってAさんに渡した。

支援者は「財布にしまってくださいね」と言う。

Aさんはワケもわからずに返却された100円玉2枚と50円玉1枚を財布に入れながらお菓子を受け取った。


さて、なぜ100円玉を5枚全て店員さんに差し出したのか、なぜ250円返されて「なんで?」というリアクションを一瞬したのかという話をしてみる。

恐らくAさんは、お金が大事なものだと頭ではわかっているが、お金の価値自体の判別が難しい、またはお金の計算が難しいということが読み取れると思う。

店員さんから「お会計250円です」と言われて、100円玉を何枚出すのが適切なのかがわからなかったから全部渡したのかもしれない。

そして100円玉2枚と50円玉1枚が返ってきたことについても、500-250=250という式が頭の中で成り立っていない、理解していないから250円返された理由もわからなかったのかもしれない。

支援者からは「100円玉は3枚出せば良かったんですよ」と言われて「なんで3枚だけ?」と返答していたとしたら、枚数を数えることは出来ても、具体的なお金の計算となると困難になってしまうことが読み取れる。

またAさんにもし「1+1=?」と聞いて「2」と答えられた場合は、簡単な座学の算数は出来てもいざ買い物という実践の場に出ると混乱してしまうか、また「250円のお菓子を買う場合、100円玉を何枚出せば良いか?お釣りはいくら返ってくるか?」という文章問題が出されたら応用が利かないことが読み取れる。

そしてこのケースにおいてAさんに支援者が何のために付き添いとしているべきなのか、それはAさんに適切にお菓子の買い物をして頂くためであると言える。

可能であれば家に帰ったときに、100円玉を5枚出して250円が返ってきた理由や計算式を紙に書いて説明することをやってみるのも1つかもしれない。

それを繰り返すことで、反復することでもしかしたら工夫次第では、次は財布内に5枚ある100円玉から3枚だけ取り出して店員さんに渡せるようになるのかもしれない。


以上のようなケースは他にもたくさんあると思うが、1人では難しい部分を支援者や介助者からサポートをしてもらい、自分で出来ることは自分で行うことが障害者の方々が生きていく上で重要となると言える。

オレも自分で出来ることは自分で行ってはいるが、関係機関や職場の上司や先輩方から様々なサポートを頂いている。

それが無かったら難しいことが多々ある、だからオレは障害者なのだ。

以上です。

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