ものける
5/8
京都に行きお嬢さんたちを撮る。
関西にはよく行くのだけれど、関西らしいことは何一つせず行って帰ってくるだけだ。
「関西らしいことがしたかった!」と家に帰ってくるたびに言っている。
では関西らしいこととは何なんだろうか。ソースのかかかったものを食べる、くらいしか思い浮かばない。
疲れたなと寝る前に布団の上で寝転んでいた。
天井を見上げていると、シミのような木目のような模様がゆっくりと動いている。
小さい頃、木の板を見つめては、「顔がある、こっちを見ている」と泣いた。泣きながらもジッと見るのをやめなかった。
ゆっくり動いてどこに行くのだろうか。見張っていたら人の顔になる瞬間が見れるのだろうか。
いつかは人の顔が平面から立体になり、顔以外の体部分も現れるだろう。全身が立体になれば重さに耐えきれず落下する。
それはきっと私によく似ている。
5/9
今日もサルートのタグを切る仕事をする。
雨なのでバスに乗る。
混んでいたので吊り革を握って立っていた。
フロントガラスの大きなワイパーが動くたびに雨粒が取り除かれ、でもすぐにまた雨粒でぼやける。
滲んだ光がきれいだった。
見ているうちになんだか気持ちが悪くなる。眩暈がする。
バスがちょうど停まったので降りた。
私が降りるべきバス停ではなかった。それどころか見覚えのない場所だ。
これは困ったことになった。
次に来るバスに乗りたいが、時刻表は紙に印刷されたもので雨風にさらされてくちゃくちゃになって読めやしない。
バス停の名前をスマホで検索して調べようにも、バス停の名前が書いてない。
どうすればいいかわからない。先程からの眩暈が酷くなってきた。
涙が出て溢れた。
視界が涙で滲んできれいだなと思った。