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けっきょく、なにも捨てられなかった、というだけの話

 今日も昨日と同様にタイピング練習とExcelの勉強をした。これまでの仕事ではパソコンを使ってはいたけれど、PC画面を分割して文字入力作業をしていたから、冊子や紙を見ながら文字を打つことになれていないことに気付いた。そこでいつもとは趣向を変えて雑誌の文字を打ち込むことにした。少しの間だけど定期購読していた[Newton]と高校生の時に使っていて読み物としても面白くて捨てられなかった国語の便覧。こんなふうに役に立つ日が来るとは思わなかった。
まあ、あの頃の自分に今の状況を説明できる日があっても、尊大な羞恥心と臆病な自尊心と傲慢な価値観だけで構成されていた自分には到底理解できないし、蔑まれる対象となるのだろうな。


 さて、今日タイピング練習用に活用したNewtonは昔流し読みしていたものを思い出させてくれて楽しいし、便覧ではことわざや慣用句が乗っているページを中心的に活用することでこれからの就活にも生かせるのではないかと少しばかり期待している。とくに尊敬語や謙譲語といった言葉遣いのアレそれを学習するには最適なテキストとなっている。筆記試験でこのあたりの重要性と必要性をひしひしと感じたためか、いまさらになって教科書がどれほど優れているものかを知った。そして地理や化学も取っておけばよかったと少しの後悔。
 ただ、どうしようもないのに焦って本も読めない精神状況の中でこうして「学習のため」という大義名分を得ながら文字を読めるのはとても楽しい。焦っても仕方ないとはわかっているけれど、自分の社会的な貢献度であるとか、これからの生活を思うとやはり本などはとても読めない。そんななかで思いついたこの勉強法は我ながら良いものなのではないだろうか。少しばかり褒めてやりたい気もする。なんて。

もっと、ちゃんと何かをすべきなんだろうなと思っている。自分と同じ状況で同じ時間を持っていてもっと真摯に物事に取り組んで就職活動を進めている人のことを想像する。職業訓練に受かっていたとして、訓練校に通う交通費やテキスト代の負担を考える。現時点では影響を受けていない産業でも、ちょっとずつ変化して訓練が終わっても就職できなかった時を考える。いま、時間を割くべきところはそこじゃなくて資格取得の学習を優先すべきなのに、思考が散らばってしまう。いつまでつづくんだろう、と思う。でも就職したら、また勉強しなくなるんじゃないかとも。背水の陣で踏ん張れる絶好の機会なのではないか、とも。まあ、自分がどう現状を捉えようと何かが変わるわけではないが、それでも考えてしまうのが滑稽で時間の浪費のように思えて。でもこれが、この感情やこの問答が役に立つ日がくるんじゃないか、なんて期待してもいる。

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五月
もう、よくわかりませんが生きています